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読書メモ|オルテガ 大衆の反撃|真のリベラルを取り戻せ|中島岳志|

自分の利害や欲望をめぐって行動する「大衆」が増殖した二十世紀。スペインの哲学者オルテガは「大衆」の暴走に警鐘を鳴らした。彼はなぜ利己的な大衆を批判し、他者と共存するための「寛容さ」を説いたのか。

表2

「大衆が社会的中枢に躍り出た時代」にあって民主制が暴走する「超民主主義」の状況を強く危惧しています。(略)それと対置する概念として「自由主義=リベラル」を擁護しました。(略)オルテガは「大衆」という言葉を使っていますが、階級的な概念とは異なります。「大衆」の対極にある存在を「貴族」と呼んでいますが、これもブルジョア、エリートという意味ではありません。過去から受け継がれてきた、生活に根付いた人間の知。自分と異なる他者に対して、対話を通じて共存しようとする我慢強さや寛容さ。そうした彼の考える「リベラリズム」を身につけている人こそがオルテガにとっての「貴族」であったのです。

はじめに

 つまり彼は、哲学者として象牙の塔にこもるのではなく、その研究を通じて現代社会をみることに非常に関心のあった人だと思います。27歳でマドリード大学の教授になるのですが、その後も新聞などに時評を発表し続けました。これは彼が生涯一貫して取り続けた姿勢です。
 「私は、私と私の環境である」さまざまなものとの出会いによって「私」を取り囲む環境ができていき、その環境との関わりによって「私」が構成されていく。ここには自分の能力を過信することへの強い懐疑があります。
 オルテガは右か左かという二分法を嫌いました。「これが正しい」と一方的に自分の信ずるイデオロギーを掲げて拳を上げるような人間が嫌で仕方がなかったのだと思います。そうではなく、右と左の間に立ち、引き裂かれながらでも合意形成をしていくことが彼の思い描いた「リベラルな共和政」でした。しかし、スペインでそれは不可能だと考えた彼は1932年8月に代議士を辞職してしまいます。
 急速な変化の背景には、産業化による農村社会から工業社会への変動がありました。農家の次男、三男は食べていけなくなり都市に出るしかなくなっていく。一方で工業化が進む都市部では大量の労働者が求められていたので需要と供給がマッチし、都市に多くの人々が流入しました。(略)そうして自分が自分であることを担保してくれる場所、つまりトポスを捨てていきます。都市の労働者となり、代替可能な記号のような存在として扱われるようになっていくのです。
 
ここでフーコーが言おうとしているのは、学校教育とはそういうものだということです。(略)学校の授業というものは教科の内容や何らかの技術を教えること以上に「ひとの話をじっと聞く」「先生の命令に従っておとなしくする」という身体技法を身につけることを重視し、時間管理によって「命令者への服従」を教えようとしているのだというのがフーコーの見立てなのです。(略)大量生産労働に向いた人間を生み出すための「身体の規律化」がこの時代に着々と進められていったのです。そしてそれは「個性の剥奪」でもありました。
 そして、今日の平均人の特徴のひとつは、他人の意見に「耳を傾けない」ことだと言っています。
”今日の平均人は世界で起こることに関して断定的な「思想」を持っている。このことから聞くという習慣を失ってしまった。”
”現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押し付けようとする点にある”
 「自分はこうなのだ」という根っこや、自分を超えたものに対する畏敬の念がなく、周囲が「これがいい」といえばすぐに流されていく、また別の風が吹いたらそちらへと流れていく、それが「大衆的人間」だと言っています。しかし、そうした押し流される時代にあって、社会を支配する大衆はむしろ慢心し、偉そうになっているとオルテガは指摘します。なぜなら、大衆は謙虚さを持ちあわせておらず「大衆であること」にある種の万能感を持っているからだというのです。
 ”虚栄心で『盲目』になっているときですら、高貴な人間は、自分が完全だと感ずることができないのだ”
 ”愚か者は自分のことを疑ってみない。自分が極めて分別があるように思う。ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかく、あの羨むべき平静さは、ここから生まれるのである”
 
自己懐疑の精神を持たず、「正しさ」を所有できていると思っている。そうした大衆の「正しさ」の根拠は「数が多い」ことでしかない。それが何の根拠になるのかとオルテガは言い、彼らを自分が多数派だということにあぐらをかいている「慢心した坊ちゃん」と呼ぶのです。(略)彼らは自分のしたい放題のことをするために生まれ落ちた人間だからである。
 行き過ぎた専門化のために、科学者たちが総合的な教養を失い始めている。それによって自分の専門自体も見失ってしまう。(略)オルテガにとって断片的な専門知だけで複雑な世界に答えを出そうとする態度こそ単純化、単一化の極みだったのです。
”昔は人間を、知者と無理の者、あるいは、かなりな知者と、どちらかといえば無知であるひとに分けることができた。(略)ところが専門家は自分の専門領域にないことを知らないので知者ではない、しかし、かれらは科学者であって専門の微小な部分をよく知っているから無知ではない。かれらは無知な知者であり、事は重大である。” 「知者」はまず人間は知を完成することができず、過ちや綻びがいかに多いのかを認識していなくてはならない。(略)総合的であろうとするならば、専門以外の「知らない」ことに対して謙虚な態度をとるはずだが、そういう「知者」は近代にはいなくなった。ほんの一部のことしか知らないのに「俺はなんでも知っている」と偉そうな顔をする人間がはびこっている。そのことを嫌悪したのです。

第一章 大衆の時代

「保守こそがリベラルである」
日本では、主に政局的な理由から「保守」と「リベラル」が対立するものであるかのように扱われてきました。その起源はアメリカの二大政党制にあるのだと思います。「個人は国家を頼るな」「民間に頼ればいい」というマッチョな新自由主義の共和党、対して民主党は、どちらかというと社会福祉に力を入れ、弱者に対する再配分を重視する、この2つの政党が「保守」「リベラル」のイメージで語られてきたのです。(略)日本では1980年代半ばの中曽根内閣の頃から、保守派は新自由主義の「小さな政府」路線をとりはじめ、「左翼」や「革新」という言葉のイメージが悪くなっていたこともありアメリカにならって「保守」への対抗概念として「リベラル」が(左派によって)使われはじめるのです。
 歴史を振り返ると「リベラル」はもともと「寛容」という意味から発生しています。起源はヨーロッパでおこった30年戦争にあるとされています。(略)30年の激しい戦いを経たにもかかわらず、どちらが正しいという結論はでなかった。そこで人々は気づくのです。「価値観の問題については、戦争をしても結論は出ず、人が傷つくだけである」ここで自分と異なる価値観を持った人間の存在を、まずは認めよう。多様性に対して寛容になろう。虫唾が走るほど嫌な思想であってもそれはそのひとの思想だと受け入れることが重要だと考える。これが近代的「リベラル」の出発点なのです。(略)ですから必然的に「寛容」は「自由」という観念へと発展していく。
 「敵と共に生きる!」一方でこのリベラリズムを共有することは、非常に面倒で鍛錬を伴うというのがオルテガの認識でした。考えの異なる人間に対して、すぐにカッとなったり、支配しようとせず、違いを認め合いながら共生していく。それは手間も時間もかかる面倒な行為であるけれど、それこそが「文明」である。
 大衆の時代である現代、人々は自分とは異なる思想をもつ人間を殲滅しようとしている。自分と真っ向から対立する人間こそ大切にし、議論を重ねることが重要なのだ。
 「思想とは真理に対する王手である」間違いやすい、有限的な存在である私たちに正しさを所有することはできない。できるのは真理に対する王手を指すことだ。つまりこの道は真理に通じているのではないかという道筋を「思想」として語ることだけだと考えたわけです。
 「パン屋を破壊する」自由を求めて自由を破壊する大衆の姿をこう表現しています。食料が不足して起こる暴動の際に、大衆はパンを求めるのだが、そのやり方はパン屋を破壊するのが常である。
 大衆は公権の主となっている。大衆人とは、生の計画がなく、波間に浮かび漂う人間である。彼らの可能性と権力が巨大であっても、なにも建設しない。そして、この型の人間がわれらの時代を決定しているのだ。
 大衆がみずから行動するときには、他に方法がないから、次のようなただひとつのやり方でするのである。つまり、リンチである。(略)サンディカリスムとファシズムの相の元に、初めてヨーロッパに”理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押し付けるタイプの人間があらわれたのである。(略)この事実のなかに、わたしは資格もないのに社会を支配する決意をした新しい大衆のあり方の、もっとも顕著な特色を見るのである。
 「支配するとは拳より、むしろ尻の問題である」拳を振り上げて撲ることで支配するのではなく、静かに鎮座して、人々の話を聞き、着地点を探りながらその場を収めていくのが国家の本来のやり方だとオルテガは考えていました。

第2章 リベラルであること

「生きている死者」つまり、過去を無視するとどうなるのか?自分たちの時代は、これまでのどの時代より豊かですぐれているといううぬぼれを持ち、死者の存在を忘却してしまう。同時に自分自身は上の存在であると考えている。こういう傲慢な感覚は、自分の力に対する過信と同時に、その力に根拠がないゆえの不安に突き動かされ、暴力的になる。過去を見下し無視するがゆえに不安になり力に頼った権力政治を展開する。(略)
「御先祖になる」柳田國男の先祖の話
かつて日本人は「あなたはよい心がけだから御先祖になりますよ」とか「精を出して学問をして御先祖になりなさい」と言っていた。人々は「御先祖」になるために、一生懸命善く生きようとしていたと言います。それはつまり、自分が死んだあとも、未来に仕事が待っているという感覚です。まだ見ぬ孫やひ孫から「おじいちゃんは立派な人だった」などといわれることによって未来の子孫にたいする規範になれるというわけです。”人間があの世にいってから後に、いかに長らえまた働くかということについて、かなり確実なる常識を養われていた” 過去や死者を忘れると、わたしたちは未来との対話の契機を失い、未来に対する責任を失ってしまう
 「あの人に見られている気がする」とか「亡くなったおばあさんが見ているから、こういうことはしてはいけない」といった感覚を思い出したとき、改めてオルテガを思いました。「生きる死者」とは「死者は生きている」とはこういう意味だったのか、と。
「民主主義と立憲主義」戦後日本の憲法学は、この相反する二つのうち、民主主義を優先させてきました。たとえば「統治行為論」により、最高裁判所は「高度な」政治決定については憲法判断をしない。民主主義が優先されていく中で、立憲主義は脇に押しやられてきました。民主主義の主体は今生きている人間「生者」です。対して立憲主義の主体は「死者」です。このふたつの主語は異るため、対立します。(略)いくら生きている人間が支持しようとも、してはいけないことがある。それを定めている憲法に私たちは拘束されて続けている。つまり、憲法を通じて、死者がわたしたちをガードし続けている。それが立憲主義というものなのです
 進歩した文明とは、困難な問題を抱えた文明に他ならない。問題が複雑になると、解決手段もまた精密になってくる。(略)文明の進歩に結びついた1つの手段は、その背景にたくさんの過去を、たくさんの経験を持つことである。つまりその手段とは歴史を知ることである
 一見平凡に見えることをきちんとすることの中に、人間の非凡さが存在しているというチェスタトンの感覚は、庶民の英知を信頼し、そこに「高貴さ」を見出したオルテガとまったく同じものなのです。しかし「大衆」は違います。自分の能力を過信して、すごいことをしようとしがちです。それはむしろ凡庸であるとというのがチェスタトンの考えであり、オルテガの感覚でした。「庶民」と「大衆」を区別するとともに「平凡」と「凡庸」を区別しています。”伝統とは、祖先に投票権を与えることを意味する死者の民主主義なのだ。今たまたま生きている人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外のなにものでもない。”
 現代社会を生きる人々は、明日の株価がどうとか、為替相場がどうかといった目先のことばかりおいかけて近視眼的になりがちです。オルテガは”もし自分の時代をよく見たければ、遠くからご覧になることだ。”と言っています。

第3章  死者の民主主義

私たちは理知的であればあるほど、自分たちの不完全性という問題に突き当らずを得ない。どんなにIQの高い人間でも間違いは犯すし、どんな秀才でも世界を正しく把握することなどできない。とするならば、不完全性を抱えた誤謬に満ち溢れた存在であるということが私たちの普遍的な姿である。そして未来もまた、不完全な人間によって営まれるのですから、完成しない。世界では毎日様々な問題が起こり続けている。それに永遠に対応し続けていくのが人間なのだ、と(バークは)考えたのです。そのときに範を求めるべきことは「過去」の厚みのなかにあるという。過去の多くの無名の人々が積み上げた経験知に学びながら、漸進的な改革をしていく、これが保守の発想です。
 面倒な中間領域(教会などの小さな公共活動の共同体)に参加するより、扇動的で画一的なマスメディアの情報だけを受容するような人々は、多数者の欲望をうまく代弁する政治家がでてきたときに、かれらの甘い言葉に飛びついてしまう。それがメディアを通じて増幅され、ポピュリズムのような状況が生まれることで(アメリカの)デモクラシーは破綻に向かうだろうというのがトクヴィルの主張なのです。(略)そうした多数者による専制の政治は突出した個性を嫌い、人々を平準化、平均化しようとするため、自分たち(トクヴィル)のようなフランスの貴族が大切に継承してきた文化なども失われてしまうだろう。
 ”「共に独り」でいることの緊張に耐え抜く精神、大衆に迎合することも唯我に自閉することもない精神、それがオルテガのいう貴族の条件である。この社会的階級でも政治的階級でもない階級、人間的階級としての貴族を葬り去った後に、戦後、日本の高度大衆社会が開花したのではないだろうか。”
”大衆を批判するのはますます強固なタブーとなりつつあるが、私はその禁忌にやすやすと従いたくはない”(”高度大衆社会”批判、オルテガとの対話|西部邁)西部邁はこの本の出版した5年後に東大を辞職します。背景にあったのは彼自身の学者不信でした。学内にいる学者たちがいかに狭量な知識と権威によって守られた専門家であるか。それに対してオルテガのように「輪転機の上に立って」大衆のなかにある健全な庶民性のようなものに訴えかけていこうとした。だから大学を去り、雑誌を立ち上げたりもして、オルテガの人生の軌跡に自分を重ねていたところがあると思います。
 保守の基本には自己をも徹底的に疑う懐疑的な精神があります。自分が間違えているかもしれないという前提にたって発言せざるを得ない。そうすると自分と異なる意見に耳を傾け、納得できる部分を取り入れながら合意形成をしていくことになる。だから保守とはリベラルで在らざるを得ないのだ、これが西部の考えでした。
 今の日本での「保守」はあまりにも異なっています。他者と対話しようとしない、最も保守とかけ離れた人間が「保守」を名乗っている。異なる意見にレッテルを貼りながら放言する。(略)あろうことか国会までが、議論がほとんどなくなり、声が大きい人たち、多数派の人たちによってすべてが強引に決められていく、これこそオルテガの恐れた「熱狂する大衆」という問題だったのではないでしょうか。
 北部のようなヨーロッパの都市部は人々が集まって合議する場、つまり国家と個人の中間領域が豊富に存在しており、これが分厚い社会は民主制がうまくいうという論をパットナムは展開しています。重要なのは個人が個人として認められるような水平的関係が成り立っていることです。
 村社会では、おとなしく年長者のいうことを聞く若者は可愛がられるけれど、「そのやり方はおかしい」と異を唱えるひとは村八分にあう。従順であれば包括されるけれど、そうでないと排除の対象とされる、しかも、男性が物事を決定して、女性は裏方に回らされていたりする。こうした共同体しか存在しない社会はやはり辛いのです。

4章 「保守」とは何か

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし” 『歎異抄』第13章
人間は業や縁によって動かされているのだから、その業や縁によってどんな行いをするかわからない、それが人間というものだ。業も縁も自分の能力ではありません。外部から働く力です。自分は自分の力でコントロールできると思い込んでしまうと仏の力からどんどん離れていってしまう。これが親鸞の考えでした。この考え方は他者に開かれていくものです。なぜかというと「今苦しんでいるあの人は、もしかしたら私であったかもしれない」という感覚がうまれてくるからです。
 近代の人間はすべて人間の意志によって世界をコントロールできると考えるようになってしまいました。そのことが暴走する大衆社会を生み出した、だからこそオルテガは他者との関係を重視し、合意形成をしながら社会を構築していく「熟議デモクラシー」を重視したのだと思います。

特別章1 他者との関係性を紡ぎ直すには

 与党候補と野党候補による事実上の決選投票というかたちになりやすいのが小選挙区制という制度なのです。これを立候補する側からみると、当選するには半数以上の得票が必要なため、双方が「マジョリティの票がほしい」と考え、マイノリティの声に耳を傾けなくなります。そして政策が似てくると、今度は有権者が「誰を選んでも同じだ」と考えるようになり、投票所に足を運ばなくなるのです。
民主主義は施行されているし、選挙は行われている、それなのに自分は主権者だという実感がない。多くのひとが「主権から阻害されている」という感覚を持ちはじめたとき、民主主義は空洞化していく、これが「ポストデモクラシー」と呼ばれる状態です。
 海外では地方議会においては夜間の開催が一般的になっている国が少なくありません。昼は別の仕事をしているひとが、夜は地元の議員として活動することができるシステムなのです。そうすることでいわゆる「政治家」ではないいろんなタイプの人が議会に関わることができるようになる。こうした選挙以外の回路が多数ある社会においては、ひとはおのずから選挙に行くようになります。身近なせいじに関わることで政治的なこと、公的なことに関心がでてきて自然と投票率が上がっていくのです。

特別章2 私たちの「民主主義」を機能させるために

だれも責任をとらず、権利ばかり主張して、自分は「奴隷」なのかな?って自問してばかりいたときに、オルテガの「大衆の反撃」に励まされ、それ以来、自分を奴隷と思うことはなくなりました。中島岳志さんの解釈はわかりやすくてストレスなく内容が入ってきて、すっかりファンになりました。今回初めて手に取ったのですが「100分で名著」はすばらしいですね!本当に100分かからず名著が読めます。番組を見てから本を読みました。次は西部邁を読みたいと思います。

大好きな植松社長がオルテガと似たようなことをつぶやいていたのがうれしく、自分はこういうひとに惹かれるんだと自分の「好き」を再確認しました。


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