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人に甘えて生きてくことって罪ですか?

「人に迷惑をかけちゃだめ」「自分のことは自分でやりなさい」って大人に言われて育ってきたからか、昔は人に迷惑をかけたら嫌われると思っていたし、自分のできないことがあっても、人に頼ったり甘えたりすることはダメなことだと思っていた。

だけど、大人になるにつれて、平均点以上にできることは多いくせに、一番になれることは少なくて、何をやっても自信はないままで、そのくせ変に完璧主義な頑固なところが邪魔をしてできないところを背伸びしてバレないようにするのが精いっぱいの人生を歩んできた。

だけど、いつまでも1番になれない私は、人に迷惑をかけないことはできなかったし、自分の事を全部自分でやろうとすると、もうエネルギーが足りなかった。そうしたら毎日がとっても疲れる毎日で、しんどいし毎日眠いし、楽しむことを忘れそうな勢いだったのだ。

そんな私が結婚をして、子育てをスタートしたら、もうすぐに限界が来たのだった。もう体力のない自分にも苛立つけれど、それでも自分がいないと生きれない子供のために、ちょっとハイになるくらいの正義感だけで数年間を生きていた。だけど、東日本大震災が起こって、生きるということを見直した時、私はもうこんな自分を全部許して、人に甘えて生きていくことを許すことにした。

人に迷惑をかけちゃいけないって思っていた時は、周りの人に対しても、とても厳しいジャッジをしていたような気がする。それは、私だって頑張っているのだから、あなたもちゃんとやりなさいよ!ってニュアンスの、ちょっと怒りに似た感情だったのかもしれない。それはもしかしたら、できない人を責めているのではなく、できない私を認めてもらえない悔しさだったような気がする。だけど、「おたがいさま」って思えるようになってからは、周りの人の失敗や間違えも、許せる私になっていたし、何より、人に頼ってしまう弱い自分を、私自身が受け入れられるようになっていた。それは、私の人生の中で一番大きな変化だったように思う。

そこから私は、人に甘えて生きている自覚があるし、人生の大半は人に頼って生きている。それは、私の「できないこと」を許すことができてはじめてできたことだ。平均点は取れても、一位になれず、グランプリをとれない自分を、自分で責めていた私だったけれど、私が欲しかったのはそういうトップの栄光ではなかったと気が付いた。私が欲しかったのは、平均点すらとれないことが沢山ある私でも、価値があるとチヤホヤしてくれる人の存在と、それを信じることのできる私自身だったのだ。

こう書くと、すごくぬるま湯に浸かっているような人に見られるかもしれないが、私は実際、ぬるま湯の中でチヤホヤされる人生を選んでいる。それは、私が頑張らないと価値がない!褒めてもらえない!という思い込みを外したとたんに、温泉のように目の前に湧き上がってきた世界だった。

人よりできないことが沢山あっても、それをカバーしてくれる人が沢山いることに、感謝できるようになったし、そして他の人にはとても難しい!と感じることなのに、私はさらっとできることがあることも、人と関わり合うことでわかるようになったのだ。誰かのためにできることがあること、そして、それはラクチンレベルで存在することを知った時、そのラクチンを交換し合うことが「おたがいさま」になるのだと知って感動したのだった。

だから、私たちはどんどん甘え合って、どんどん頼り合って、できないことはできる人にお任せして、人より簡単にできることを誰かのために胸張ってやっていけばいいだけなのだ。

そして、誰かに頼り、甘えることは、あなたが必要だって伝えるラブレターになる。あなたがいて良かったってみんなで言い合える世界を、今こそ作っていきたい。

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