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”会社なんか学校でいい”に込めたもの

 僕らはちょっと変な会社です。社内で「変な人ですね!」はむしろ褒め言葉として使われるし、休憩スペースではランチ食べてる横でガンガン昼寝しているメンバーもいるし、時にはその横で面接してたり、プロモーション動画撮影してたりします。新卒出身者も多いのですが、それ以外のメンバーも全員業界未経験で、前職は船乗りやスタントマン、セラピストに管理栄養士、たまに営業してた人もいます。とにかくバラバラ。でも仕事になったら自分の数字が達成できずに悔しくて泣いたり、部下の成長しないことを自責にする上司、人の成功をいっしょに喜べる。そんな不思議な会社です。
 そんな僕らの採用コンセプトには今期から「会社なんか学校でいい」というものがあるのですが、それについて少しばかりお話をさせてください。


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動画撮影してたり
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その横で寝てたりの図

仕切られた食堂と”黙食”の赤い文字にクラクラした

 話は変わり、先日ご縁をいただきある大学のキャンパスを見学する機会を頂戴しました。どこか世の中はコロナというものがあるようなないような雰囲気をいよいよ醸し出していて、緑豊かなキャンパスには学生が溢れていて、この数年の閉鎖的な空気から少し解放されたかのような笑顔もチラホラ垣間見えてこちらもなんだか嬉しくなっていたのです。
キャンパスの見学をアテンドしてくれた好青年は歩きながら、すぐ横にいるこちらが目がくらむかと思うぐらい、自身の将来をキラキラした目で話してくれました。 
 ふと青年が「せっかくなので、食堂も見ていきますか??」と僕らに提案を。僕が大学に通っていたのはもう15年近くも前のことですが、それでも鮮明に覚えている記憶の多くは、講義の空き時間にそこ(食堂)に行けば誰か友達がいて、しょうもない話をただただして、時にはお酒なんか飲んで調子に乗ってみたり、よくわからないノリだけで次の講義をスッとばしてバイクで海まで行こうぜ!って決めてみたり。そこはとにかくしょうもなくて、でも濃厚で濃密で大切な僕らの「場」だったような記憶があります。
 そんな記憶の中を掘り起こしながら、僕は期待に満ち満ち溢れ、なんならそこにいるであろう今の若者のその「場」の中に飛び込んでいってやろうぐらいの気持ちで食堂の中に入っていきました。

テスト前だからか。食堂に一歩踏み入れてもザワザワしたあの空気は感じられません。

唖然としました。

そこには4人掛けのテーブルを中心を境に4分割に上から見ると「+」の文字のように分断する濃い目の透明度ゼロなグレーのパネル。席は半個室化され、隣の人が座っていても顔も何食べてるかも、もちろん友達かどうかなんかもわからなし、「おい!次の講義サボろうぜ!」なんて言える空気はない。というかしゃべっている学生などひとりもいないのです。そして濃いグレーのパネルには、椅子に腰かけるとちょうど目の高さのところに「黙食!!」と赤字で「チカンあかん!」と同じフォントで書かれていました。

青年に話を聞くと、入学してから食堂を何度も利用しているが、そこは一言もしゃべってはダメで、黙食したり読書したり自習したりする場所であって、いつでもそこに行けば仲間がいるしょうもない「場」ではないとのことでした。というか本当にそんな世界があったんですか??とこちらに対して異世界から転生してきた何かのような眼差しを向けてきたことから、事態の深刻さを感じたのでした。

ガクチカなんかいらん。もう十分頑張ってる

今の大学生は、コロナっていう得体の知れない何かのおかげで、「当たり前」が全世代の僕らとは違います。ほとんど”リアル”では授業を受けていないし、クラスメイトはパソコンの中に写っている興味のない講義をいっしょに受けている無表情な面々。もちろん新歓コンパで興味がないサークルでもとりあえず行ってみてタダ酒飲もうぜ!なんてこともしてなけりゃ、部活からは解放されてサークルという自由な空気ではじめて自由に野球をすることも、バイトに生きがいを見出すなんてことも、インドにいって世界観が変わるなんていうありがちな学生っぽいイベントを経験していないのです。
 だからそんな彼らに「学生時代頑張ったことはなんですか??(通称ガクチカ)」なんてことを大人が聞くのは、本当にナンセンスでふざけた話だと思っています。
 大人たちだって、いつ仕事が無くなってもおかしくない状態、家族がコロナに罹るかもなんて得体の知れないものへの過剰な恐怖感からただ生てることにすら、仕事があることにすら安堵していたはずなんです。それが就活市場になるとキラキラした大人のふりをして「学生時代、キミは何を頑張っていたんだね?」って偉そうに話し出すことに、違和感を超えて恐怖感を感じます。
 若者はそんな大人や社会のリアルを見て、それでも大学生活を終えるタイミングには社会に出ないといけないし、面接で聞かれるであろうガクチカを無理にひねり出さないといけない。キラキラしたビジョンを強要されているのです。なんかそんなの気持ち悪くないですか?だからガクチカなんか必要ない。むしろこんなカオスで不透明で違和感いっぱいある世の中で、就活に向き合おうとしてる時点であなたたちは十分頑張ってる。ガクチカには「コロナの中でも就活しようと思いました!」でいいんじゃないかとすら。

会社は学校じゃない!とは言いますがね。。。

話はもとに戻り「会社なんか学校でいい」に戻ります。一般的に学生が社会人になると研修担当や先輩から「会社は学校じゃないんだ!!給料もらってんだからアウトプットしろ!!学ぶ場じゃねぇ!!」と怒られます。それはそれで間違ってないとは思うんです。だがしかし、社会人1年目の若者は、今までの学生期間で、アウトプットの仕方はもちろん、働く意味や夢の持ち方、世の中にはどんな仕事があって、自分は将来どんな風になっていけばいいんだろうか。なんてことは教えてもらっていません。
 なのに社会人になったら突然社会人の仲間入りをさせられて、アウトプットが~~~って言われてしまう、極端に言うとそんな構造です。そら働くことが嫌にもなるし、仕事が楽しいとは思わないし、なんのために働いてんだ。ってなるでしょうよと。
 学校が教えないのが悪いと言っているのではありません。社会に出たことがない若者を採用するのであれば、彼らに対して仕事の意味や、キャリアの考え方、夢の持ち方、そこへの到達の方法、人のために働く喜び。給料をもらうということ。そんなことを伝えていく教えていくのは、受け入れる会社の責任ではないでしょうか?ということです。
 つまりは学生生活の延長戦として、しっかりと彼らがアウトプットできるようになるまで、彼らが自身で将来を見据えて歩けるようになるまで、「学校」のように自立を促す教育現場として会社はあるべきなのではないかという意見です。
 コロナ的な何かによって、学生時代がカラフルでない彼らも多いのだとしたら、社会人ってこんなに楽しいんだぜ!!こっからでも2,3年分は余裕で取り返せるしいっしょに社会で盛大に仕事を通して遊ぼうぜ!って大人が言ってあげないといけないし、そのスタンスで生きていかないといけないんだと思っています。
 彼らはキラキラした原石だし、日本のミライそのものです。大人が磨いてあげず「ガクチカ」で選び、突然「アウトプット」させるのが本当に今やるべきことなんでしょうか?そんなこんなを全部ひっくるめてのアンチテーゼとして「会社なんか学校でいい」と僕らは言い出しました。

ビジョンマップに込めた想い

来年10週年を迎える僕らは、ビジョンやブランドの一新をこの1年かけてやっています。創業から今までの失敗をもう一回思い出し共有し、社員や業界や求職者の方への想いをもう一度言語化し、一つ一つ言葉を選びながら未来への約束として2025年チャレンジと称し、ビジョンマップをブラッシュアップしています。そこの大事なキーワードが「会社なんか学校で良い」となっています。会社の過去と今とミライを全部ぶち込んでA4用紙一枚にしたこいつは、なんだか愛おしくて、ここからのミライユの未来をウキウキさせるものになりそうです。


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