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投票の義務化について――投票率低下の原因を一方的に有権者におしつけるのは間違い

 自民党の石破氏が講演で「投票は義務にすべきだ」と語ったことが議論になっています。

 石破氏としては野党を食いちぎることの一環でもあり、場合によってはこうしたことも争点として改憲することを考えているのだと思われます。彼の発言に様々な打算があることは、注意してみていれば気付くでしょう。この発言をめぐる議論の中で、おそらく石破氏の計算通りに、複数の野党の政治家が投票の義務化に追随していました。

 この須藤元気氏の発言は無邪気でほほえましいものですが、「自らの意思で3回連続投票に行かなかった人は選挙権を返上してもらう」という国民民主党の源馬謙太郎氏の提案はとても許容することができない危険な思いつきです。

 この提案は日本国憲法第15条に違反するものであり、実際に改憲して一部の国民から投票する権利をとりあげることを考えているのか、あるいはそもそも憲法を理解していないのか判然としませんが、このような政治家はまず自分の議員バッジを返上するのが道理でしょう。

 なぜ国民に義務ばかりおしつけ、憲法に保障された権利を奪う方向に仕向けようとするのでしょうか。有権者によって選ばれる立場の政治家が、特定の有権者から「選ぶという権利」そのものをとりあげようとする発言をしたとき、私たちはそれに一丸となって対抗しなければなりません。日本国憲法には、このように記述されています。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

 歴史を振り返れば、政治が生活に牙をむき、権利が奪い去られていったことが幾度となくありました。だからこそ私たちは、口先だけで民主主義を語りながら、それを破壊しようとするものに対して敏感でいる必要があると思います。

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⭐投票率の実態――低下は「ある時期」に起きている

 「投票率を上げる」あるいは「投票を義務化し強制する」ということを考える前に、そもそも投票率の低下はいつ、どのようにして起こったのでしょうか。投票率の議論をするためには、まずはそうした投票率の実態を知っておく必要があります。それは地方選挙と国政選挙でやや傾向が異なりますが、国政選挙に関しては明確な事件があるのです。

 下の図は、1990年までの衆院選の投票率の推移です。

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 これを見て、投票率の低下が起きていると思われるでしょうか。多くの人は逆に、投票率は70%前後で維持されているというふうに見るはずです。

 しかしその後はこうなったのでした。

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 つまり、1990年まで衆院選の投票率はベースが一貫して高かったものの、1990年以降はそれが崩壊してしまい、郵政選挙と民主党への政権交代という特殊な2回の選挙で伸びただけだと見ることができます。

衆院選投票率の推移3

 この1990年代にこそ投票率の崩壊をもたらした原因が潜んでおり、それを解くことによってこそ投票率改善の道が開けてくるはずです。また、後に述べるように、この原因を知らずに投票を義務化し強制したところで、まったく意図に反した問題が起こりかねません。

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⭐1990年代に無党派層が急増した

 1990年代に何があったのか? 実は、その時期には無党派層の急増が起きています。

無党派層の変遷

 図:時事通信の世論調査による日本の無党派層の推移(出典は成田洋平(2009).政党支持を失う要因 -日本における無党派層増大の謎)

 ここで無党派層というのは、「支持政党を持たない人たち」を表す用語です。たまに無党派層を「政治に無関心な人たち」と誤解した議論を見かけることがありますが、それは間違いです。有権者のなかには特定の支持政党を持たず、政治家の言葉を見極めたり、政策を比べてそのつど態度を変える層がいますが、こうした人たちは無党派層に含まれます。私たちは政治と関わる上で特に政党を支持しなければならないわけではありません。

 しかしまた、こうした無党派層が増加すると、政党が支持基盤を失っていくことも事実です。そしてその時々の「風」に左右され、集合離散を繰り返すことを結果するわけです。

 それではなぜ、1990年代に無党派層の急増が起きたのでしょうか。それは投票率の崩壊とどのような関係にあるのでしょうか。

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⭐政党に失望した人たちの発生

 この時期の大きな出来事は、1991年のソ連の崩壊です。米ソ冷戦の狭間にあった日本において、自民党はいわばアメリカ寄りの代表格となり、社会党はソ連寄りの代表格となってきたわけですが、この構図が壊されると政治をめぐる対立軸が不明瞭になりました。すると、やがて結束を失った自民党が1993年に分裂したり、距離感の縮まった自民党と社会党が1994年に連立政権を担う事態となるなど、政界再編の時代に入っていくわけです。

 ですがこれと同時に起きた、1991年~1993年のバブル崩壊の影響を見落とすことはできません。バブル崩壊後、国民は次第に経済的な苦境に立たされていきます。これがソ連崩壊と重なった結果、弱体化した左派の政党や労働組合は労働者の権利を守っていく力がありませんでした。そして与党も野党も新自由主義へと向かっていったのです。(※ただし共産党は例外で、自主独立路線をとっていた結果、社会党のような打撃は受けずにむしろ1990年代に党勢の拡大が見られます)

 この時期、日本の政治は労働者を守るのではなく、むしろ非正規化を進め、ブラック企業を野放しにしてきました。その中で、多くの人たち――とりわけ若者が、安定した雇用の中で結婚して子供を育てるという従来の生活スタイルを持てなくなりました。

 社会に出ていく時にそういう展望を描けない道へ進まざるを得なかった人たちが多く生まれました。それは政治がもたらしたものであり、政党から距離を置く層や、政党に失望した層の急増がおこりました。

 無党派層の増加や投票率の低下が政界再編とともに起きたという従来の政治学者らの解釈は、もう少し実感のある言葉で言い換えるなら、政界再編のなかで結成された新党も既成の政党も、当時の有権者がおかれた苦境に対してなにもできなかったということであり、政党は自分たちのおかれた苦境になにもしてくれないと思った人たちがいっぱい出現したということにほかならないのです。

 ここで次の図を見て下さい。

48衆政党支持率

 上の図は、48回衆院選の後に実施された意識調査をもとに、与党の支持率を下側に赤色で、野党の支持率を上側に青色でまとめて、年齢別に表示したものです(調査の出典)。(政党名を表示したものはこの記事に載せています

 この図からは、18・19歳から50代までに、灰色で示した巨大な無党派層が存在することが読み取れます。この50代というのは、ちょうど1990年頃に社会に出て、その頃に初めて選挙に行ってきた世代と重なります。そして、その後に続く世代の無党派層が一貫して多くなっています。

 今の無党派層の多さや投票率の低さもまた、1990年代からの失望が続き、それが降り積もった結果にほかならないわけです。バブル崩壊以降の日本の30年の停滞が、日本の社会の中にそういう一つの集団を維持してきたともいえます。

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⭐私たちはどうする必要があるのか

 有権者が政治の側を見なくなったんじゃない、政治が有権者を見なくなったんだ。そして都合のいいときにだけ「投票率を上げるには」「無関心層に訴えかけるには」と言い続けてきたんだ。ほとんど投票率の実態をなにも考えないままに――。まずはそれを自覚して、そこから変えなくてはだめなんです。

 「そんなことはない、うちはちゃんと有権者の方を見て政策を出している」って、政党関係者の人は思いますか? 伝わっていないんです。伝わってないからこうなってるんでしょ? 伝わってないということはコミュニケーションできてないということでしょ? ということは、結局相手のことを見ていない、理解できてないということではないですか。その結果として訴えかけが独りよがりになっているということではないですか。それで相手を「無関心層」とか言ってないですか? そういう態度は全部見られてますよ。世論調査によると有権者は決して無関心ではないんです。そう、相手は無関心ではないんです。

 投票率低下の原因を、一方的に有権者の側に押し付けないでください。

 今の政治に有権者の責任があることは一面は事実でしょう。そうした制度の下で私たちは民主主義をやっています。しかし他方で、政治家が制度を作り、その枠内で国民を振舞わせているということもまた事実なのです。政治家と有権者はたがいに向かい合う関係でもあり、政治は政治家と有権者が交互作用しながら進めていくものです。その交互作用が機能不全に陥っている問題を解かなくてはいけません。

 ですから投票を義務化することで何かが変わると思ったら大間違いです。投票率の低下が、この社会における政治の信頼の問題にほかならないからです。投票の義務化というようなことでは、政治の信頼が失われて荒廃した現実が何も変わらないからです。そのなかで投票に強制的に動員したらどうなるでしょうか。同調圧力や、票の取り合い、相互監視、政治的な実体のない単なる票のやり取りが生まれるのに決まっています。

 私たちが向き合うべきは、小手先の制度ではなく現実です。現実の問題に正面から向き合ってください。

 人間は変わりうる存在です。これまで棄権してきた人たちだって新たに投票に行くことがあるわけです。2009年の政権交代では、小選挙区比例代表並立制の導入以降で最も高い投票率が記録されました。それは、これまで投票に行かなかった人たちが、希望を見て投票に行ったからにほかなりません。先の源馬謙太郎氏の「自らの意思で3回連続投票に行かなかった人は選挙権を返上してもらう」という発言は、そうした人間の持つ可能性をも否定しているのです。

 これまで棄権してきた人も投票に行きうる。私たちは変化する。変わりうる。変えていこう。いつだってそこにこそ希望があるのではないですか。

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🔸 投票率を上げるとは、どういうことか
🔸 政権交代に不可欠なこと
🔸2020年の論点100(文藝春秋)p.80-83「1990年代の激変と現代における『政治の空白域』――三春充希」
🔸武器としての世論調査(ちくま新書)p.157-172
Twitter : はる/みらい選挙プロジェクト@miraisyakai
Facebook : 三春充希(みらい選挙プロジェクト)
note: みらい選挙プロジェクト情勢分析ノート

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