見出し画像

復職のことを考えて思った事

復職のことを考えると、自分に「センスがない」としきりに言ってきたお局のことが頭に浮かびます。

適応障害になった3年前は、そのキツい人格否定がクリティカルヒットしていました。

当時は、「自分がダメな人間なんだ」と落ち込みましたし、「こんな簡単な仕事をミスするなんて死んだ方がいい」とまで思い詰めました。

なんでそこまで落ち込んだのかと言うと、他人の言うことを間に受けすぎたのだと思います。「他人の評価=自己評価」となっていました。

もし今そんなことを言われたとしても、口で「すいません、ドンキとかに売っていればいいんですけど」とか適当に返答しながら、頭の中では「俺はそうは思わない。はい終了。」と考えることができるのではないかと思います。これぞ「自他の区別」ですね。お前はお前、俺は俺ってやつです。

そもそも他人がどう思おうと、その人の勝手ですからね。だからといって、デリカシーのない言葉を発するのは、マナー違反だと思いますが。

あとは、目標を高く置きすぎないということも、自己肯定感を保つには必要だったのではないかと思っています。

誰からも好かれるなんて無理だし、全部の仕事を間違えずに実行することも無理。毎日やる気満々に仕事をするなんて無理だし、体調が悪いときがあるのは当たり前。

そこが完璧主義だったりプライドが高いと、常に緊張状態じゃないといけなくなるから、ずっと正座をしているようなもので、足の感覚がなくなるのと同じく、心の感覚がなくなって当たり前ですよね。交感神経が優位になるので自律神経が乱れちゃいますし。

それでは、なんで完璧主義になってしまうかというと、おそらく「完璧でないと愛されない」「ミスをすると嫌われる」という観念があるからだと思います。もしかすると、そういう経験をしたことがあるのかもしれませんね。そういう過去のトラウマをベースに考える手法を哲学者アドラーは”原因論”といっています。

一方で、”目的論”で考えると、「愛されたい」「嫌われたくない」という目的のために、「完璧でいよう」「ミスをしないようにしよう」という考え方をしていたということになります。

つまり、一言でいうと、承認欲求が高すぎたんですね。だから、そのために不完全
な自分だと嫌われると勝手に思い込んで、高すぎるハードルを自分に課していたのだと思います。

ですが、改めて考えて見ると、優秀だから、その人を好きになるわけじゃないですよね。むしろ、少しダメなとこがあったり、失敗談を明るく話してくれる人の方が断然好かれますよね。

それに「愛されたい」「好かれたい」「嫌われたくない」ということを目的にしてしまうと、嘘をつかなければならなくなるんですよね。

例えば、「好かれたい」相手がお相撲さんみたいに太ってる人が好きだからって、太るんですか。

そうやって、付き合う相手などによってコロコロと好みや雰囲気が変わる人っていますけど、なんか軸がない感じがして、あんまりよい印象はないんじゃないでしょうか。八方美人って言葉もありますよね。誰からも好かれようとする人って、「いい人」なのは間違いないんですけど、「好きな人」にはならないんですよね。

好きな食べ物が、「酸素」っていう人いないですよね。

自分自身も、狩野英孝さんとか、そういう感じの雰囲気の人が大好きですし、カンニングの竹山さんみたいな偉そうな人が苦手ですが、竹山さんみたいな人が好きって言う人がいるからTVに出ているんですもんね。

だから、話を元に戻すと、「愛されたい」ということを目標にするのは止めてしまった方がいいだと思います。他人にどう思われようと、どうでもいいですよね。嫌われてもいいから、嘘をつかないで、演技をせずに、あるがまま生きる事ができて、人生が楽しくなるんだったら、その方がいいですよね。

そしたら、10人に1人くらいは、自分のことを好きになってくれる人がいるはずだから、その人とだけ本音で話せばいいんじゃないですかね。

自分のことを嫌いな人がいても、不機嫌に対応してくる人がいたとしても、別にその人たちのご機嫌とりのために生きてるわけじゃないんだもの。

「生きる」ことが目的で、どうせ生きるなら「楽しく生きたい」。そのためには、嘘をついたり、自分を演じてはいけない。でもそうなると、以前よりも嫌われることが増えるかもしれない。でもその方がきっと、幸せなのかもしれない。

とりあえず、三食美味しいご飯が食べれれば幸せです。それ以外のことは、遊びの延長だと考えて、気楽にやっていきたいなと思っています。

取り留めもない文章でした。
最後までご覧いただきありがとうございました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?