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自分で自分を大切にする

こんにちは。日曜日から火曜日まで調子を崩して寝込んでいました。久々、うつ症状が出ましたが、3日程度で、やんわりと回復してきました。

今回、気付いたことは、自分が調子悪いときはいつも「自分は必要のない人間だから死んだ方がいい」と思ってしまっているということです。(普段、資格試験の勉強をしているのですが、それがストップしたことにも落ち込んでしまいました。)

なんでそんなことを思ってしまうのかというと、父親からそういう教育を受けていた(洗脳に近い)からではないかと考えています。

小学生の頃から「必要な人間になれ」と言われましたし、「必要のないものは捨てろ」と大切にしていた漫画やゲームを捨てられていました。そういう自分を「大人でかっこいい」と思い込むことで、悲しい気持ちに蓋をしていたように思います。今でもそのことを覚えているということは、本音では嫌だったんですね。

そんな風にして育った結果、双極性障害につき休職中の現在の自分を、社会にとって「必要のない存在」だと判断して、「死んだ方がいい」と、幼い頃に捨てられてしまった漫画と同じように、扱ってしまったのだと思います。

しかし、父親が植え付けた変な哲学(思い込み、スキーマ)は、父親がそう思っていればいいだけのことなので、自分には関係ありませんし、そういう考え方を自分は選択したくありません。(人それぞれなので否定もしませんが。)

まず、前提として、価値観は人によって異なるので、「必要かそうでないか」の判断基準を他人に押し付けてはいけないと思ってます(平和を愛するのであれば…)。それこそ、「自他の区別」が必要ですし、他人にとっては必要ないものでも、自分にとっては必要なこともありますよね。

また、少し話が逸れますが、小学生の頃、学校の先生に「雑草でも生きている価値がある」という話をされ、「花と雑草じゃ価値は全然違うだろ」と違和感を覚えたことがあります。確かに花屋で大金を払って雑草を買う人なんていません。希少価値があるから、経済が流れるのだと思います。そこには客観性が必要です。

その話と同じように、「自分が(誰にとっても)価値がある存在だと考えよう!」という自己啓発には意味がないのではないかと思っています。それこそ、思い上がりだし、自己愛が強すぎるように思います。自分にとって価値があっても、そこに客観性が欠けていれば、他人からすれば押し付けがましいだけですよね。

自分に置き換えて考えると、実際、ここ1年以上、休職しているので、「社会にとって」は、生きている価値なんかないと思っています。もっとバリバリ働いている人の方が「社会にとって」は価値があるに決まってます。自分は社会にとって価値があるんだ!と声高に主張する気もありません。

社会にとってみれば、まるで雑草と同じです。でも、そんなことはどうでもいいんです。

自分のメンタルを整えて、人生を充実させるために重要なことは、自分が「社会にとって」価値のある存在かどうかではなくて、自分自身か自分のことを価値のある存在だと認識できているかどうかなのではないかと思っています。自分にとって自分が必要であれば、それでいいんだと思います。

それに、せめて自分くらいは、自分自身のことを「価値のある存在」だと思わないと、自分が可哀想じゃないですか。

もしかすると、これまでの人生、自分で自分のことを「価値のある存在」だと認識する勇気がないから、「両親からの愛情」「学校の成績」「社会的地位」など、他者にゆだねていた。誰かに承認してもらえれば、自分のことを愛することができる、そんな「甘え」があったのではないかと思っています。

自分のことを大切に考えることができないなんて、普通に考えれば変な話だし、わからない人には意味がわからないと思います。例えば、虫歯の辛さは、虫歯の経験がある人にしかわかりませんから、それと同じですね。

きっと「自分で自分を大切にする」ということができていれば、「自分は必要のない人間だ」といった考えに苦しまずに済んだのではないかと思います。仮に社会にとって不必要な人間だと思われていたとしても、自分が自分のことを必要としていれば、それは大した脅威にはならなかったはずです。

「自分で自分を大切にする」ということができていれば、それを他人に求める必要がありませんし、だからこそ、親や先生、世間から得られる承認にとらわれず、「自分がやりたいこと」や「自分が好きなこと」に集中することができるのだと思います。

なお、他者からの承認を求めてしまうのは、それがないと「生きていけない」と思い込んでいるからであって、その鍵は、幼少期にあると思っています。幼少期は、両親から守られないと、承認されないと、生きてはいけません。その「見捨てられ不安」を揺さぶられた経験が多ければ多いほど、承認されないことに対する恐怖心が植え付けられてしまいます。だからこそ、その恐怖から逃れために、他者の承認を最優先に考えてしまうようになったのではないでしょうか。

しかし、他者の承認を最優先に考えてしまうと、簡単にいうと、生きるのが面倒になります。まるで他人の課題を無理矢理やらされているようなものですから、生きるのがだるくなるのは当たり前ですよね。それに、もし他者から承認されても、何にもなりませんから。好きな人に認められたら嬉しいかもしれませんが、そのために頑張り続けるのっておかしいですよね。きっと続かないと思います。ありのままの自分では好かれないってことですから。まるでホストに貢ぐ田舎から出てきた女の子みたいで可哀想。

最後にまとめると、自分の人生を快適に生きるためには、「誰かにとって必要のない存在かもしれないけど、自分が自分のことを必要としていれば、それで良し!」ということですね。どんなことがあっても、自分くらいは自分の味方でいたいものです。

今度うつ症状になったときは、このことを思い出して乗り切りたいと思います。

最後までご覧いただき有難うございました。




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