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対人関係の悩みについて

対人関係の悩みの根底には、その「相手」への過度な期待がある場合が多い。
例えば、相手の言葉遣いが冷たく感じられた時。

「そんなに冷たい言い方しなくていいのに」
「私が悪いのかな」

そんな風に悩んでしまうと、精神的に辛くなってしまう。
そして、そんな時は、自分が優しくされることを期待している。
(大抵の場合、それは無意識に)

一方で、他人に優しくするかどうかは、その他人の自由だという事実がある。
法に触れない限り、それを罰する資格なんて、誰にもないはず。

もちろん、「優しさ」に触れると、ホッとする。職場でも、冷たい言葉遣いはしない方がいいのは間違いない。心理的安全性の高い職場は、働きやすい。自分はそう思う。ただし、それはあくまで自分の考えであって、そう思わない人がいてもいい。

また、それとは別の問題で、「もっと他人に優しくしてほしい」という願望が心の奥底に潜んでいると、「他人に優しくされること」を前提に考えてしまう。他人に優しくされない出来事が発生すると、自分が悪いと責めるか、その他人が悪いと怒ってしまう。

例えば、アダルトチルドレンは、基本的に愛情不足なので、親に(無条件に)優しくされた経験が薄いので、本来子ども時代に消化されるべき願望が、大人になっても残ってしまう。

そのくすぶった「他人に優しくしてほしい」という願望があると、「冷たい言葉遣いをする人」や「感じの悪い人」に出くわすと、その願望が打ち砕かれ、怒りや悲しみが発生してしまう。

そのため、アダルトチルドレン的な傾向がある自分への自戒を含め、今一度認識したいのは、「他人にとって自分はさほど重要ではない」ということ。あくまで、それぞれが自分の人生の諸問題で手一杯。そんなに手厚くもてなして貰うほどの人間ではない。(天皇じゃないんだから。)

それに、「自分が優しくしてほしい」という願望が優先されてしまうと、結局、それは自分勝手になってしまう。そういう相手とは、健全なコミュニケーションは取り難い。「他人は自分の機嫌を取るための、自分に優しさや心理的安全性を提供するための道具ではない」からだ。そういった相手を束縛するような不自由さは、相手を酷く疲れさせてしまう。

また、「大切にされたい」から「〇〇をする」と、それはやはり自分本位なので、結局はその相手に疲労感を与えてしまう。例えば、「人よりも優位に立てば愛される」という思い込みがあると、無意識にマウントを取るような言動を取ってしまい、嫌われる。

例えば、「優しくすれば愛される」という思い込みがあると、過剰な優しさを相手に提供してしまい、都合良い人間だと思われるか、重い人間だと思われる。結果的にメンタルのバランスが崩れ、精神的な借金状態に堕ちってしまう。

結局、「誰かを大切に思う気持ちに、理由なんかない」のだから、誰かに大切にされるために、何かをする必要(条件)なんてない。

そして、「大切にされたい」という願望を、家族ならまだしても、ましてやただの他人には抱かない方がいい。もし他人に冷たい言動を取られたとしても、シンプルに「冷たい人だなー」と思っていればいい。どんな言動をするかなんてその人の自由だし、何かをすれば必ず好かれる、なんて幻想だ。だから、自分を責めなくてもいいし、好かれようと努力する必要もない。

そんな暇があるなら、氷が入ってキンキンに冷えたアイスコーヒーを飲んで、のんびりする方が百倍いい。そんな風に思う。

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