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許せないけど恨まない

誰かを恨むことは、常に臨戦態勢にいるようなもので、とても疲れます。過去のことを過去のことだと流せないのは、まだ傷口が痛むからです。だから、傷口を治すことで、痛むこともなくなり、体が臨戦態勢に入って、誰かを恨むことはなくなるはずです。

そして、その傷を治す治療薬こそ、「自己承認」なのだと思います。その辛い経験を経ても尚、死なないで生存している自分。その恨んでいる相手にひどいことをされたかもしれないけど、それでも尚、生き抜いてきた。そんな自分を褒めてあげればいいと思います。他者からの承認なんかに頼らないで、これまで自分がしてきたことや、今生きていることに自信を持てばいいんです。そうすれば、過去に受けた傷も、いつかは治るし、その相手を恨むこともなくなると思っています。

なお、誰かを恨むということは、百害あって一利なしです。身体が臨戦態勢に入るので、相手を攻撃しようとしますが、肝心の相手は目の前にいません。その人への怒りを空ぶかしするようなものです。まるで空気を殴りつけるかのように、何も得られない割に、疲労感が溜まってしまうんです。正直言って、精神的に疲れるので、人生の幸福度を上げたいのであれば、なるべく「恨む」という行為は控えた方がいいと、私は思っています。(自戒の意味を込めてます。)

しかし、他人のことを「許せない」と思うことは、別に問題ないのではないかと思います。「許すor許せない」というのは、自分の価値観や自分の気持ちに則って、相手をジャッジしているだけなので、そこまで体力を使わないし、心の中で何を思おうと、その人の自由だからです。堂々と「許せない」自分を認めてもいいと思います。

「許せないけど恨まない」

そんな世界も成立すると思います。

むしろ、「家族だから許さなければならない」とか「他人を許せないのは器が小さいことになってしまう」とか、誰が最初に言い出したんだかわからない理屈に影響されて、「許せない」自分に罪悪感を持ってしまうことの方が、大問題だと思います。例え家族だろうと、嫌なものは嫌だし、許せないことは許せませんよね。

それに、もしお互いを大切に思っている人同士なのであれば、きっと「許せないこと」よりも「嬉しかったこと」の方が圧倒的に蓄積されているはずですし、それなら尚のこと、「恨む」必要なんかないですよね。

思うがままに書いたので長くなりましたが、最近まで悩んでいたことだったので、自分なりに考えがまとまってよかったです。

最後までご覧いただきありがとうございました。










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