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「今を生きろ」という言葉の危険性

よく「今を生きろ」「今を大事にしろ」という言葉があります。よく「未来や過去ばかり気にしていないで、今の気持ちを大切にして行動しよう!」というモチベーションを上げるための意味合いで、これらの言葉が使われます。

しかし、双極性障害(躁鬱病)の自分にとっては、危険な言葉でもあります。なぜなら、今を生きるためなら、将来を犠牲にするような極端な行動、社会通念を逸脱した行動さえも、肯定してしまいかねないからです。

例えば、ギャンブル。「今勝ちたいから、後のことは気にせず全財産つっこもう!それが今を生きることだ!」という考えに至りそうで怖いです。というか、実際、20代の頃は、こういう発想で借金をしました。

また、暴力。「今こいつをボコボコにしないと腹の虫が治まらない。将来なんてどうなってもいいから、こいつを半殺しにしよう。今の感情を大事にしよう」という考えにもなりそうです。他にも薬物やアルコール依存、不倫、マルチの勧誘など、全てが、この「今を生きよう」という言葉の誘惑に弱いのではないかと思います。

多分、自分のことを大事にできる普通の人間は、今の自分だけではなく、過去や未来の自分のことも大事にすることができるのではないかと思います。未来の自分が困った状況になることが予測できるのに、今の快楽を優先させることは、「自分を大事にする」という発想からかけ離れているように思います。

もちろん、かといって未来を気にしすぎるあまり、今の気持ちを抑制しすてもストレスが溜まります。

ではどうすればいいのかというと、「バランスをとる」ということに尽きるかと思います。

ダイエットでも、チートデーを設けた方が無理なく痩せられると、YOUTUBEで有名なインストラクターが言ってました。また、受験勉強なども、定期的に休息日を設けないと、逆にストレスで能率が落ちます。「見たいアニメは日曜日にまとめて見るよう予定しておくから、今は勉強に集中しよう」とか、そういう考え方をすれば、今の自分も未来の自分も大事にできるのではないかと思います。

そして、そういう対立するような概念のバランスを取ることで、白黒思考やゼロ100思考はしないで済むというメリットもあるのではないかと思います。

そうしないと「勉強をするべき!」という追い込み方をしてしまい、「アニメを見たい!」という自分の欲求を否定してしまうことになります。別に「勉強したい」「アニメを見たい」という欲求も同列ですし、どっちが素晴らしいというわけではないと思います。

承認欲求が高いと、つい誰かに褒められる「勉強したい」という欲求ばかりすくい上げ、「アニメを見たい」という欲求を否定するために、「勉強をするべき」という強制力を持ち出し、自分を追い込んでしまうのですね。

ですが、それは必ず反動がきますし、次第に「やりたいこと」「好きなこと」「嫌いなこと」がわからなくなります。それはまるで局所麻酔のようなものなので、それを四六時中使ってしまえば、後遺症のように、本当に麻痺が残ってしまいます。

だからこそ、「今はテストが近いから勉強をするけど、テストが終わったら必ずアニメを見よう!」とか、そんな風にしてバランスを取ることが、「未来」「今」の両方の自分を大事にすることなのではないかと思います。

ですので、「今」の自分の感情が、「未来」の自分を困らせてしまうようであれば抑制することは必要ですが、だからといって、「今」の自分の感情を全否定するのではなく、バランスをとった行動を心がけるということが大切なんですね。

こんなことをしたら未来の自分が可哀想だ!

そういう「未来の自分も大事にする」というストッパーがあれば、躁状態のときのような、極端な行動は避けられるのではないかと思っています。

最後までご覧いただきありがとうございました。





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