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「自分のことを大事にできない」という病

自分のことを大事にできないと、心身ともに悪い影響があります。(これは実体験なので、”悪い影響がありました”と言った方が正確ですね。)

例えば、「自分のことを誰かに大事にしてほしい」という甘えの欲求が過多になってしまい、愛情欲しさに「都合の良い人間」になってしまったり、要求の多い「かまってちゃん」のような人間になってしまう可能性があります。

また、自分のためにお金を使うことに罪悪感を感じてしまうため、ギャンブルや怪しい投資話などでお金を増やそうとしてしまいます。なぜなら、価値の無い”あぶく銭”じゃないと、もったいなくて使えないからです。頑張って稼いだ金だと意味がないんですね。この心理こそがギャンブル依存症になってしまう根本的な原因なのではないかと思います。

そして、一番良くないのが、自分のことを大事にできない人は、他人のことも大事にできないということです。

自分のことを大事にできないと、「自分を大事にして欲しい!」という欲求で頭が一杯になります。当の本人にとっては死活問題かもしれませんが、それぞれが自分の人生のことで手一杯ですので、100%の時間と労力を注いでくれる相手なんていません。そのため、過度な期待を抱いた相手に対して、それに応じてくれないことへの「怒り」を感じてしまいます。しかし、それは客観的にみれば「甘え」「わがまま」ですが、本人は被害者意識を感じているので、自分が悪いという意識はなく、「自分の要求を叶えられない相手が悪い」と相手を批判してしまうのです。

そのような手前勝手な要求をされたあげく、批判的な言動をされた相手からすれば、たまったものじゃありませんよね。しかし、そこに「親孝行をしなければならない」「妻は夫に尽くすもの」といったような「思い込み(スキーマ)」があると、無理にでも、その要求に応えようとしてしまい、ストレスを溜めてしまいます。ある意味、洗脳に近いものだと思いますし、世代間によってもギャップがあるのではないかと思います。ただし、基本的に公序良俗に反しない限り、自分の意思に従って生きる権利が誰にでもあることは、紛れもない事実だと思います。決して誰かが言う「当たり前」に従う必要なんかないんです。

また、その奉仕ともいえる行動が報われることはありません。なぜなら、「自分を大事にして欲しい」ということで頭が一杯な人は、「自分は大事にされるべきである」と確信しているため、「大事にされることが当たり前」だという世界観で生きています。しかし、それは現実世界では果たされないので、いつまでも不満のタネを探し、相手を批判してしまうのです。まるで、わがままなお嬢様といったところでしょうか。

特に、「自分を大事にして欲しい!」ということで頭が一杯な親のもとで生まれると、結構大変です。そういう親は、自分のことで精一杯なので、子どものことを大事にする余裕がありません。その子どもは、親の不機嫌のお世話をしなければならないし、「大事にされた」という実感がないまま育ってしまいます。自分もそうでした。

しかし、「自分は大事にされるべきである」といった全能感みたいなものは幼児期に満たされるべき欲求です。それが満たされないまま大人になると、いつまでもその欲求を他者で埋めようとしてしまう、いわばアダルトチルドレンになってしまいます。そういう生き方をすると人間関係は壊れますし、結局は自分が苦しむことになってしまいます。それに気がついたときに、生き方を真剣に変えようとするか、もしくは、誰かを批判したり憎んだまま生きるかが、分かれ道になるのではないかと思います。

基本的に「自分で自分を大事にする」「自分で自分の機嫌をとる」「自分で自分を励ます」「自分で自分を愛する」という生き方をすれば、不安定な他者からの評価や言動に影響を受けることがないので、メンタルは安定するように思います。これは実体験ですが、自分もそのようにマインドシフトしたところ、双極性障害の症状はかなり落ち着いたと思っています。

また、そのようにマインドシフトした結果、誰かから0.1%でも優しさを与えられただけでも、素晴らしいことのように感じられるようになりました。なぜなら、「誰かに大事にされる」ということが当たり前じゃないと、考えることができるようになったからです。

これまでは、誰かに「してくれなかったこと」がやけに目につき、悲しい気持ちになったり、怒りが湧いたりしてきました。しかし、生き方をシフトしてからは、誰かに優しくしてくれたことや、与えてくれたことが目立ち、世界が綺麗に見えたものです。

ただ、もっと親に優しくして欲しかったな…と思わなくもないですが、仕方ないことだし、今更手遅れなので諦めています。愛情は誰かに貰わなくても、自分で育むことができると信じています。私の場合、相棒の猫を撫でてるだけで、自分の心に愛情が湧く感覚を味わうことができています。きっと、私にとっての猫みたいな存在が、みなさんにもあると思います。


そう考えると、私が「自分を大事にして欲しい」という甘えの感情を持っていた頃は、誰かに優しくしてもらったとしても、それを心から感謝できない、とても嫌な奴だったのではないかと思っています。それにも関わらず、被害者意識を持つと、そのことに気がつきもせず、他人を批判しようとしていました。そんな生き方をしていたら、きっと大切な人さえ傷つけてしまいますよね。

そして、その原因が、「自分を大事にできない」ということにあったのだと思うと、ますます深刻な問題なんだと思いますし、なかなか治りにくい症状なんじゃないかと思います。とくに、幼少期に親から「大事にされる」という経験が薄い人だと、トラウマが関わってくるので、なおさら治療するのに時間がかかってしまうのではないかと思います。

もちろん、うつ病などの精神疾患は脳の機能の問題なので、考え方を変えれば治るといった単純なものではありません。私も抗うつ剤を今でも飲んでいます。

ただ、その当事者の意見をお話しすると、うつ症状になると、親や上司などから批判されたり、周りに「死んだ方がいい」と思われてるような妄想を常にしてしまいますので、そのときに「別に関係ねーし」と反論することができるロジックがあるだけでも、希死念慮の荒波を乗り越えやすいのではないかと思っています。自分は、そういう理論武装することで、だいぶ楽になったのは事実です。

感覚的なものも大事ですが、結局、信頼できるのは「言葉」やそれを連ねた「ロジック」だと、つい思ってしまいます。

結局、どんな物事でも「なんで?」という問いを突き詰めないとモヤモヤしてしまう性分だし、その根本の部分を曖昧にしたまま妄信的に何かを信じるのは、逃げているように思ってしまいます。

そういう考えすぎてしまう性格が自分をうつ病にしたのではないかとも思います。ただ、最近はそんな自分も嫌いじゃないのですが、決して大好きでもないので、「友達以上、恋人未満、ただし、本人。」という奇妙な感じになっています。

最後までご覧いただきありがとうございました。


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