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「迷惑を掛けてはいけない」という考え方について

インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教える、だから「人に迷惑をかけてはいけない」と教える日本はダメだという論調を、ネット上でたまに見かけます。

確かに、人に迷惑を掛けないで生きることは不可能なので、そういった日本的な教えは、少し不寛容な気がします。ヒンドゥー教的な大らかさに憧れる気持ちも分かります。

しかし、インドのように、どんな迷惑も許せ、という教えも少し極端な気がするので、迷惑の度合いの問題も考慮しないといけないのではないかと思っています。

例えば、AさんがBさんに20%の迷惑を掛けていて、BさんがAさんに80%の迷惑を掛けていたとしたら、差が生じるので、Aさんに不満が溜まるのは心情的に理解できます。

おそらく、良好な人間関係を築けている時は、お互いに掛け合う迷惑の度合いと、与え合うメリットの差し引きが大体同じくらいになっているケースが多いのではないかと思います。

例えば、誰かに迷惑を掛けられたとしても、他のシチュエーションでは逆に助けて貰っていたり、感謝の気持ちを表してくれてさえいれば、そこまで不満は堪らないような気がします。(その人の寛容さにもよりますが…)

さらに、仲が良い相手であれば、親密度ポイントが加点されるので、その分の無礼講が通用します。ただ、これに関しても、「親しき中にも礼儀あり」なので、迷惑を掛けられた時、そのことに対して「ありがとう」の一言もなく、当然だという顔をしていたら、やがて関係性は崩れていくように思います。

そのため、他人に迷惑をかけること自体は仕方ないけれども、最低限、その人に感謝をしたり、できるだけのお返しをして、その人に不満が溜まらないように配慮をすることが大事なのではないかと思います。

そして、迷惑を掛けられたとき、もし不満が溜まったり、見返りを求める気持ちが強くなってしまった場合は、お互いに掛け合う迷惑の度合いと、与え合うメリットの差し引きがマイナスになっているということなので、きっと無理をしているんだと思います。

さらに、注意した方がいいのは、そのような不満や、見返りを求める気持ちを卑しいと思って、押し殺してはいけないということです。「その関係性を続けていると体調を壊しちゃうよー」という危険信号のようなものだからです。

その危険信号が出た場合は、きっと無理をしてキャパを超えているのだから、その相手への時間・労力の提供を無理のない範囲に留めた方がいいですし、場合によっては、その相手に交渉したり、それとなく示唆したり、場合によっては、関係性を見直すことも必要でしょう。

そして、インド的な「自分も迷惑をかけるんだから、迷惑を掛けられも許せ」という考え方は、きっと無理のない範囲でしか迷惑を掛けられないように、その相手と交渉したり、我慢をせずに我を通すことができる国民性が前提にあるからこそ、成り立っているのではないかと思います。そうすれば、不満は溜まらないからです。

色々考えましたが、「人に迷惑を掛けてはいけない」という日本的な考えは、「感謝」や「お返しをする」といったマナーとワンセットで成立する考え方なのだと思いますし、「迷惑をかけるし、迷惑を掛けられても許せ」というインド的な考えは、「無理をしてまで相手に与えない」「損をしない」という交渉文化があるからこそ成立しているのはないかと思いました。
(何かで読んだのですが、インド人はものすごく値切り交渉をしますし、平気で何時間も交渉するらしいですね。損をしたくないという考えが人一倍強い印象があります。)

つまり、下記のような( )の補足があれば、より洗練された考え方になるのではないかと思います。

「人に迷惑を掛けてはいけない(ただし、もし迷惑を掛けたら、感謝やお返しを忘れるな)」

「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい(ただし、損をするな)」

そして、結局はどちらも、「お互いに掛け合う迷惑の度合いと、与え合うメリットの差し引きが大体同じくらいになるようにしろ」と、同じようなことを言っていて、ただ表現が違うだけなんだと思います。

最後までご覧いただき有難うございました。



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