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「〇〇でなければならない」という思考の弊害

「自分は〇〇だ」という自己イメージ、アイデンティティが強固な程、「〇〇な自分以外は認められない」とまで考えてしまうようになり、自己肯定感が下がり、人生に不自由さを感じるようになります。

さらに、「みんなも〇〇でなければならない」といったように一般化してしまうと、他人に対する怒りが引き起こされます。

例えば、「ミスをしない完璧な自分」という自己イメージが強固になると、「ミスをしてはいけない」という思い込みとなり、それが自分を苦しめます。

「ミスをしてはいけない」という緊張状態は心身ともに疲労を蓄積させますし、ミスした場合、それを隠そうとしたり、過度に自分を責めるといった不適切な対応をしてしまうようになってしまいます。

また、「優しい自分」という自己イメージが強固になると、「人に優しくしなければならない」という思い込みとなり、明らかにキャパシティを超えているのに、無理をして人に優しくして疲労感を溜めてしまったり、見返りを求める気持ちが出る自分を責めて悪循環に陥ってしまったりもします。

自分に厳しすぎる、真面目でストイックな人ほどうつ病になりやすいとよく言われています。それはこれらの例のように、「真面目」「ストイック」「優秀」「優しい」といったような、誰かに承認されやすい、もしくは過去に誰かに承認されてきた理想的な自己イメージを、「それ以外は認めない!」と異常なまでにこだわってしまうことにより、疲労感を蓄積してしまったり、自己肯定感を低下させ、やがては、うつ病が誘発されてしまう可能性が高いということなのだと思います。

私自身、適応障害や双極性障害を経験してきましたが、それまでの人生では「〇〇でなければならない」という考え方をしていましたし、その考え方を他人に押し付けてしまっていたので、それを守らない他人に対して、強烈な怒りを感じてしまっていました。それが、心身の不調に繋がっっていた要因の一つでもあるのではないかと思っています。(他人に対する怒りを我慢することが、一番疲労感が溜まることだからです。)

そういった経験を積んできた私ですが、最近では、人間は天使でもなければ悪魔でもなくて、その両方を行ったり来たりするものなのではないかと思っています。

時には、誰かに意地悪になったり、嫌な思いをさせてしまうこともありますし、その一方で、誰かに優しくしたり、誰かの救いになったりすることもあるはずです。

時には、真面目に頑張ったり、継続して努力することもできますが、その一方で、サボったり怠けたり、予定をすっぽかしてダラダラしたりすることもあります。

そのどちらにもなる自由が誰でにもありますし、その時の状況や、環境、相手、自分の精神状態、疲労感、好き嫌いなどによって、自分の在り方や対応も変わって来るのではないかと思います。

しかし、「〇〇な自分じゃなければダメだ!」という思い込みが強いと、その自由意思を制限することになってしまうので、息苦しくなるに決まっています。また、それを「みんなも〇〇じゃなければダメだ!」と一般化して他人にも押し付けてしまうと、その期待通りに動いてくれない他人にイライラしたり、怒りを抱えてしまうことになってしまいます。

例えば、「優しい自分じゃなければダメだ!」という思い込みが一般化されて「人には優しくしなければならない」という信念を抱くようになってしまうと、優しさが欠ける人に対して、イライラしたり、怒りを感じてしまいます。

しかし、冷静になって考えてみれば、誰かに優しくするかどうかは、その人が決めることですよね。他人があれこれ口出すようなことではありません。もちろん、強制力の伴ったルールが制定されているのなら遵守するべきですが、ルール化されていないのであれば、その人の自由意志です。その人を批判するのは、お門違いと言ったところでしょう。

もちろん、職場や学校で思いやりや優しさが欠ける人がいると、何となく感じが悪いですし、迷惑ですよね。でも、その人が好き好んで、優しさの欠けるコミュニケーションを選択しているのだから、外野は放っておくしかないんです。もしそれでも目に付くなら、距離を取って関わらないようにするか、その人をいじめて追い出すか、説得して性格を変えるかしかありませんが、現実的に考えて、距離をとって関わらないようにするのが、恨みを買うこともありませんし、トラブルを回避できるので、一番コスパが良いのではないかと思います。

それに、人に優しくするということは、結果的に、自分が気持ち良かったり、その人が笑顔になって嬉しかったり、その人と仲良くなれたり、何かしらのメリットや得るもの(利益)があるから、時間や労力を掛けれるし、それがなければ、成立しない行動なのではないかと思います。

もしそれが無いのなら、結果的に使った時間や労力が無駄になってしまうので、無理をしてしまうことになりますし、その疲労感は精神を蝕んでいくように思います。

それを考えると、思いやりや優しさが欠ける人は、きっと優しくすることにより得られるメリットよりも、時間や労力を使いたくないという気持ちを優先させているだけですし、その人にとっては、それが得なんだと思います。そのため、その人の優しさの欠ける行動を批判するのは、その人の価値観や自由意志を否定することになるので、避けた方がいいかもしれません。(誰かの価値観を否定するということは、自分の価値観も否定されていいということになるので)

そのようにして、他人の「〇〇じゃない行動」を否定せずに、「その人の勝手だよね」と放っておくことができれば、万が一、自分に余裕が無かったり、時間や労力が不足していて人に優しい行動ができない時も、自分を責めたりせずに「そんな時もあるよね」「別に自分の勝手だし」「したいときにすればいいよね」と自分自身の自由意志を尊重することができるようになります。

そして、最終的には、「人に優しくしなければならない」といった縛りから、自分自身を解放することができるようにもなるのだと思います。

今回は「優しい自分じゃないとダメだ」という自己イメージを例に挙げましたが、他にも「真面目な自分」「失敗しない完璧な自分」「面倒見がいい自分」「誰にでも気に入られる自分」「人の機嫌を取れる気を遣える自分」など、いろんな自己イメージから自分を解放して、その時の状況やキャパシティに応じて、自由意志でその行動を選択することができるようになれば、きっと自己肯定感が上がったり、他人に対する怒りが鎮まるのではないかと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。





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