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★連載46★スピリチュアルな視点:自分軸と他人軸⑤              

☆他人軸からの卒業を経て、自分軸へ


ですが、他人軸のままの捉え方ですと、自分という私が、本当は何を望み、何を願っているのかも分からなくなってしまうのです。

他人の存在が前提での自分ですから、他人がいなくなり、自分ひとりになったら、自分という存在を、どのように扱って良いのか分からなくなってしまうのです。

それは、常に自分と他人を比べながら生きてきたらでもあるのです。

比べる事で判断をし、比べる事で選択をしてきた結果なのです。

これは、他人を通じて学んできたので当然の事なのです。

その結果、あなたの望む幸せ、あなたの望む本当の願いは何か?という事を知る為の学びでもあったのです。

逆に、比べる事ができなければ、何を選択して良いかが分からないからです。

ですから、常に自分と他人を比べてきた理由でもあるのです。そして、比べる事にも意味があり、比べる事による結果も、自分自身が受け取って感じている事でもあるのです。


☆他人を軸にしてきた自分から、自分を軸に生きて行く


みんなと同じで良いと思って生きてきたのですから、あなた個人の望んでいる事を何をしても良いといきなり言われても、本当の望みというものが一体何なのか?考えてしまうのです。

少なくても私自身はそうでした。
自分自身の本当の望み、本当の幸せと感じる事は一体何なのか?と戸惑いました。

他人軸の視点の捉え方は、自分という個人を見失ってしまう要因でもあるのです。

他人に合わせ、他人の言われるように生きてきたのですから、自分という個人を意識せずとも、他人に合わせていれば、無難に生きてこられたのですから。

そこからの卒業なのです。


☆自分を軸に生きるとは


そのような事に気が付き、私は本当にこのまま他人軸のままで生きていて良いのか?と、大きな疑問を自分に投げかけています。

そして、みんなが良いと言っている、みんなが良いとしている事を実際にしてきた結果、本当にそのような現実になったかのか?という事も考えてみたのです。

1◆他人を優先にしていた事により、自分が喜ぶ事を後回しにしてきたり、
我慢してきた事に気が付き、自分自身を大切にせず、むしろ自分自身が蔑ろにさえしてしまってきていた事に気付きました。

2◆他人の意見に合わせていた事により、自分の意見があっても我慢をして、いつしか自分の意見って本当は何だろう?自分の意見ってあっても必要無いのではないか?と無意味、無価値観を感じていました。

3◆他人に迷惑をかけないようにていた事により、いつも周りを見て、どれが正しいか、どれが間違いかと考えるようになっていました。

4◆他人に認められるようにとしていた事により、いつも自分に色々と課して、人よりも何か秀でるものが無いといけないと考えるようになっていました。

5◆他人と比べる事により、どちらが正しいか、どちらが間違いか、常に考え、自分が正しいのだと、人と言い争う事が多くあったと感じました。

他人を軸に生きてきた事により、本来の自分の軸というものから、掛け離れてしまい、自分の本当の考え、自分の本当の気持ち、自分の本当の思いを感じられなくなってしまった自分にも気付きました。

自分の事を考えなくても、他人に合わせる事の方が楽であり、例え、自分の事を考え、意見を言ったとしても、多数の意見に決まってしまう事が大半だったからです。

そして、自分の意見なんか、通らない。通るはずが無いと自分自身に言い聞かせるようになるのです。

他人軸で覚えた事は

『他人を大事にしないとならない』
『他人の言う事を聞かないとならない』
『人には迷惑をかけてはいけない』
『人に認めてもらえないといけない』
『人より優れた人にならないといけない』

もっと、沢山あるかと思いますが、これら言われ続けてきたと思います。

全て、他人ありきなのです。
全て、自分は後回しなのです。

人は他人の為に生きていかなければならないのでしょうか?
人は自分の為に生きてはいけないのでしょうか?

我慢や忍耐が美徳のように言われきました。
大人なら我慢や忍耐が必要。
我慢も必要。
耐える事も必要。

これらは、『自己犠牲』の中で成り立っているものなのです。

そして、辿り着く所が

『諦める事』
『割り切る事』

だったのです。

言葉を言い換えれば、セルフネグレクト(自己虐待)をするように教えられてきたのだと感じました。

このような風潮も、もちろんありました。

昭和の時代、学校の先生が、生徒に教育の一環として、叩くという事は見られていました。

悪い事をしたら叱られる。
悪い事をしたら怒られる。
悪い事をしたら叩かれる。

こんな事を学校や家庭で躾として受けてきました。

今、そんな事を学校の先生がしたものなら、親から訴えられる時代です。

自分よりも他人を大切にできるという気持ちは大切であると思います。

ですが、他人を大切にするのと同じように自分も大切にする事。これが忘れてはならない事なのです。

それが置き去りだったのではないかと感じます。もちろん、個人の価値観で違いはあります。

そこに気付き、自分を大切にしていく事を教えてくれているのが自分軸の捉え方なのです。

他人よりも自分が可愛いのは当然の事ですが、実際、私は自分と向き合えば向き合う程、自分自身の事を理解もできていなかったし、大切にする事ができなかった自分というものに気が付いたのです。


この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。

一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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