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大阪のコメダ珈琲で『風立ちぬ』を読み軽井沢に感謝した日のこと。

タイトルが思いつかなかったので、そのまんまを書いた。

書く時はあまり寝かしたり推敲したりせず、勢いで公開する派。

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 1週間前に2泊3日の軽井沢旅行から大阪に帰ってきて、noteに書こうという気持ちはあった。

ただ、2日の有給により滞った仕事を平常に戻すべく、平日の在宅ワーク日は朝から晩まで机に向かい、週2回の出社日は珍しくどちらも飲み会で夜遅かった。

予定の無い休日もあったのだが、なんだか気が乗らず、後回しにしていた。心のどこかで、早く書かねば記憶が薄れる…いや、私自身の書きたい気持ちが完全に無くなってしまう…と少し焦っていた。

今日こそ書こうと心に決めていた。しっかり朝寝坊をして、掃除や買い物をし、作り置きの調理などしながら昼ごはんを食べ、やるべきことはやったのに、PCを立ち上げることが出来なかった。

散歩に出ることを決めた。今日は春のように暖かいから。

都島橋から大川を見下ろすと、川べりの木々が色鮮やかに紅葉し、川面は晴れた空の色を映してきらきらと光り、一方で少し先に目をやると護岸工事をしているのだろうか、重機が並び物々しい。その構図が面白く、しばらく立ち止まって見る。こういう景色と出会えるから散歩は楽しい。

さて、あてもなく30分ほど歩いたが、まだ書ける気配がない。なんて、作家でもないのに筆が執れない風を演じつつ、少し暮れ始めた道を帰る途中でコメダ珈琲店に寄る。

軽井沢から帰った翌日kindleにダウンロードした、堀辰雄の『美しい村・風立ちぬ』を最後まで読もう。


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今回軽井沢には母と二人で行った。小豆島旅行でも味を占めたGOTOトラベルキャンペーンの恩恵を最大限享受すべく、クラシックホテル好きの母が「万平ホテルに泊まりたい」とのこと。私も古いホテルは好きで、また軽井沢なんてほぼ縁が無いと思っていたため、二つ返事でその話に乗った(西日本の人間あるあるだと思うのだが、東京以外の関東・東北に足を延ばす機会が滅多にない)。

軽井沢て確か長野県だよね、程度のレベルだったが、避暑地のイメージくらいはあったので、きっと素敵な場所だろうと期待しながら出発したのであった。


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お昼過ぎに到着。雲一つない快晴だった。だが標高940mは…寒い!

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万平ホテルのある旧軽井沢から、軽井沢駅を超えて南に下ると塩沢湖がある。湖を中心にした軽井沢タリアセン(ウェールズ語で「輝ける額」)という施設を訪れた。

かつて文学少女だった母の希望で軽井沢高原文庫に行き、立原道造、堀辰雄、芥川龍之介、室生犀星、北杜夫など軽井沢ゆかりの作家の展示を見た。

私は全く文学少女では無く、でも昔の書簡や、当時使われていた道具など見るのは好きなので、興味深く見学した。母はウン十年前の多感な少女期の記憶が呼び起こされたようで、しみじみと見入っていた。

その後、湖のぐるりを歩き、睡鳩荘で華麗なる朝吹家一族の栄光を知り、カレーライスを食べてペイネ美術館に行き、次は私の希望でムーゼの森を楽しんだ。最低気温氷点下2度、最高気温9度という、なにしろ寒い1日だった。


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塩沢湖ほとりにある睡鳩荘(すいきゅうそう、旧朝吹山荘)。室内インテリアが素敵だった。


旅行の最終日は、しなの鉄道にて軽井沢駅から二駅隣、信濃追分へ。堀辰雄の終の棲家があり、今は堀辰雄文学記念館となっているのだが、そこにも足を運んだ。追分宿の本陣の門が移設されており、紅葉が美しく素晴らしい出で立ちだった。

そこで詳しく彼の年譜を知り、『風立ちぬ』のヒロインのモデルが綾子という実在の人物ということも知った。

写真もいくつか展示されていたが、木村伊兵衛が撮影したという彼の横顔の写真が忘れられない。なぜあんなに惹きつける写真を撮れるのかしら。


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信濃追分の泉洞寺にある歯痛地蔵尊。堀辰雄がよく散歩がてらお参りに来たそう。ちんまりとしてかわいかった。

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さて、コメダ珈琲での読書に戻る。

作中で、堀辰雄は自分の「ノオト」を書けずにいたり、放っておいたりする。散歩をしながら自分のノオトに取り入れるモチーフ探しをしている。

(…わかる、その気持ち。note書けないときって、散歩するよね。なんて)

『美しい村』では、彼は何かしらの心労を受け軽井沢の高原に来ており、過去の記憶と照らし合わせながら、景色や人々を注意深く観察し、悶々とした日々を送っている。ある日、背の高いやせぎすの少女に出会い、それまで興味深く見ていた様々なものたちへの関心が褪せるほどに、彼女の存在が大きくなっていく。

『風立ちぬ』では婚約した彼女(節子)との闘病生活が書かれている。「幸福」という言葉が繰り返し使われ、それはバッドエンドに向かう物語の中でどんどん研ぎ澄まされた意味合いになっているように感じる。完全な幸福ってあるのかな、などと考えさせられる。電子書籍にハイライトを入れながら、堀辰雄と綾子との関係を思う。


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読了。

軽井沢旅行を通じて、私は堀辰雄のことを理解したなと思っていた。

でも、今日。

コメダ珈琲でソイラテをお供に電子書籍を読みながら、堀辰雄という人物像が、圧倒的な手触り感をもって私の中に浮かび上がってきたことに驚いた。

堀辰雄文学記念館では、彼が実際に住んでいた居間や、死ぬ前に完成した書庫を見ていた。めちゃくちゃダイレクトに彼の人となりが在る場所に居たはずなのに、私は1週間経過した今、大阪の街中で、デジタル画面を見ながら、彼の存在をその時よりも非常に実感しているのである。

なぜだろう?

『美しい村・風立ちぬ』が一人称で語られる実体験を元にした作品であること。また、作中に出てくるものたちに、80年の時を超え、私は実際に触れていたんだ…という気づきが、この感覚を抱いた理由かもしれない。

先週、軽井沢でまさに見た、別荘の様子、つるや旅館、峠の力餅屋、ショーハウスなどの描写が出てくる箇所を読むと、物語のリアリティを感じると共に、この本が書かれた当時より以前から、時を超えてそれらが残っていることに鳥肌が立った。

そして、確かに堀辰雄という人物が居たことを、深く理解したのである。

軽井沢という場所を持続している(これまでしてきた)全ての人たちに感謝したい気持ちになる。そして日常に戻り目まぐるしいこの1週間、見返すことの無かったスマホの写真を見る。

確かに軽井沢は、美しい村だった。


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軽井沢の父、アレキサンダー・クロフト・ショーの礼拝堂。堀辰雄もこの道をよく散歩したんだろうな。

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前の小豆島旅行での尾崎放哉の印象といい、私は案外、土地と文学作品が記憶に紐づきやすいのだろうか。
堀辰雄のお陰で、私の中での軽井沢がさらに魅力的な場所となった。

『大和路・信濃路』もすかさずダウンロードしたし、ジブリの『風立ちぬ』も幸いなことに未鑑賞だし、しばらく堀辰雄と軽井沢の記憶を楽しもうと思う。

大阪の東梅田から夜行バスで9900円で行けるようだし、今度は夏に行ってみようかな。

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次回は万平ホテルについて書こうと思います。







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