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平和を生きる私が、食べることをおざなりにしないために

戦争経験者の祖母に余命宣告を受けた話

食べるのが苦手だ。何を食べたい?と言われるのはもっと苦手。料理も嫌い。買い物、調理、片付けとプロセスが多いくせに食べるのは一瞬だ。割に合わない。

幼い頃、東京空襲と伊勢湾台風を生き延びた生命線ゴン太の祖母から「この子は食が細いから、30歳まで生きれないに違いない。」と言われたらしい。

かろうじて生き延びたけれど、残念ながら祖母はすっかりボケてしまって既に会話が成り立たない。

この勝負、私の勝ちとさせていただいてもいいだろうか。

私を追い詰めた離乳食とツイッター料理の救い

33歳の時に離婚してからはますます料理から遠かっていた私。再婚してからも「夫が作ってくれたら食べる、不在なら寝る」がスタンスだった。

ところが昨年息子が生まれた。離乳食が始まり、絶対絶命の大ピンチ!

ベビーフードは柔らかすぎて咀嚼機能に不安が残るので、毎日は使えない。料理と息子の食事が終わると疲れ切ってしまい、プロテインだけ流し飲んで倒れ込むように寝る。離乳食開始後、一気に2ヶ月で5キロ体重が落ちた。

さて、そんな我が子ももうすぐ1歳半。ペースト状のお粥をちびちび舐めていたのに、今じゃスプーンを持ってアンパンマンカレーを食べている。

保育園では1歳4ヶ月から幼児食といって、離乳食を卒業して未就学児向けの食事に切り替わる。具材の切り方や薄味で、生ものはまだ食べれないとて、かなり大人の食事に近い。

そうすると、一品料理を作れば息子とシェアして一緒に食べることができる。調理の手間が一度で済む。これが転機となった。

そして、役に立ったのがツイッターだった。なにしろ写真が4枚しか貼り付けられないので、必然的に作業工程&材料が少ないメニューしか掲載できないんじゃなかろうか。気になるレシピをブックマークしては時々作っている。

こうして産後19キロ痩せた体重はやや上昇傾向にある。名残惜しい気もするけれど、三食食べるようになって体調を崩しにくくなった。今がベストバランスなのだろう。

料理上手な祖母は、本当に料理が好きだったのか

一方で、祖母の料理はいつも手間がかかっていた。

生のいわしをすりつぶして作るいわし団子とか、おせち料理のなますもびっくりするほど細く丁寧に切ってあった気がする。マーガリンの空き箱をタッパーの代わりに使っていたっけ。

実家は商いをしており裕福で、女学校への進学が決まっていたのに空襲で全てを失い、やむなく映画館で住み込みの仕事をして下のきょうだいを養った。母親は戦火こそ免れたものの30代前半で亡くなったらしい。

祖母から聞く昔話は浅草のデパートでプリンを食べさせてもらったとか、上野の博物館の入り口には鉄道模型があってよく涼みに入ったとか、戦前のハイカラな暮らしぶりが伺えた。

ただ戦後や子育ての話はほとんど聞いたことがない。苦労と我慢の多い人生だったのだろう。

介護施設に入る時に「70年も包丁握っていたんだから、もう作らなくていいと思うとせいせいするわ!」と言っていた。料理は昔の女性にとって数少ない生存戦略だったのだろう。好きとか嫌いとか考える隙はない。

食べないことをなじりはしても、そのことで祖母に怒られた記憶はない。女の子でも大学は出なさい、仕事は手放すな、言われたのはそれだけだ。

生きて食べて、食べて生きて、人生は続く

先月、初めて息子を祖母に見せることができた。昼食前で腹が減っていたようで「あらー。あらあらーーー。」と言ったきり、職員さんを促してさっさとエレベーターの中に消えていった。生きる気力はまだまだあるらしい。

生きて食べて、食べて生きて。人生はその積み重ねだ。

自分のためにはできなくて、息子がいてやっと私は生きたいと思えるようになってきたのかもしれない。ずいぶん贅沢な悩みじゃないか。

今年ももうすぐ終戦記念日だ。毎年その日の夕食はすいとんが出てきたけれど、醤油味か味噌味か、そもそもすいとんは何でできているのか、全く記憶がない。ネットで調べるのもいいけれど、たまには母に聞いてみようかな。

それでは、明日もいい日になりますように!


普段のお仕事はこちらです🌿飯田橋で骨格診断・パーソナルカラー・顔タイプ診断のレッスンをしています



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