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対話的思考〜焚き火からはじまるリーダーの物語〜

【モノローグ】

会議は1時間後に迫っていた。
今月も収益状況は厳しいままだ。言い訳がましいことは言いたくないが、しっかりと理解してもらわないと、部署としての存続も危うくなるかもしれない...
説明の筋書きが頭の中を駆け巡る。

瞬間、後ろに気配を感じる。2年間の研修期間を間もなく終えようとしている部下が立っていた。「お忙しいところ、すみませんが…」
プログラミングを学んで別の道に進みたい」嫌な予感ばかりが的中する。

リーダーになった頃は「部下の気持ちに寄り添って、一致団結して結果を出すチームをつくりたい」、「自分が見てきた上司たちのいいところは見習って、悪いところは正していけばいい」と思っていた。若手の頃からビジネス書は結構読んできたし、同期がゴルフや飲みに行っている時間にもビジネススクールに参加してきた。自分ならできると思っていた...

そう言えば、最近会社で笑っていない。部はどうなってしまうのだろう。
子どもの寝顔も見られていない。小さい頃は早く子どもに会いたくて、駅から走って帰ったこともあった。「子どもはすぐに大きくなってしまう。今という時間を大切にしよう。」、「見本になりたいとまでは思わないが、頑張っている姿を見せたい。オヤジの背中ってやつだ。」

今の背中は見てほしい背中なのだろうか?
子どもに何が伝わっているのだろう?
仕事は仕事として割り切れるものだろうか?

【追ってくるのは何者か】

仕事では時間に追われ、数字に追われて。誰も先が見通せていない中で、上司からは常に結果を求められ続けている。その一方で、部下は答えばかり求めてくる。
提案した新規事業を立ち上げることになった。メインの事業とも相乗効果があり、SDGs等の世界的な潮流からも、将来を考えると絶対にやるべきだと確信していた。最大のライバル企業も前年度に進出していたが、訴求ポイントをしっかり絞り込めば十分戦えると考えていた。問題は誰が旗を振るか?だと思っていた。会社は旧態依然としていた。役員クラスは保守本流といった顔ぶれだ。新製品・新規事業開発は重要だとずっと言われていたものの、開発は技術ありきのモノばかりで、社長の鳴り物入りで始まったはずのプロジェクトも“3年経てば撤退”を繰り返していた。熱い想いに駆られて新製品の開発に取り組んでいた人も気がつけば元の部署へと戻っていった。組織としてもプロジェクト自体を忘れようとしているかのようだった。

【火中の栗】

「提案したからと言って必ずしも自分がやることはない...」、「火中の栗を拾っても火傷するだけだ」、そんな思いが強かった。
しかし、当時の上司から背中を押され、一緒に検討してきた同志からの「もう腹をくくるしかないんじゃないですか…」の一言で気持ちが固まった。
得体のしれない何かに飛び込むような感覚があった。

やがて新しく部署ができた。
私と運命をともにすることを決めた?2人の同志、これが私たちのすべてだった。
当時は「最も大切なリーダーの役割は、戦略の立案と意思決定だ」と考えていた。今にして思うと、ここがボタンの掛け違いのはじまりだったのかもしれない。
オペレーターの派遣社員の方も決まり、みんなの頑張りで何とか新規事業をスタートすることができた。トライ&エラーを繰り返すしかない日々で、いつもすべてが不足していた…

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