ゴリラは森にいる。人間はどうか?
本を閉じると
表紙のゴリラと目があった
じっとこちらを見つめている
そして、静かに問う。
「ゴリラは今でも森にいる
森から旅立った人間はどうしているか?」
読書会の選書をすることになった。
折角だから少し変わった選択ができないか。
あまり学術的すぎず、浅すぎもせず。
会話がはずむような…
内容を理解したり、情報を交換するだけではないような読書会
そう、対話する読書会。
紡ぎ出される言葉の背景を共有して、関係が深まっていくような
間を大切にして、新しい関係が生成されていくような
対話的な場となれば、味わい深く豊かな時間になるだろう…
そして、対話的読書会が生まれた。
「人は言葉なしに思考することはできない」いつだか聞いた。
「言葉の解像度を上げろ」こちらは社会人大学院の先生の口グセだ。
「人間は言葉に頼り過ぎだ」
ふと、出張帰りの飛行機で見たドキュメンタリー番組が頭をよぎる。
京都大学の山極さんの言葉だった。
こうして、『ゴリラの森、言葉の海』の対話的読書会が始まった。
対談相手は、言葉にならない世界を言葉で創り出す小説家。
『博士の愛した数式』の小川洋子さんだ。(他にも著書は多数あります!)
読み進むにつれて、ゴリラとヒトが対話している
ような不思議な感覚に見舞われる…
画面越しに対話している自分たちも
もしや もはや ゴリラなのでは?
言葉はイメージを広げる素晴らしい力がある
その一方で、
意味を固定化させてしまう威力も有している。
固定化された言葉どうしがぶつかり合ってクダケチル
言葉で切り取られなかった者はワスレラレテイク
分かり合えず 溝はただ深まっていく。
「人間は進歩や効率を追求して何を得たのか?
そして何を失ったのか?」
単に意味を伝える記号としてでなく、
喜びを分かち合う言葉を大切にしたい。
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