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焚き火からはじまるリーダーの物語

● 不吉な予感
● ともに歩く
● ダイアローグ

【不吉な予感】

 すべてが試行錯誤、慢性的人員不足。それでも、理解し合い支え合って何とかやりくりしていった。
その頃の私は、「3年で結果を出さないとつぶされる、周囲の期待を超えていかなければ」そんなことばかりを考えていた。混乱の1年目が終わり2年目に入ると仲間が1人2人と加わった。「これでなんとか軌道に乗れる!やりたいことも少しずつできるようになる」と思い始めた頃から少しずつ意識のズレが芽生え始めていたのかもしれない。事業立ち上げ時を知らないメンバーが増え、それに伴って予算も大きくなるにつれて綻びが見え始めた。
 ある日、背後に気配を感じて恐るおそる振り返ると、間もなく2年間の研修を終えようとしていた2年目の若手が立っていた。
本人の将来も考えて、無理をして行ってもらった3ヵ月の海外研修から帰ってきたばかりだった。将来と適性を考えて担当してもらっていたプログラミング系の仕事に興味が湧いてきて学校に通って本格的に学びたいという。
間もなく退職。無理に引き留める心の余裕はなかった。
さらに、指導員だった立ち上げメンバーの様子がおかしくなった。「○○さんの責任じゃないから気にしないように」とは言ったものの、笑顔はしだいに消えていった…

【ともに歩いていく】

 私が若手の営業マンだった頃は、「とにかく結果を出せ」の世界だった。中でも体育会系と言われていた営業部は、“客先に行っても必ず会社に戻ってくる”というのが掟になっていた。会社に戻った途端に首根っこを(本当に)つかまれ飲みに連れて行かれたこともあった。その後、席に戻って溜まった仕事を片付けて再び同僚と。とにかく毎晩のようにみんなで飲んでいた。今では信じられない話だし、完全に間違えた時間の使い方をしていたが、当時はその場で学ぶことも多いと感じつつも、「経過はどうでもいい、結論だけ言え」、「休みの日も会社のゴルフが最優先」に多少の違和感はあったかもしれない。自分が上司になったら変えていきたいと思っていた。時代も変わり、これまでの経験とMBAの学びを活かしてよきリーダーになれると思っていた。
 部下が「辞めます」と言ってくる前に何かできなかっただろうか?という思いがしだいに大きくなってきた。そして、ウェルビーイング、心理的安全性という言葉にすがるような思いでセミナーやプロジェクトに参加するようになった。やがて、対話の勉強会や集まりに参加するようになり、自分でも開催するようになった。私が会社を去る時に、はじめの2人が送別会を開いてくれた。3年前に退職した元部下に対しては何もできなかったという自責の念が強く、素直に謝りたいと思って店に向かった。お酒の力を借りてではあったが、お互いの心情をようやく話すことができた。心が温まるいい時間を過ごすことができたが、「もっと職場で対話をして、こんな関係性が出来ていれば違った結果になったのでは」というやり切れない思いも込み上げてきた。対話がなくて息詰まった関係性の中に閉じ込められているリーダーやメンバーも多いのではないだろうか。

~ダイアローグ~

 気がつくと涙を流しながら腹の底を語っていた。溜まっていたものが一気に流れ出るように。「どうして初対面の人たちにこんな話をしているのだろう。誰にも言いたくなかった自分の弱さをさらけ出して」、「どうして泣いているのだろう。人前で泣いたのは小学3年生の時以来か...」焚き火を囲みながら、そんなことが頭をよぎる。手のひらから温かさがじんわりと伝わってくる。
「こんなに忙しいのに休みなんか取れる訳がないだろう」、「初対面の人たちと焚き火を囲む?何のために?」妻があまりにしつこく勧めてくるので、焚き火ダイアローグというイベントに参加した。もしかしたら何かが変わるきっかけになるかもしれない、という気持ちがどこかにあったのだろうか。明確なテーマもゴールもなく、まずは聴く。そして判断もしない。その話を受けて自分が何を話すかも考えない。誰も言葉を発さず、薪が爆ぜる音だけが入ってくる。「この間は何だろう...何か話さないと。でも何を話せばいいのだろう...」ただ聴くってどういう感覚なのだろう。職場に対話があれば違った結果になったかもしれない…

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