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「幸せ」や「楽しみ」が怖い

「幸せだな〜」って感じることとか、「楽しみ!」ってワクワクすることが怖い。
理由を考えてみると、幼少期からこれまで、幸せを全力で味わった後にそれを失った経験や、楽しみにしていた予定がなくなって悲しんだ経験が何度もあったからだと思う。

例えば、
・楽しみにしていたイベントが家族の怪我で中止になった
・感染症にかかってしまい、たくさん練習して張り切ってた行事を欠席した
・コロナの流行で楽しみにしていた予定を諦めないといけなくなった

とか、、、

楽しみにしていた分、想定外の理由でそれを諦めないといけなくなった時のショックは落差が大きくて、結構辛い。

それぞれの経験はそんなに大きなものでなくても、何度も何年も積み重なっていくと、「ああまたこうなっちゃうのか」「世の中うまくいかないもんなんだ」「私からいつも幸せが逃げていく」って思ってしまう。

それで、楽しみはうまくいかない傾向があるから、「そもそも楽しみを作らないようにしよう」って楽しいことを避けてしまったり、楽しみな予定があっても「あまり楽しみにしないようにしよう」って思ってしまったりする。
楽しみにすればするほど、うまくいかない気がしてしまうから。

大学生くらいから、人との予定を入れるのが不安になった。
上記のような思いが根底にあって、だからこそ少なくとも自分の体調だけは当日まで万全な状態にしておかないといけない!!!って思いに駆られて、それが疲れるから。
花粉症で喉がイガイガしても、「風邪かな?大丈夫かな?」ってなるし、生理前でほてってるだけでも、「あれ?熱出る??」って心配になる。
大抵は気のせい、というか、人にうつるような体調不良ではない。
不安なせいで起きている(もしくは敏感になりすぎている)体調不良の場合が圧倒的に多い。

そんな訳で、人との約束は極力しないようになってしまった。
人に会う場合も、前日とか当日とかに約束することが増えた。
旅行なんかも、当日までキャンセルができるホテルを予約したり、新幹線等のチケットも事前に買った方が安いと分かっていても当日駅に着いてから買ったりと、逃げ道を確保している。
そうすることで少しでも心穏やかに当日を迎えようとしている。

今の自分のこの状態は、人生の楽しい選択肢をかなり減らしてしまっていると思っている。

「楽しみ」をただ楽しむことができなくて、
「楽しみ」を無事終えることが目標になっている。

もう少し考えてみると、楽しみが奪われる不安だけじゃなくて、「楽しんだら罰が当たる」と思っていることに気づいた。
子供の頃、勉強や習い事などに時間を割く必要がある環境だったため、遊ぶことは悪だと染み付いていった。
呑気に遊んでいたらテストで悪い点を取る、習い事でチームのみんなに迷惑をかける。
そうやって非難されるくらいなら、楽しいことはせず、遊ばず、ただ褒められることをしていようと受け身になってしまった。

遊ぶとか楽しむっていうのは、自分に責任を取るということだと思う。
私は今も昔も自分に責任を取ることが怖いから、遊ばないことで逃げている。

楽しむことへの罪の意識も「楽しみが怖い」に繋がっているんだと思う。

これらもスキーマ療法を通じて薄れていくだろうか。
そうだといいなと思いつつ、最近は日々モードワークに取り組んでいる。

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