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【町長×ミラツナ会議委員長×CDO座談会】なぜ、柳津町は“ミラツナ会議”に未来を託すのか? -前編-

「ミライツナガル会議」とは、若者世代の意見を取り入れ、町民参加のまちづくりを目指す福島県柳津町の取り組みです。
今回は、柳津町長 小林功、ミライツナガル会議委員長 齋藤寛、柳津町CDO(最高デジタル責任者) 藤井靖史の三人の座談会をお届けします。
座談会記事【前編】では、「ミライツナガル会議」立ち上げの経緯と、会議の中で大切にしている「失敗」の文化について。また、住民の声を行政に反映する「ミライツナガル会議」の可能性についてお届けします! 

■「ミライツナガル会議」発足の経緯とは

左から柳津町CDO(最高デジタル責任者) 藤井靖史、柳津町長 小林功、ミライツナガル会議委員長 齋藤寛

―ミライツナガル会議(以下、ミラツナ会議)の誕生秘話を教えてください。

小林 私は、まちづくりを大きく分けて2つの視点で捉えています。1つは、現在住んでいる町民が幸せを感じるようなまちをつくること。つまり、生まれてから亡くなるまで健やかに過ごせる生活環境を整えていくことです。

 もう1つは、10年後20年後に大人になる子どもたちのためのまちをつくっていくことです。中長期的に、住みやすいまちにするにはどうすればいいのか、どういう準備をしていけばいいのかという視点です。

 特に、中長期的な視点で考えるにあたっては、10年後20年後の柳津町に住んでいる中心的な世代に話を聞かなければなりません。ミラツナ会議は、こうした「若い世代の声を聞きたい」という思いが発端となっています。

―最初はどのような取り組みからスタートしたのでしょう。

小林 最初に取り組んだことは、役場の組織の変革です。以前は、役場の総務課の中に「財政」と「企画」が一緒になった企画財政係が存在していました。企画側は「新たにこんなことしたいから予算が必要だ」と提案する役割を担い、財政は「予算が足りないから削らなければ」と考えるのが務めです。この相反する力が同じ係の中にあり、もっというと同じ職員が担っていたこともある。この状況は、未来に向けた企画を考えるにあたってよいこととはいえないだろうと考えました。

 そこで、町長になって2年目に新しく「みらい創生課」を立ち上げたのです。正直にいうと、新しい課をつくることはとんでもなく大変でした。しかし、その組織を1年半でキックオフすることができたんです。そして、みらい創生課のメンバーと、「柳津町に10年後20年後に生活している中心的な世代で多様な職業の方々を集めていこう」と話し合い、2021年12月にミラツナ会議をスタートしました。現段階で、新たな未来を考えるにあたっての土壌づくりができたのではないかと考えています。

―ミラツナ会議のスタートを聞き、どのような印象を受けましたか。

藤井 私は柳津町にCDO(最高デジタル責任者)として参画しています。デジタルはあくまで何かをしようとする際の道具なので、「この道具を使って何をするか」という目的が重要になってくる。そういった意味で、ミラツナ会議は「何をするか」を検討する、なくてはならない土台になっていくと感じました。

 特に、人口が逆三角形の地方部においては、世代交代がしづらいという課題を抱えています。時と共に人口も減少していき、お金の流れも少なくなっていきます。そうなれば、どうしても大きく変えていく必要性に直面します。

 デジタル技術は、力が弱くなる部分をサポートし、力を与えていくツールでもあります。柳津町の10年後、20年後を支えていく世代を支える必須ともいえる土台です。現在の逆三角形の人口ピラミッドでは、若者世代の人数そのものが少なく、力をもつことが困難です。この世代をどうフォローしていくのか。その時に、デジタル技術が基盤としてなくてはならないと感じています。

―ミラツナ会議でもデジタル技術の活用がスタートしていますか。

藤井 地域では、デジタル技術を使うのが苦手であったり敬遠されたりする傾向があります。もちろん積極的にチャレンジする方も大勢いらしゃいますが、一人一人の価値観や生活スタイルを尊重することの方が重要なので、チャレンジを促して進めるのは困難です。

 将来を見据えたときに、ミラツナ会議はデジタル技術の活用の起爆剤になると考えています。ミラツナ会議のメンバーは、日常からLINEなどを活用し、テクノロジーの力によって、情報共有のスムーズさを体感しています。もはや連絡網を基に電話をかける時代には戻れないでしょう。会議の運営の中でも、オンライン会議で多様な地域の方とつながり、Slackで気軽に情報交換ができるような基盤を整えています

―ミラツナ会議にどのような経緯で参加しようと思いましたか。

齋藤 私は農業法人をしているので、これまでも町の農業関係の会議には参加し、農政に関する提案などを行っていました。また、農業に限らず、若い世代と話をしていると、「もっとこうしたらいいのに」「あの施設はこう活用したらいいのに」といった、町についての意見をもつ人がたくさんいることも実感していました。
 
 だから、ミラツナ会議のスタートを聞いた時には、これからの未来に向け、住民参加型の話し合いを行っていくのだと、すごく可能性を感じたのです。
 
 とはいえ、メンバーは一町民で構成されるので、そこまで深い知見を持っているわけではありません。専門性が必要な部分は、自分達も学びながら、藤井先生や石井(重成)先生とともに、今抱えている問題の解決や、未来に向けた議題について協力していきたいと強く思いました。

■秘伝のタレのごとく! 失敗こそ貴重な財産

―新たな取り組みのスタートと「失敗」はある種セットかと思います。失敗に対してはどう捉えていますか。

小林 これまで行政の仕事は、職員全員が「失敗しないように」「慎重に」と言い合いながら、前例を調べたり他の自治体に話を聞いたりして進めてきました。

 しかし、みらい創生課の仕事は、積もった新雪の上を歩いていくようなイメージで、何もないところを一歩一歩進んでいきます。その一歩が正しいのかどうかは誰にもわかりません。でも、失敗したら、方向を変えてまた歩き出せばいいんですよね。だからこそ、最初の段階で、「失敗してもいいという考えは大事にしていこう」と伝えていました。

藤井 失敗を是とすることは、すごく大きな意思決定だと思っています。従来は、失敗したらやめてしまったり年度区切りなので年度ごとにゼロに戻ったりしていました。そうすると、30年経っても何も進んでいないというようなことが起きます。

 やや比喩的になりますが、飲食店で30年間つけ込んだ秘伝のタレはそれだけで”引き”になりますよね。まちづくりもまさに同様で、失敗するにせよ、成功するにせよ、そのプロセスを重ね、30年間つけ込んでいくことで、秘伝のタレのような魅力ができあがっていくと考えています。

小林 新しいことを実現しようとしているのに、前年踏襲や他の自治体のマネばかりをしていても前へ進むことは難しいですよね。町のために考えて実行して失敗する分には問題ないと、私は思っています。

藤井 「失敗してもいい」という考え方は、時代の流れにも合っていると思います。以前は、「PDCAサイクル」として、<Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)>を回すことが重視されてきました。しかし現在は、「OODAループ」の<Observe(観察)→Orient(状況判断、方向づけ)→Decide(意思決定)→Act(行動)>の4つのステップを繰り返す手法が事業へのアプローチとしてふさわしいのではないかといわれています。「観察」からスタートするので、たとえ一見失敗に見えることがあったとしても、モノゴトに対する解像度は上がっていき、やればやるほど精緻になっていきます

 コロナ禍を迎えて、予測不可能な未来に向けた「プランを立てる」ことは非常に難しい時代となりました。動きながらどんどん解像度を上げていき、先ほどお伝えした秘伝のタレのように、より良いものに熟成されていく。これが時代の流れにマッチしていると感じます。町長がこうした動き方をサポートしてくださることはとても重要なことです。

齋藤 若い人の意見を聞いて、それをカタチにすれば成功するのかというとそんなことはないと思います。施策を実行するうえで重要なことは、さまざまな意見や根拠となるようなデータを集め、それをベースに企画・立案を進めていくことでしょう。また、どこかで町民にコンセンサスを得るというプロセスを踏むことで、より住民目線の施策になっていくのではないでしょうか。

 そして重要なことは、成功か失敗かではなく、その結果についての検証です。きちんと検証することこそが、次に進むために必要なことだと思います。

■住民の意見を行政に反映させる難しさ

―住民の意見を行政に反映させる難しさは、さまざまな自治体が感じている課題だと思います。

齋藤 ミラツナ会議に参画する以前から、行政に対して企画や提案についての協力は行っていました。これから必要な事項などについては行政も把握し、それについて検討していくわけですが、そこで感じたのは、やらなくてならないことはわかっているけれども、なかなか進んでいかないということです。

 おそらく行政に携わる方々も、一個人としては「今やるべきだ」ということは感じていると思うんです。しかし、全体としてなかなかそちらの方向を向いて進んでいくことができない。その背景には、行政と民間との意識の乖離があったり、役場の中での組織の垣根があったりと、スピーディーに動けないボトルネック(停滞してしまう部分)があるのだと思います。
 
 柳津町は大きな自治体ではないので、行政が住民とより近い関係性を築いていくことが可能ではないかと考えています。

藤井 タンカーとタグボートのような関係性で捉えられるとよいと思っています。行政はタンカーのような存在なので、方向転換がしづらいです。無理やり「こっちに行くぞ」と転換させようとしてもなかなか難しい。また、移動したら、その方向性でずっと移動し続けるという特性もあります。タンカーが安全に運行していくためには、タグボートのような小さい船も必要なんです。タグボートはタンカーをエスコートしたり着岸時には船の手足となったりします。ある意味、ミラツナ会議はタグボートのような存在だと思うんです。

 往々にして、様々な自治体ではこうした会議体ができると、議会から「住民から声を受けて発信するのは我々議員の仕事だ」というご意見をいただきます。しかし、若者が主体的に町に関わる機会を議会だけに限定するのはもったいないと思います。若者が動きやすいタグボートでの経験が、将来のタンカーの安全運行に寄与していくのではないかと思います。

齋藤 ミラツナ会議は町民の意見が集まる場、もしくは町民主体の会議体だとすれば、行政と議会、ミラツナ会議が上手に連携していくことで、町民の意見がもっとスムーズに届けられ、施策に反映されるのではないでしょうか。今は、そんなイメージをもってミラツナ会議に臨んでいます。


▶︎▶︎▶︎次回は、【町長×ミラツナ会議委員長×CDO座談会】なぜ、柳津町は“ミラツナ会議”に未来を託すのか?【後編】をお届けします!


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