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摂食障害18年続いた私の食事を振り返って


◆始まりは高校時代のダイエット

私の摂食障害の始まりは、当時はわかっていなかったけど高校時代の成長期に太り始めた気がして、友達と始めたダイエットだったと思います。

もちろん、ダイエットの前に夜中に勉強していておなかが空いて、
なにか食べにキッチンに向かうと冷蔵庫の中に作ってあったおかずをちょっとずつ食べ始め、
気づけば全部食べてしまっているということが度々ありました。

全部と言うのは、例えばマカロニサラダを大きなボウルにいっぱい父が作っていて(何日か分として)それを全部食べてしまうというような感じでした。

だから、本当の始まりは、この、夜中の過食かもしれません。

全部食べてしまったことへの罪悪感
食べた分だけ太ってしまう嫌悪感
夜中勉強しているはずなのに食べてるだけの時間を過ごしている自分のこと、
何もかもが本当に嫌でした

友達とダイエットの情報を交換しては、試してみる、食べる量をどれだけにしてみよう!と言った感じで一緒に頑張って、体重の報告をしあったりしていました。これが摂食障害の始まりだったと思います。

◆それでしか注目を集められなかった時代

痩せるということに関しては、高校時代はたいした成果を上げられなかった私も、大学生になるとちょっと減量に成功するようになりました。

ちょっと痩せてくると、まず、服を綺麗に着られるようになり、人と会うのも楽しくなって益々減量するようになりました。

減量できたことや、容姿含め、認められている感じがしてダイエットを続けました。

で・す・が!私自身本当に減量が必要だったのか?
というと多分、そうではありません。

「身長-105?=標準体重」というような式がありましたよね。

それに当てはめてもMAXあっても標準体重だったのです。
寝ても覚めても減量する事ばかり考えていて、ものすごく体重が減りました。
ものすごく体重が減ったら、周りは褒めるというより、心配し始めました。

ほめてもらえると思っていた私は「え?」となってしまったわけですが、それでも今度は痩せていれば心配してもらえる、注目してもらえると思ってどんどん痩せることに執着していったのでした。

◆奥様に相談してもらった答え

そんな摂食障害をどうにかしたいという想いもあり、
心療内科に通ったり、治すことができるという怪しげな催眠療法に行ったり、霊能者にみてもらったり様々なことを行いました。

それでも完治することはなく、食べたり食べなかったり食べ過ぎては吐いたりをしていました。

大富豪のもとにいても、食べ物のことで頭がいっぱいの時がありました。
私は奥さまに、摂食障害のことや、食べ物のことを聞きました。
なにか答えをくれると思ったからです。

奥さまは笑って

『からだがおなか一杯です、って言ったらもう食べなければいいだけのことよ』と言いました。

全然答えになってないじゃないか!って私は思いました。

私が求めていたのは、原因となった心の部分で、
幼少期の母親との関係や、どんなふうに育てられたのか?など
責任が誰にあるのか?を解き明かしてくれるような答えでした。(他責!)

なのに、奥さまの答えは、求めていることにかすりもせず、私の問題に全く取り合っていないかのようで、馬鹿にされている気がしていらだちました。

『どういうことですか?』と聞きました。

『あのね、あなたは食べている時に何を考えて食べているの?
口に入れて噛んで飲み込んで、今胃の中でどうなっているな~、こうなっているな~って思ったり、からだがもっと欲しいよって言ってるかな?とか
もう一杯だよって言ってるかな~とか、そういう体の声を聞いてないのよ。わかる?』と教えてくれました。

確かに、私は食べ物を食べ物として見ておらず、ノルマみたいな感覚で、
目の前のものをよーいドン!で食べ始めフードファイターみたいな食べ方をし、胃袋の限界とたたかい、
何事もなかったことにしたいためにトイレで吐き、
また目の前の残っている食べ物にファイトする。を繰り返していました。

まったく、今どうなっているなんてことも考えないし、体がどんな声を発しているかなんて考えもしていなかったのです。

声を聞く、どうしたら出来るのだろう?

どうしたら、声を聞きながら食事をするということができるのだろう?
また、私に疑問が湧いてきました。

◆私がひとりで生きているのではないと知ったときの感謝

体の声を聞く、チャレンジを何度も行いました。

声を聞く観察をしなければならないので、今までみたいな食べ方はできません。
少量ずつ、お皿に盛り付け、少しずつ考えながら食べる食事をしました。

最初はできませんでした。
いつもみたい途中からファイトするモードに入ってしまい、わけのわからない状態で食べ続け、失敗していました。

出来ない私自身に失望しながら、今日こそは!今日こそは!とチャレンジをし続けました。

食べ物に意識を向けていくと、その食べ物が私の目の前に来るまでにたくさんの人が関わってくれていることに気づくことができました。

育ててくれた人、物流に乗せてくれた人、販売してくれた人、調理してくれた人・・・
簡単に書いてもこれくらいはあって、
もっと細かく見ていったら本当に私という人間が一日生きていることは、たくさんの人やモノに支えられて成り立っているとわかったら、心から感謝の気持ちが溢れました。

食べ物たちが生命をささげてくれて私が今日生きられている、それなのに私は随分とその生命を粗末に扱ってきてしまった。

謝罪の気持ちと、それでも今生かしていただけていることに、感謝の気持ちと涙が溢れました。

◆内側の声を聞くことと環境

私のからだの声は、もうおなか一杯ということも、もっとちょうだいということもちゃんと発してくれていました。

私が聞こうとしていなかったし、無視し続けてきただけのことでした。

食べたい、食べたくないに限らず、私の内側は、たくさんの声を発していました。
この摂食障害とは完治するまでに約18年つきあいました。

ですが、私はこのことがあったから、より「内観する」ことの重要性を学び、習得することができました。

今では、なんでも美味しくいただくことが出来ますし、すべての食べ物にも心から感謝し続けています。
もちろん、内観するだけでなく、食事は一人で食べるより、誰かと一緒に食べるなど、感動や感謝を共有する環境も大切です。

総じて、あなたの内面を満たすための行動をとるために、内面の声を拾いに行ってくださいとお伝えしています。

数々のカウンセリングや〇〇療法と言われるものに通いました。

でも治したのは、それらではなく、『私の内側の声を聞く』ことだったと思います。

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