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◆まず、その現実をつくっているのはあなた

生きていると、ショックを受ける現実に遭遇することがありますよね。

最近の私にも、ショックな出来事はありました。

友人がまだ30代だったのに、事故で亡くなったのです。

この出来事は相当ショックでした。言葉を失いました。

そして事故で、その友人は亡くなりましたがお子様が意識不明ということでした。
どちらに意識を向けたとしてもショックでした。

こういうショックな出来事から、もう少し軽微なショックな出来事はあると思います。

落ち込むこともあると思います。

とりあえず、ひととおり落ち込んでからでいいのですが、その現実がどうして起こったのか?を考えてみたいと思います。

酷なようですが
ズバリ、その現実をつくっているのは「あなた」
今回のことで言うと、「わたし」です。

ちょっと

「は?」って思ってしまうと思うので
一つずつ掘っていきましょう。

◆ショックを受ける理由

ショックを受ける理由は2つあります。

ここでいう理由というのは、その出来事の内容に関係しません。

①落ち込みたいから
②落ち込むことで気付きを得て、自分の今後の原動力にしたいから

この二つです。

①は、落ち込みたいだけなので、放っておきましょう。

飽きるまで落ち込んでOKです。(そのままを肯定しましょう)

②は、その事実から気づきと学びを得て、どのように自分の人生に生かそうか?考えたいという望みが控えているので

ぜひ、しっかりと考えていただきたいというところです。

期待外れでショックを受けるということがありますが
期待外れで・・・というところは、
つまりどうでもいいところで「ショックを受けたい」望みが叶っているだけのことです。

あまりにもさっぱり書きすぎていますか?笑

でも、量子力学的に見ても、出来事の向こうにある感情を伴った体験をしたいだけなので、それが起こっている。ショックを受けるかどうか?は手段なだけで。。。

◆裏にある願望

私の例でいくと、友人が亡くなったことを知り、ショックを受け、私の人生を想ったとき、どんな生き方をしようと改めて決められた、決意した。

これは明らかに②で、もっと掘っていくと、ただ、「わたしらしい自分だけの人生を満足に生きていきたい」 という願望が見えました。

つまり、ここなんですね。

ただショックな出来事を耳にする行為というのは、手段なだけで、本当の私の望みは、わたしらしく自分の人生を生きたいというところでした。

わざわざ、誰かの訃報を聞かなくても、実はこれはできることなのです。
だから、私は、もうそういったことを耳にしなくてもいいという設定をしました。

◆大切なのはショックを受けたあとの行い

このように、本当に大切なことは、出来事にショックを受けた後、どんな願望が自分にあるのか?を掘っていく作業です。

ショックな出来事を耳にする設定もいらないし、その設定がないと、自分らしい自分の人生を生きようと思えないわけではありません。

原動力をもらうためにショックな出来事を見聞きして、そこから奮い立たせるのではなく、
出来事はそこにあり、
どうであっても私は私の内側から望みどおりの人生を生きていくと設定できれば、もうショックな出来事はいらないのです。

◆ショックを受けたら落ち込んでもいい

とはいえ、ショックな出来事は起こるものです。
種類の差はあれ、いろいろあるはずです。

アマゾンで購入したものが、一日後にセールになって大きく値引きされているのを見るとか、そんな小さなショックもあります。

ショックを受けたら、落ち込んでもいいです。

どこのゾーンに存在していても、あなたに変わりはありません。
落ち込んでいても、ウキウキしていてもどこのゾーンにいても、あなたがあなたであることは変わりありません。

だから、どうか、あなたが落ち込んでいることを責めたりしないでください。
人間は飽きる生き物です。

その落ちこみゾーンが飽きたら、次にどこのゾーンに向かうか?
その時に決めたらいいことです。

気分が大きく振れるときは、内観のチャンスです。

あなたの本心で思っている望みを見つけるチャンスです。

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