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違和感に隠れていた、本当に大切にしたいこと

昨年9月末からお休みをもらいはじめ、ちょうど今日で1年がたった。

お休みをもらってからずっと、先生になるという道を選択して正解だったのだろうか、と考え続けていた。

小学4年生の時、担任の先生に憧れて、先生になりたいと思った。
それからずっと先生を目指して、中学、高校、大学と進学。
ところが、大学生の時に、初めて自分が先生になるということに違和感を覚えた。

ボランティアや教育実習で学校現場に行かせてもらった時、
一緒に参加した友だちは、とにかく楽しい!と言っていたし、
暇があれば学校でのボランティアに参加したり、
早く現場に出て担任の先生になりたい!と言っていたりした。

一方、私は、どうしてもしんどさを感じて、
出来れば参加したくないと思ってしまったり、
しんどさに泣きながら帰ったりしたこともたくさんあった。

もちろん子どもたちは可愛いかったし、
こんな大人になりたいと思う先生方にも出会うことができた。

学校に行けば頑張れるけど、出来れば行きたくない、
それでも休めない、行かなくては と考え、毎日学校に通った。

そんな日々の中、もしかしたら、
「この仕事は私には向いてないんじゃないか、」
違和感がふつふつと湧き起こってきたことに気づいた。

違和感は感じていたけれど、
今までずっと目指してきたものを諦める=自分という存在が崩れるような気がして、ひとまず、「私は夢を叶えた」という実感が欲しかった。
実際に働いたら何か変わるのではないかという期待や、自分の中に確かにある違和感への不安を抱えたままこの道を選択することにした。

だって、子どもの頃からの"夢"だから。
だって、夢は叶えるものだから。

そうして叶えた、先生になるという夢。
夢を叶えたはずなのに、なぜか違和感は消えない。

漠然と感じていた違和感は消えるどころか、年々大きくなり、
あの日、教室に入れなくなった。

私の夢は、先生になることだった。
その先にある、先生としてどう生きていきたいか、どんな人生を歩んでいきたいか、という夢を叶えた先のイメージがなかった。

自分の中にある、歩んでいきたい人生の形と、
先生として生きていく人生の間にあるギャップがずっと抱えていた違和感の正体だった。

その違和感を無視し、無理を続けるということは、
自分のことを無視し続けるということだった。

休んでみて、違和感に隠れていた本当にやりたいことに気づき、
この違和感を言葉にする勇気が持てた。

先生という仕事は素晴らしい仕事で、やりがいのある仕事だ。
けれど、私が生きていきたい人生の形と合っていなかった。

だから、先生という仕事から離れる選択をするかどうか本気で考えてみよう。

今度は、自分の気持ちを無視せずに、私は私を大切に、私のままで生きていくために。


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