見出し画像

贈与とは、地層のように重なってゆくもの『世界は贈与でできている』読書記録②

この本の著者の近内悠太さんを招いたトークイベントに参加した。そのなかで『あなたの “贈与み” のある写真を3枚選んで、参加者同士で話し合ってみましょう』というワークの時間があった。わたしが選んだ3枚を紹介してみる。


わたしの “贈与み” のあるもの

①紀伊半島で感じた、7000万年の時間のうえに生きているということ

和歌山を旅したとき、本州最南端・潮岬を訪れた。ここには南紀熊野ジオパークという紀伊半島の地形や成り立ちを学べる施設があって、7000万年以上かけて今の形になっていることを知った。
7000万年。7000年じゃないよ。ほんとう、長いよねぇ。
今立っているこの大地はもともとは無くて、7000万年かけてじわじわゆっくり、地層がひとつひとつ積み重なってできたんだなぁ。

長い長い時間のうえに、わたしは今生きているんだ。


②前の人が置いていった食材で、料理を作ってもらって、一緒に食べた

これはADDressで神奈川県三浦に滞在したときの一枚。ADDressの冷蔵庫にはよく、前に滞在していた人が食べ切れなくて置いていった「よかったら食べてください」な食材があるのだけど、このときはすごい量だった。わたしの前に泊まっていた人は、有名な三浦朝市で買い物をして、そのほとんどを置いていってくれた。キンメダイのカシラ4つに、名前がわからない魚の白子約1kg、イワシたくさん、そのほかいろいろ。さらにわたしが持ってきた野菜やきのこも加えた食材もあった。するとまた他の会員さんが、レストランのような豪華な夕食を作ってくれた。しかも、お代はいらないよって。これだけで5日くらい過ごした。

人から人へ贈られたもので、生かされているなぁ。

③泊めてあげた子が、恩師につながった

知人から「友達の大学生が東京で泊まる場所がなくなってしまって、よかったらシェアハウスに泊めてあげてくれないかな?」と連絡がきた。わたしも旅をしているときに「やばい今日泊まる場所がない、見知らぬこの家の人が超親切で泊めてくれるなんて奇跡は起こらないか…(と思いながらネカフェまで30分歩く)」ということがあったりしたので、その辛い気持ちがよく分かった。なんだかこの日は調子がよかったのもあり、「もちろん、良いですよ!」と大学生がうちに来ることになった。

すると後日、わたしの恩師から「僕の講演を聞いた子が、 “ 未来さんご存知ですか?以前未来さんに助けていただいて…” って声をかけてくれたよ!」と連絡が(写真)。 “先日助けてもらった鶴です” じゃないけど、間接的鶴の恩返しを感じた…! 恩師にはわたしもお世話になっているわけで。ぐるぐる循環しているなぁ。それを聞いてわたしもまたハッピーになった。

めぐりめぐってまたやってくる。



GIVEの循環

以前ある人と「たくさんのGIVEを受け取ってからやっとそれに気付けて、自分もGIVEしようと思えるようになるね」という話をした。

わたしはここ1, 2年で贈与に気付きはじめた感覚がある。

旅をしていろんな場所でいろんな人と出会って「え!良いんですか?」というようなことをしてもらったり、一人暮らしを始めて親の偉大さに気付いたり、仕事を始めてこの街・生活はみんなの仕事という役割分担で成り立っているということに気付いたり。

それでやっと、「今まで自分はいろんな人の力があって、今ここに生きているんだな」と思えるようになった。(一方で前編noteで触れた、自分の無力感も感じるようになった)

本書ではこのように述べられている。

「不等価な交換」「受け取ってしまった贈与」が、「次なる贈与」の動機になる

贈与を与える者=GIVERには、なりたくてなれるものではない。それならば、身の回りのものごとに想像力を働かせてみる。自分のちょっとだけ外に意識を向けてみると、「自分は地層のように積み重なってた贈与の上に、今生きているんだな 」と感じられるかもしれない。

そうやって気づいた人から、また贈与がめぐりめぐってゆく。

そんな想像をすると、息が詰まりそうだったこの世界も、ちょっと生きやすくなった。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,141件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?