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宝塚観劇は現実世界からのトリップー幻想と現実のはざまでー

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宝塚の舞台を見ているとき、ふと現実世界から離れる瞬間がある。
幕が開き10分ほど舞台に集中していると、あっという間にその時代へトリップしている。

このトリップしている時間は、なんてことない人生を生きている私にとって最大の癒しだ。
ものすごい忙しかった仕事が終わってほっとしているとき。
現在進行形の難題に取り組んでいるとき。
週明けからもっと忙しくなることがわかっているとき。
どんな現実があったとしてもこの瞬間はすっぱり忘れることができる。


ただこれが前方席ともなると多少なりとも緊張するものだ。
実際に座ってみると後ろの席に座っていた時には考えられないほどのプレッシャーを感じる。

舞台を観慣れている人にとっては、もう当たり前のことになってしまっていると思うけど、慣れないうちの観劇ってどの席に座ったとしても本当に緊張する。

そもそも3時間も椅子に座ってじっとしているのに耐えられない。
あのシーンと静まり返った空気感が苦手。
おもしろい、と思えるか不安。

それが特に前方席ともなると、舞台からも見えているかもしれないという無言のプレッシャーが勝手にプラスされる。実際は見られていないとしても、だ。


恥ずかしいのだが、私はくだらないことにプレッシャーを感じるタイプだ。

昨日あまり眠れなかった=寝ちゃったらどうしよう
おなかすいた=おなか鳴ったらどうしよう


このあと椿を応援している間幾度となく前方席に座ることになるのだが、私にとってこの2つがかなりのプレッシャーだった。

つまり宝塚の前方席はドキドキとプレッシャーがダブルで押し寄せるということになる。

ただこれも実際お芝居が始まってしまうと、プレッシャーのことなどすっかり忘れてしまう。
どんなに憧れの存在が目の前にいようとも、それが役として生きている限りあくまでも物語の中の主人公としか見えないからだ。


トップスターが役として出ているときには、実際のところ思ったよりドキドキしない。
特に一幕、二幕通してお芝居の場合、最後までドキドキが最小限で終了する。これは嬉しいような損したような、ある意味誤算ともいえるかもしれない。



さっき椿の入待ちの時、天使さんがそっとアメを握らせてくれた。
これ便利よ、おなかがすいたときにどうぞ、と。
さすが大阪の人だ。噂には聞いていたがアメちゃんはいつも常備しているらしい。


今日の席も1公演は前方席を取った。
7列目の下手ブロック。

この位置ははじめてだ。
下手ブロックの中でも端だった。
もう舞台の端っこに近いのだ。端から数えたほうが早い。


ここはどんな見え方するんだろう。
一抹の不安を感じるが、そうはいってもここは7列目。きっとよく見えるに違いない。
幕間のトイレも行きやすいし。チケットサイトで売っていたセンターブロックよりはお手頃価格だった。意外と穴場かも。


そんなお気楽ムーブの私は幕が開いた瞬間、現実を突き付けられることとなる。






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