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超前方列の端から見た景色ー宝塚大劇場ー


≪前回の記事はこちら≫


7列目下手ブロック。
それが今回の私の席。

7列目、といえば前回は中央ブロックに座ったが今回は下手。
チケットの金額としては中央ブロックよりお手頃価格なのに7列目なのだ。
端とはいえ下手側に来た時見えるだろうとか、銀橋に来たらみやすいだろうなとか。

そんなふうにお気楽に座った当時の私は、ここで現実を見ることになる。




この公演を観劇するのはもうこれで3回目になる。

さーて、今日の公演はどうかな?

と胸が高鳴る。


トップである椿のアナウンスが鳴り、舞台の幕があいた。

暗闇の中、瞳をこらして中央を見た。


(み、見えない・・・)


遠いのだ、舞台が。

なんと7列目超下手の席は、言ってみればハズレの席だった。


舞台中央を見るために、ほぼ真横を向く不自然な姿勢。
自分より一列前の人の頭がドカンと真ん前にそびえる座席の配列。

あの一つずつずらしてある座席配列は真ん中の人にとってはラッキーだが、端から中央を見るためにはいただけない。
前列の人が長身や座高が高かったりしたら完全にアウト。
その公演はセンター付近を見ることができない。

これが多少でも後ろの席になると角度がやわらいで中央が見やすいのだが、超前方席は急な角度がついているためとにかく見にくいのだ。

また悲しいことに銀橋は少し手前で終了している。
そう、銀橋を渡り終えるまではこちらをチラッと見ることもない。なんだか疎外感を感じる。
銀橋を渡り終えると袖にはけるから、良い時はその一瞬だ。



良い部分といえば、袖付近でお芝居をするシーンがあれば目の前で観れることかもしれない。
自分の贔屓がどこに出没するか知っていて席を取るのは得策。
特にトップ以外のファンにとっては意外な穴場かも。




とにかく中央付近の様子が全くと言っていいほど見れないことに驚くと同時に、実のところちょっとホッとしたのも正直な気持ちだった。


前方席というのはとかく慣れないことには落ち着かない。
せっかくお休みを使って楽しくトリップしようとしているのに、緊張感で休んだ気持ちになれないのだから。

それを考えると、たまに目の前に現れるスターさんを見るくらいなら、緊張感もやわらぐというものだ。

いい部分を見つけよう、と私は舞台を観ながら必死に考えていた。




宝塚ファンが本格的にファン活動をするようになると、同じ公演を何度も何度も繰り返し観るようになる。最初は1度で良かった観劇が、2回3回、そして毎週と徐々にはまっていく。


もう3度目の観劇ともなると、ストーリーはほぼ頭の中に入っている。そして誰がいつ、どのタイミングでどこから出てくるかも大抵つかんでいるものだ。そのうち主題歌も歌詞を見ないで歌えるようになるし、お気に入りのセリフも空で言えるまでになっている。


どんな演技をするかもおおよそわかってくるので、逆にいつもと違うところに目が行くようになる。


それがアドリブやちょっとしたハプニングの楽しみ方だ。貸し切り公演の時にはおもいっきりセリフをそれ向きに変えたり、いつもはここで振り向くのになぜか今日は振り向かない、とか。セリフを思いっきり忘れたり、噛んだりしてちょっとコミカルになったりするのも楽しい。

こういった楽しみを見出すようになると、何度見ても飽きないという無限ループに陥る。これがそのスターさんをもっと好きになる要素のひとつでもある。

あの人間離れしたスタイルと顔、その異次元感覚の見た目にもかかわらず、意外と人間味あふれる行動をするのがなんともいえず親近感を覚えるのだ。



この日の舞台で椿のアドリブは光っていた。

前回はまだ幕開けから間もなかったから、そこまで大幅に変えているところはなかったと思う。
今回はもうすでに大劇場では終盤戦。
こなれてきて、なんとなく余裕を感じる。

トップの椿が重要人物と話しているシーンでは、リラックスした姿が見え隠れしていた。
周りで雑談している組子さんにも敬礼して挨拶していたり、あんなシーンあったかな。と思わせる場面がいくつもあった。


こうして椿というスターはとにかく毎回違う舞台をみせてくれた。
毎回なにかしらアドリブを入れて自由に舞台を作り上げていく。

これは宝塚の椿として最後の幕が降りるまでずっと続いていくことになる。






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