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許可をもらうと言う再確認


あれは多分中学校2年生の時だったと思う。
当時私はすごく「はっていた」。
自分の心の奥底を人に見せたらいけないと思っていたし、人が何を考えていて「こう」言えば「こう」返してくるから「こう」言おうなんてことを、いつも考えていた。

父は当時とても厳しくて白も黒も、父が赤と言えば赤だった。
意見は口答えとみなされていて、父が決めたルールを破ったら「しつけ」という名の制裁が待っていた。
父は子どもたちが「ルール」を守り「意見」さえしなければおおむね機嫌がよく、何事もおこらなかった。我慢さえすればいいんだって思ってた。

だから、私は余計「人の1歩先を」なんて考えるような思春期の女子だったのかもしれない。
人前で泣いたり激怒したり、熱くなって物事を言うなんてしたことがなかったし、したくもなかった。
友達に、家のそういう部分も知られたくなかったから相談もしなかった。

何があったのか、どうしてそうなったのか覚えてない。
ただ、その日私はとてもつらかった。親に怒られたのか、好きな人に振られたのか、ライバルに負けたのか、なんだかわからない。
すごくつらて、どうしょうもなくて友達に電話したのを覚えてる。

当時同じクラスだった、交換日記をしていた友達。
きっとたわいもない話をしたのかもしれない。相談したいことのさわりを話したのかもしれない。
その頃まだうちは黒電話で、玄関に1台しかなかったから部屋に持ち込んでこっそり話すなんてこともできないしきっと聞かれたくない部類の話だった上に、私は「はって」いたから、つらくてつらくて仕方ないその時もおそらくヘラヘラとしていたんだろう。
はっきり覚えているのは友達が
「ねえ、大丈夫? 泣きたいときは泣いてもいいんだよ。」
と言ったこと。
泣きそうな声をしてたのかな。どうなんだろう。どうしてそんなこと言ってくれたのかは全く分からないけど、おもむろに友達にそう言われた。

私はその瞬間、涙がでちゃってどうしようもなくて。
電話を切ってからも家族にわからないようにしばらくしくしく泣いた。
「泣きたいときは泣いてもいいんだよ」
そんな当たり前のことを許可してもらって、私の「はって」いたものはすごく優しく緩んだ。

あの時泣いてもいいと言われて、その許可をもらって私はとても救われた。ということを思い出した。

#やさしさを感じた言葉

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