みらい🐬💙シャチのヘソ天日記💙

人間がイヤになりシャチ🐬になったみらいが海に漂いながら色々なことを勝手に書いています💙…

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人間がイヤになりシャチ🐬になったみらいが海に漂いながら色々なことを勝手に書いています💙 体験談、時事ネタ、良い言葉…などなど。 お時間あるときに遊びにきてくれたら嬉しいです💙 もっと詳しいプロフはTwitterへ‼️

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最近の記事

老人の戯言

老人ホームに入って3ヶ月。 私は毒父の借金返済に追われていた。 何ヵ所も返さねばならず、返済計画を練って片っ端から片づけていた。 そんな中、政府から「低所得者給付金」というものが支給された。 もちろん借金返済に充てた。 少しでも早く返済できるチャンスを逃すわけがない。 しかし…1本の電話。 知らない携帯番号から何度も何度も着信があった。 折り返しても出ない。 怪しげな携帯番号…。 あたすは出るのが怖かったので、また着信があったとき相方に出てもらった。 するとそれは毒

    • ある日突然の老人ホーム探訪記~番外編~

      今回、私が見つけた有料老人ホームがしていたことをお話したいと思います。 ① 支払いについて 要介護認定を受けると「介護サービス」が使え、その自己負担分は介護度によって変わります。 父の場合「国民年金+生活保護」 自己負担分は生活保護の「介護扶助」というもので賄われるため、父や私が現金を支払うことはありません。 しかし、施設側が言ってきた支払いは 「使用料8万円+介護負担分=10万円。介護負担分は介護度が上がり負担が増えても10万円でいいです」 というもの。 それは年金

      • ある日突然の老人ホーム探訪記⑤

        施設に入って1ヶ月。 少しは頭がハッキリしてきたように見えるが、相変わらず清潔ではなく、与えられた個室は早くもゴミ屋敷。 ある日、食事に連れ出した。 回転寿司に行ったが、そこでも酒を飲みたいと言ってきたので、ノンアルコールビールを飲ませた。 不満そうだったが、実はこの日、相方の勤務先の社会福祉法人がやっている特別養護老人ホームの面談をしてくれることになっていた。 本人には言ってなかったが、わからないまま受けさせた。 面談の中で「今の生活に満足ですか?」と聞かれ「不満で

        • ある日突然の老人ホーム探訪記④

          脳梗塞から約2ヵ月で退院の日を迎えた。 当日、迎えに行くとそこには倒れた日の汚い服装の父が待っていた。 前回の面会時に新品のスウェット上下とフリースを差し入れていたにもかかわらず、それを着ていない。 「そんな汚い服で車に乗せられない」と私が言えば 「汚くない!きれいだ!!」と言い張る父。 看護師に頼んで着替えさせてもらったが、上しか着ていない。 「下も着替えてくれ!汚いよ!!」 「だから汚くないって!」 「施設にそんな汚い恰好で連れていけない」 「…着替えましょう」と看護

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        • ある日突然の老人ホーム探訪記
          5本
        • 毒母と娘の30年戦争
          5本
        • 宗教二世
          3本

        記事

          ある日突然の老人ホーム探訪記③

          それから毎日、色んなサイトで老人ホームを探す日々が始まった。 なかなか条件に見合う所がない 資料請求をたりと、出来る限り探し続けた。 そして入院から1ヵ月、介護認定が出たので、目星をつけていた有料老人ホームと話を詰めた。 利用料は国民年金+生活保護で払えて、酒、タバコ、外出もできるらしい。 探せばあるもんだ。 早速見学に行ってみた。 そこは小さな10人以下の老人ホーム。 人里離れていて、店も何もない。 施設の外に出てみると迷子になりそうな住宅街。 でも三食温かい食

          ある日突然の老人ホーム探訪記③

          ある日突然の老人ホーム探訪記②

          あまりにひどい父の生活。 一体どんなことになっていたのか聞き込みをすることにした。 父は介護認定を受けておらず、まずは地域包括支援センターに介護認定をお願いすることにした。 私が遠方ということで電話で申請を受けてくれたのだが、地域と繋がっていなかった父は地域包括支援センターとも繋がっておらず、私が見た生活状況と病状を伝えて申請書を作ってもらった。 次に父は国民年金+生活保護を受けていたので、市役所の生活保護担当に話を聞くことにした。 父は…訪問しても出てこない、なかな

          ある日突然の老人ホーム探訪記②

          ある日突然の老人ホーム探訪記①

          それはある日突然、私の平穏な生活を荒らした…。 私には84歳になる父がいる。80歳まで仕事をして一人暮らしをしていた。 元々、人とつるむのが好きではなく、仕事を辞めてから一人で気ままに暮らしていた。 そんなある日…買物に出た父は道端で急に倒れた。救急搬送された病院で「脳梗塞」と診断され、そのまま入院することになった。 私は実家から車で3時間の所に住んでいたが、事が事なので行くことにした。 その準備に追われていると1本の電話。 父の主治医からだった。 いつ到着できるかわ

          ある日突然の老人ホーム探訪記①

          老人ホーム入居までの流れ

          老人ホームってどうやって探すの? 介護度ってなに? そんな方への私の覚書を記してみます。 参考になれば幸いです。 介護認定なし→地域包括支援センターに連絡 ⇩ 介護認定の申請を依頼 ⇩ 市役所 ⇩ 介護認定の面談(本人) ⇩ 審査(コンピューター) ⇩ 審査(認定委員) ⇩ 結果 ⇩ 介護サービスを利用できる 相談先 要支援1・2 →地域包括支援センター     要介護1~5 →居宅介護支援事業所 どのサービスを選ぶ? 居宅…自宅で介護サービスを受ける。訪問介護

          バイナリーオプションとFXやってみた

          こんにちは!シャチです! 前回シャチはバイナリーオプションとFXをやっていると書きました。 今日は両方やってみてのシャチが感じたことを書きたいと思います。 シャチはバイナリーオプションの「手法」から入ってしまった。 相場の見方や水平線、斜め線などあまり教わっていない。 「これをこうして○○して○○なとこでエントリー」 こんな感じ。 でもこれが効いていた。 だから勝てていた。 月7桁?いけたね~( ̄▽ ̄) 社員だったから仕事帰ってきてちょちょいとやってそれ。 みんながやりた

          バイナリーオプションとFXやってみた

          シャチの副業

          はいみなさん!シャチです。 シャチは~「お金大好き!」 日本人って「お金大好き!」って大声で言うと「悪い人」って感じられるようですね…。 「お金大好き!」って言った方が正直な人なんですよ。 シャチは色んな副業をしてきました。 世の中に「副業」という言葉が浸透する前から色々とやってきました。 諸々のアフィリエイト アドセンス(1回で審査通過) ポイントサイト クラウドワークス 挙げだしたらキリがない。 でもその中で 「継続的に、相手がいなくても、稼ぐことができる」 のは

          毒母と娘の30年戦争5

          毒母が死んで私の戦争は終わりを告げた。 やっと解放される!と思っていた。 しかし、そう簡単にはいかなかった。 毒母のことでたくさんのトラウマが残っていた。 死んだらスッキリすると思っていたが、あらゆる場面で毒母を思い出し、具合が悪くなった。 私の30年間の戦いの傷はあまりにも大きかった。 カウンセリングを受けると「毒母を許す」ことをアドバイスされた。 許せるわけもない。 30年間苦しめられ、人生をおかしくされた。 私の人格形成にも多くの

          毒母と娘の30年戦争4

          大学病院では色んな仕事を意欲的にしていた。 そのため色んな方々と繋がることができた。 私は仕事が好き、新しいことを学ぶのが好き、保守的な考えは嫌い、 など常に変化を求める人になっていた。 誰かが困っていれば仕事を手伝い、色んな事を覚えて手が回らない所を助けるようになっていた。 その行動が今後に大きく役に立つことになるのに、相変わらず毒母は忙しくする私をよく思っていなかった。 「こんな安月給でコキ使われて」 「大学病院なんて名ばかり。そんな雑用やって」 「早く医

          毒母と娘の30年戦争3

          通信教育で学びながら1年が経った頃、私は正社員として就職した。 医療系の職場。 毒母は「金をかけた甲斐があった」と言った。 とにかく毒母は金に汚かった。 アルバイト時代から毎月4万円を請求してきた。 支払わないとうるさいので少ない手取りからやり繰りして渡していた。 家を出ることも考えたが、お金の面よりも毒母が 「結婚するまで家から出さない」 と言ってきた。 それは門限にも影響して社会人になったのに門限は22時。 父親は「社会人になったんだから門限は

          毒母と娘の30年戦争2

          小学校に上がるとますます口出しが酷くなった。 「勉強しなさい」 「うちは浪人することを許さない」 「楽器の練習をしなさい」 「友達は選びなさい」 「○○ちゃんと遊んじゃダメ」 「門限は5時」 挙げだしたらキリがない。 中学生になるとこれに加えて 「楽器の練習が疎かになるから部活はダメ」 と無茶苦茶なことを言われた。 現在の私が「人間関係、上下関係の作り方」が苦手なのは学生時代に部活をやっていなかったせいだと思っている。 「高校はここに行きなさい」 1年生の

          毒母と娘の30年戦争1

          母と娘は「親子」「友達」「ライバル」… 色んな関係があるけど、うちは違った。 心休まる家庭…そんなの無縁だった。 この世に生を受けたその瞬間から「戦い」が始まった。 私が体験した毒母との親子関係=戦いの記録です。 堅苦しくならないタッチで描いておりますので「こんな母娘がいるんだ~」くらいの軽い気持ちでお読みいただければ幸いです。 私がこの世に生を受けたその瞬間、戦いが始まった。 うちの家庭は父親、毒親、私…私は一人娘だ。 父親は腕の良い職人、仕事はしっかり、趣味

          宗教二世のこと〜選挙編〜

          S学会=選挙! ってイメージ、その上、嫌な思いをした方がたくさんいると思うんだ(´-ω-)ウム 中にいた私も選挙はめっちゃ嫌いだ( ¯−¯ )👎 選挙活動はどんなことをしていたか? 当たり前だけど候補者の地域に住む知人片っ端から連絡。 それも強制的で恫喝的:( ;´꒳`;): 卒業アルバム持ってこいと…これ片っ端から電話。 毎日、何人に🆗もらえたか報告。 かなり苦痛;( ; -᷄ ω-᷅); 休日は数人で連れ立って直接お宅に伺い頼む。 もちろんノーアポイント(

          宗教二世のこと〜選挙編〜