映画「トゥルーマン・ショー」【#映画感想】
ずっと見たい見たいと思いながら、見たい映画リストの上位を独占し続けていた映画「トゥルーマン・ショー」を見ました。満を持しての鑑賞、大満足でした。
あらすじ
離島・シーヘブンから一歩も出ることなく平凡に生まれ育った男トゥルーマンは、母としっかり者の妻、そして気の置けない友人と幸せに暮らしていた。今日もいつものように「おはよう!そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」と人々に声をかける。しかしある日、いつものように出勤しようとしたところで空から照明用ライトが落ちてくる。ラジオでは「飛行機のライトが脱落した」とニュースが流れていたが、それからも不思議なことが起こる。幼いころ海難事故で死んだはずの父親がホームレスの姿をして立っていたのだ。追いかけようとするも不自然な邪魔が入り、父親はそのままバスに乗せられてしまう。
隣の会社のエレベータ、電波が干渉して聞こえるラジオの音声、その違和感を決定づけるかのような出来事がいくつも重なる。実は、トゥルーマンは生まれたときから24時間365日をテレビで生放送されていた。「トゥルーマン・ショー」と名付けられた番組は全世界の人が注目している番組だった。自分の人生がフィクションだったと知った時、トゥルーマンはどんな選択をするのか?
感 想 ※ここからネタバレ
お、面白かった~~!
この映画を見たいと思ったのはおそらく大学生くらいの時だったと思うので、やっと見れて本当に満足しています。
自分の人生が全て24時間365日余すことなく全世界に配信されている男の話、これだけ聞くと滑稽なコメディかとも思えるけれど、ただのコメディには収まらない。
視聴者はトゥルーマンの視点も撮影者の視点も、そして全世界の視聴者の視点も見ることができているからこそ感動や、笑いや悲しみを感じることができるけど、トゥルーマンからしたらたまったものじゃない。
自分の人生が全て創られたものかもしれない?
その違和感に気付いた瞬間、私なら恐怖で動けなくなるかもしれない。本来一番信頼すべき母親や、生涯を誓った妻、学生時代から連れ添った親友。全てが信じられなくなる。震えてしまう。
そもそもとして生い立ちが不憫。「母親が生みたくなかった子供」こんな紹介ある?キツすぎる。放送開始日にちょうど生まれたのがトゥルーマンで、それからずっと生配信され続けているわけだ。当然本人は知らないし、想像もしない。
ちょっと考えてみた。自分がいま生きている姿が、生きてきた姿が全世界に配信されているとしたら?無理すぎる。
小学生の頃見えないものと交信しているフリをして女子トイレでぶつぶつ言ってたこととか、大学受験の自己採点の日に結果が怖すぎて急性胃腸炎になって倒れたこととか、全世界に見られてるとか正気でいられない。
まあ私の場合は転勤を繰り返しているのでありえないんですけれども。
違和感の始まりは、撮影用照明の落下から始まる。あんな大きな物落ちてくるなんて怖いけど、それはいつも聞いているラジオニュースから「飛行機からライトが落下した」と答えを与えられる。
そのあとは父親の再登場に、電波が干渉してしまって入ってくるラジオクルーの通信、そして隣の会社のエレベータ、ひとつひとつ積み重ねていくと、トゥルーマンのような答えに行きつくのだろうか。
トゥルーマンのその思考の背中を押したのは、学生時代にほのかに想いを寄せていたローレンとのことがあったからだった。彼女はテレビスタッフたちの目をかいくぐり、トゥルーマンに「この世界は作り物だ」と伝えた。そして「私を探して」と言い残し、父親を名乗るスタッフに連れ去られてしまう。
島を出て彼女に会いに行こうにも、島を出ることができない。幼いころの海難事故のせいで水恐怖症だから船には乗れない、なぜか飛行機は1か月待ち、バスに乗って別の都市に出ようにもバスが故障して動かない。自分の車で行こうとすれば原子力事故が起こって放射能が漏れているから引き返せと言われる。おかしいと思うなと言う方が無理だ。
でも、自分のその環境をおかしいと思い始めてからのトゥルーマンの行動は狂気的ですらあった。誰からも答えを貰えない。自分がおかしくなったかのような気になるのだから。
「神よ、私は嘘をつきました」
トゥルーマンがアルバムを見ていて、結婚式の写真に気が付く。よく見ると、妻が指をクロスして映っているのだ。
わたしはこれが何を指すのかわからなかった。これは「神よ、私は嘘をつきました」と懺悔するマークらしい。キリスト教においては神様はすべてを見ているから、嘘をついてもそれを見られているという。だから、許してほしいだとか懺悔の意味を込めて嘘をつくときにするらしい。
(実際はこれがゆるされるのは子供だけらしい、と言う話も耳にしたが)
つまり、妻は結婚自体を「嘘」だと言っている。トゥルーマンを愛してはいない。実際に「撮影だからってこんなのあんまりだ、もう出来ない」と泣いていることからも本当に好きじゃなかったんだろう。むごい。
両親も、親友も妻も、テレビスタッフによって決められていた。そういう契約だったんだろうと思う。だからこそトゥルーマンはローレンと結ばれることが許されなかったというわけだ。
24時間配信される世界で、好きでもない相手と結婚生活を送るって言うのは相当過酷だと思うから妻は妻ですごく頑張ってたとは思う。そういう契約じゃないにもかかわらずキャストに紛れてトゥルーマンと恋に落ちたローレンの方が本当は迷惑を掛けてるとは思うけど、そうは言っても止められるもんじゃないしね。
「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」
最高のクライマックスだった。
ついに海の果て(セットの終わり)にたどり着いたトゥルーマンに声をかけたのはプロデューサーであるクリストフだった。トゥルーマンを誰よりも知っている人間として、生まれたときから今に至るまでの思い出を言って聞かせ引き止める。
その実、キャストである両親よりも、親友よりも妻よりも、誰よりもトゥルーマンを愛していたのはクリストフだったんだろうな。
あの箱庭の中で生きて行って欲しかったんだろう。クリストフにとって、トゥルーマンは最高傑作だし、そして息子と言っても差し支えない。だからこそ、全て知ってしまったトゥルーマンをなお引き留めている。
全世界であのシーンを見ていた視聴者からすれば、あのやり取りですらエンターテイメントでしかない。あの場で本当にトゥルーマンのためを思ってトゥルーマンを引き留めていたのはクリストフだけだったろう。
説得を受けてなお口を開かないトゥルーマンにしびれを切らしたクリストフは焦れたように「何か言ってくれ!」と声を荒げる。それを聞いたトゥルーマンは悠然と微笑み、そして毎日欠かさず唱えていた言葉を告げる。
「会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」
こんなに完ぺきなラストシーンはあるか………?
トゥルーマンのこの台詞を聞いた瞬間、笑いながら泣いていた。何て美しい物語だろう、とさえ思った。一人の男の人生が終わり、そして始まる。あの扉の先に何が待っているかわからないけれど、トゥルーマンは、「用意されていない」初めての世界へ飛び込んだ。
あの扉の先の人生は、どんなものになるだろう。楽じゃないだろう。全世界に顔は知られているし、自分が覚えていないプライベートなことでさえも全く見ず知らずの人に告げられるだろう。
だけど、それが自分の選んだ人生なのである。きっとたくさん旅行に行くだろう、見たことのないものを見るんだろう。その隣にローレンがいるんだろう。
全世界に挨拶をしないトゥルーマンが幸せな人生を生きていると、私は祈らざるを得ない。彼のことが好きになってしまったから。
さわやかで、ちょっと苦い、最高の後味だった。
視聴者の感動と「チャンネル探し」
トゥルーマンの選択には全世界の人が熱狂した。世界的に有名なプロデューサーの感動的な思い出話から説得を経て、それでも外の世界に出ることを選択した彼を視聴者は抱き合って喜んだ。彼らにとって、数十年見届けていた一人の男の旅立ちだった。最高の最終回だっただろう。
感動の後、とある視聴者は言う「番組表はどこ?」
映画はここで終わる。少し考えて、なかなか怖い終わりだなと思った。そう、だって彼らにとっては「エンターテイメント番組」が「最終回を迎えた」だけなのだ。
トゥルーマンにとってはまさに自分の人生、そしてクリストフにとってはかけがえのない作品であり息子である青年。でも、所詮視聴者からすれば終わってしまえばそれまでの、数多ある中の番組の一つでしかない。
これこそがトゥルーマン・ショーの真骨頂だった。視聴者にとってはトゥルーマンのその後の人生なんてどうでもいいし、次にどんな面白い番組があるかしか興味がない。人の人生一つかけて作ったものの結末が、これだ。
トゥルーマンが扉を出るシーンで終わらせないところに、この映画の凄さがまた一つ見えた。
本当に面白い映画でした。
雑 記
見たいと思い始めてもう何年も経っていた。こうなると、結局見ないまま終わるものも結構多いけれど、夏季休暇の最終日にふと思い立ってNetflixを覗くと配信されていた。
配信サイトではもっぱらドラマやアニメばかり見ているから映画を見るのは久しぶりだった。作業もやめて、映画だけを約2時間見た。見終わった後の満足感が心地よくて、しばらく感想に手を付けられなかった。
25分程度のアニメや50分程度のドラマと違って、2時間もある映画を見るのは正直に言うと気合が必要だった。もちろん、映画館で見るのは別だけど。私は一つのことに集中するのも苦手だった。ドラマを見ながらTwitterを見たいし、アニメを見ながらLINEを返したい。でも映画でそれをすると、すぐに話の主軸が分からなくなる。だからなかなか手を出せなかった。
「トゥルーマン・ショー」を見るにあたって、最初のキャストたちのインタビューが流れたところで、「これは本腰入れて見なきゃだめだな」と思って、スマホも置いて、映画をPCで全画面にして見た。そうするとたくさんの情報が入ってくる。
わたしは常々自分のマルチタスク(こう言っていいかわからないけど)を辞めたいと思っていた。実際やめてみると、色々やっていた時よりも考えがまとまるし、何よりたくさんのことが思い浮かぶ。これまで効率がいいような気がしていたことも、その実、そうではなかったかもしれない。
次、また何か映画を見るときには同じように、スマホを置いて、何も考えず映画に集中しようと思う。
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