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道の人

 そういえば、母のことを書いたことはあるが、父のことを書いたことが無い、ということに気づいた。

 実家の片づけは細々と進行中で、先日、父がその気になったというので本の整理をした、という連絡を、妹から受けた。父が「これはもういいか」と思った本を、少しずつ処分しているそうだ。

 父はなかなかの蔵書家である。
 田舎の戸建てのひと部屋は、部屋の三方向を覆う天井までの本棚があり、本で埋め尽くされている。

 父が良く話してくれるのは、かつて大学進学で東京に行き、キャンパスで出会う学生たちとのあまりの教養差に圧倒された、という大学時代のカルチャーショックの話だ。以来、本をよく読むようになったらしい。

 おりしも、60年安保闘争時代。
 挨拶代わりに『資本論』を読んだかとかマルクスがどうとか言っていたであろう大学キャンパスで、父は都会の同級生の読書量に驚いたのだという。
 当時の田舎と都会の文化度の差というのは非常に大きかったようだ。田舎の商家で育った父は、高校を卒業するまでは学校の勉強以外の読書というのをほとんどしたことがなかったらしい。

 さらにおりしも、全集出版全盛の時代。
 世界文学全集や日本文学全集が続々と出版され、飛ぶように売れた時代だった。頒布会や配本などで、学生でも無理せず購入できるシステムもあった。

 大学生の父は図書館に足蹴く通い、自分でも本を買い求めた。
 中学教師として働き始めてからも、多少高額でも全集を買うのを厭わなかった。
 気づいたら家が本で埋め尽くされていた、という次第だ。

 父は歴史の教師であった。
 今回『古事類苑』全51巻を手放そうと決意した。


 吉川弘文館の高額な書物だ。保存状態もなかなか良く、手放すにしてもとても捨てるに忍びない。

「お姉ちゃん、神田の古本屋街に行くんでしょう。この本を買い取ってくれる古本屋さんとか、ないかな?」

 妹からの電話で、古本屋街を探してみることにした。

 といって、私は古本屋さんにはあまり行ったことが無く、神田にも吉穂堂を開くことになって初めて来たくらい、縁がなかった。細かく専門が別れているのは知っていたが、正直どの本屋さんがどんな専門だという知識はまるでない。ただ、下調べをする時間がもどかしいので、かつて営業職だったこともあり、飛び込み営業をかけることにした。

 よくドラマで観るような展開で首を横に振る人のシーンが続き、ひたすら断られ続けたが、10軒も廻っただろうか、最初に「ここはちょっと・・・どうだろう」と思って後回しにした本屋さんの前に戻ってきた。
 どうだろう、と思ったわけは、店の中から外から、本が床から天井まで積みあがっていて、値札が手書きの紙で貼ってあるような、およそ小奇麗に整理された状態とは言えない店構えだったからで、老舗の古くからある本屋さんだとは思ったが、先入観からなんとなく後回しにしてしまったのだった。本当に営業しているんだろうか・・・と、失礼ながら思ってしまうような、古い古い、本屋さんだった。

 お店の中に立っていた人に声をかけると、奥の店主さんに話して欲しいというので、恐る恐る店内に入り、奥に向かった。

 鼻眼鏡のおじいちゃんが座っていた。

 この時点で、私はある映画を思い出していた。

 あ、これは「リアル丘の上の本屋さん」だ、と直感した。

 いらっしゃい、なんでしょうと言う店主さんに「『古事類苑』の買取なんて――されていないですよね」と、つい否定構文で話しかけてしまう。うちは専門外ですよ、とか、本の名前を聞いた途端に「取り扱いないです」「ああ、それは無理です」と言われ続けていたので、きっとこの店でもそうだろうと、どこかで決めつけていたのだ。

 これまであたった本屋さんの中で、多少親切に受け応えて色々教えてくれた店主さんから、『古事類苑』は全集の中では発売当時結構売れたもので、あまりレア感がなく現状取引が活発でないこと、そしてまた、本来は古本屋からの買い取り先である大学から、今は逆に放出されている品物であることを教えてもらった。つまり、いちばんのお客様である大学に買い取ってもらえない高額全集、ということで、古書店からは煙たがられているような節もあったようだ。取り扱ってないところが多いと思うよ、とその店主さんは言っていた。

 するとこの「丘の上の本屋さん(仮)」の店主さんは「この本ですか。全巻揃ってるんですね」というと、パチパチとPCに打ちこみ、画面をのぞき込んだ。これまでの「門前払い」とは明らかに違う反応。

 それから店主さんは長いこと黙っていたが、うーむ、と唸った。
 そして、
「これね。古書としての価値はね、高いんだけど、この価格では引き取れないんだよ。これよく出回っているからね。出版された時に結構売れたんだよ。でも写真見ると綺麗そうな本だし、そうだねぇ・・・送料が・・・折半で持ってもらうにしても・・・あまりお金出せないんだよなぁ」
 と、言った。

 送料なんて、こちらで出します。引き取ってもらうだけでもいいのです。お金はともかく、父は大事な本をただ捨てるのがもったいないだけなんです、と言うと、店主さんは急に「そりゃ、そうだ!」と、怒ったように言った。

 それがまるで、捨てるなんてもってのほかだ!というような言い方で、店主さんが心から本を愛し、本と共に生きて来た感じが伝わってきて、場にそぐわないがなんとなく涙が出そうになってぐっと堪えた。なんだか本当にイタリアの丘の上の本屋さんにいるような気がしてくるような言葉だった。
 映画にもちょうどそんなシーンがあった。本がゴミ箱に捨ててあったと聞いて「なんてことをするんだ」と嘆く場面が頭にちらついてしまった。

 ともかく引き取ってもらえることになり、段ボールに本を詰め、連絡先と送金先を書いた紙を入れておくってください、と店主さんは言った。
 こちらの名前を聞くこともなく、他を当たって他がいいならそっちで決めてもいいからねと、言う。

 ひとまずほっとしていると、店主さんが突然、
「お父さん、『古事類苑』を持っている、ってことは、先生?」
 と聞くので、はい、というと、大学の?と言う。
「いいえ、中学ですが」
 というと、
「ほぉ、すごいな。中学の先生で、『古事類苑』全巻持ってましたか」
 と、感心された。なんだか、父が神田でも褒めてもらえるくらい意識高い系の人だったのかしらと、ちょっと誇らしくなるような言葉だった。

 という話を父にしたら、父も嬉しそうだった。

 コロナ禍以後、めっきり外に飲みにも行けなくなり、年齢的にも親しい人がだんだん減っていくような感じで、少々寂しい思いをしていたであろう父にとって、若い時代の思い出の詰まった神田の古書街の古本屋さんに自分の本を買い取ってもらえたことは、とても嬉しい出来事のようだった。

 後日談としては、書店に送った後、店主さんから、到着した品物が足りないと連絡が来たのだが、その後その足りないぶんが見つかって、心配させる電話をしてしまった、と、また電話でしきりに謝ってくれた、と妹が言っていた。
 送料の方が高くついたが、それでも大切にしていた本をちゃんと引き取ってもらえたことで父がほっとしたことが、なにより喜ばしかった。

 全集好きの父のおかげで、私は幼いころから、たくさんの本に触れさせてもらったと思う。

 全集というのは、編者セレクト品、つまりコンピレーションである。時代も映すけれど、編者が後世に残したい選りすぐりの作品を選んでいるものだ。今は全集の時代ではないけれど、本を読みたい、と思った時に全集に収められた作品を読んでいくのは、ひとつの「読書道」だと思う。私が小学生の頃、図書館で福音館書店の『古典童話シリーズ』制覇なんてことを考えたのは、家に全集が沢山あったから、のような気がする。まず全集を読むという「読書道」がすでに備わっていたのかもしれない。

 父に道を教えてもらい、読書道に励んだのは姉妹のうち私だけだったが、その道の教えのおかげで、神田に棚を持つに至ったと言えなくもない。
「リアル丘の上の本屋さん」の店主さんもまた、道を究めた感が半端なく、本を愛するオーラがにじみ出ていた。

 映画『丘の上の本屋さん』の本屋さんには、こんな言葉が掲げられていた。

 持ち主が変わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る。

カルロス・ルイス・サフォン『風の影』(2001)

 あの全集も紙の値札が貼られるのだろうか。またどこかで力を得る日が来るだろうか。たとえ難しいことだったとしても、「ひとつの希望が無くなったからと言って絶望することはない」(byセネカ)のだ。

 この映画の老店主さんと、神田の老店主さん、そして父の姿が、重なった出来事だった。

 追記:この記事を投稿した後、本屋さんから、状態の良い本だったので送料分を上乗せしましたという電話があったとのこと。なんと。本当に素敵な本屋さんだった。









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