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タイムマシンにお願い 実家の片づけ③

 今回も、片づけていたら出てきたもの。

 小学校二年生の時の自分の日記です。

 想像していたよりは綺麗な字で、割としっかりした文章を書いているのですが、内容が面白すぎる。

 当時の出来事や、誰と遊んでいたか、何をしていたか、というのが見事にわかり、懐かしいのなんの。

 いえ、懐かしい、というのは語弊があります。

 当時のことをほとんど覚えていなかったので、むしろ、とても新鮮でした。

 ほかにも学年ごとの作文などが出てきたのですが、これが今度は、いまいち面白くない。

 年を追うごとに、当時女子の間で流行していた丸文字のようなものを書いてみたり、なんとなく「装う」文章になっています。

 成長に伴う当然の変化、ともいえるのですが、かといっていまいち、いい作文になっていない。残念な感じです。

 私…
 あきらかに、作文がどんどん下手になってる…

 若干ショックでしたが、気を取り直して二年生の日記を。

 表紙に「えにっき」、と書いてありますが、絵は最後のページに少しあるだけで、ほとんど文章だけです。

 二年生の時は、担任の先生が途中で病欠されたので、臨時の先生が来ていました。

 先生のコメントもそれぞれ個性があってこれまた面白い。

 表現がよいところには、赤い線を引いて褒めてくれたりしていますが、「雑誌の付録の組み立てが難しかったからお父さんに手伝ってもらいました」というような内容を書いたところには、

 じぶんでやりましょう。 

 と、バッサリ。
 そ、そうなの?
 親に頼ってはダメなとこ?そこ。

 二年生の時、私が何をしていたか、というと。

 歯医者

 に行っていましたね。

 もう、際限なく歯医者の話が出て来る。

 そして、「ジィーーーーー」(たぶん削る音)を、強烈に恐れている。
 
 かなりの行数が、その恐怖に費やされています。

 どんだけ歯医者が嫌だったんだ、私よ。

 しかし当時行っていた歯医者は確かに怖かったのです。

 まず、古民家みたいな家がそのまま、待合室&診察室でした。
 薄暗い畳敷きで、トイレは外。
 硝子の引き戸のその奥に診察室があるのですが、それがまた、古い歯医者独特の、子供には恐怖心しか抱かせない器具としつらえ。

 まあ、行きたくなかった気持ちは今も少し思い出せます。現在、その歯科は改装してこざっぱりとしたモダンな歯科になっているそうです。

 その上たいてい、

 名前を呼ばれたのに、本を読んでいて気がつきませんでした。

 という記述ばっかり。
 母や看護師さん(当時は看護婦さん)も毎度イライラしたことでしょう。よく怒られています。

 それから毎週アニメ(キャンディキャンディ)を観ていました。

 観るたびにこまめな感想を書いてます。

 それほど近くはない図書館にも、よく通っていました。

 「かるいかるい王女」
 「ぼくのつくえはぼくのくに コロボックルのトコちゃん」
 「たんじょうびをさがせ」
 「お日さまはらっぱ」

 など、読んだ本の書名も書いてありました。

 が、「キャンディキャンディ」のアニメにはいちいち感想を書いているのに、本は読んだという記録だけ。

 まさに!noteの原典ここにあり。笑えます。

 また、家族や自分の当時話していた言葉(方言)を、かなり忠実に記載。

 自分の言葉や、内心の声。
 母が叱る言葉。
 妹との会話。
 友達に言われたこと。

 子供だったからいろいろなことを忖度なしに書けたのでしょう。
 それが、とてもリアル。

 当時一緒に遊んでいた友達。
 いとこたち。
 祖母や、親戚と会ったこと。
 雪が降ったこと。
 霜が降りたこと。
 てんとう虫をみたこと。
 四葉のクローバーをみつけたこと。
 いじめっ子のしうち。
 習い事での出来事。
 あのころ欲しかったもの。
 あのころ読んでいた本。

 こんなにも毎日を濃密に暮らしていたのか…と驚くばかりです。

 あまりに面白かったので、両親に音読。

 両親も、こんな日記があったとは知らなかったようです。

 久しぶりに両親を笑わせることができました。

 日記の一部をご紹介したいところですが、なにしろ田舎の方言丸出しなので、そのまま書くと意味が通じない。

 言葉に難が出ないところを取り上げるとしたら、たとえばこんな感じ。

 7月8日 はれ
 きょう、プールにはいりました。
 一、二時間ぐらい、赤はたでした。
 三、四時間も、同じでした。
 五時かんめに、はいりました。
 みずぎをきて、たいそうをしてはいりました。
 水がとてもつめたくて、二三かいはいったら、ぷるぷるになって、五かいはぶるぶるして、六かいめは、がたがたになりました。

 よっぽど、プールに入りたくなかったんですね。 
 実際、水が相当に冷たかったんでしょう。 
 ぷるぷる→ぶるぶる→がたがた。笑 

 午前中「不可」だったんだから、もうその日は「入れない日」でよかったのでは…? 昭和はとにかく、甘くなかったのぅ(ノブ風)。 

 ツッコミどころ満載です。

 小学生の常で、ほとんどの末尾に「たのしかったです」「おもしろかったです」などという定型句がつくのですが、それにしても1年間に何が起こったかわかって、自分史&家族史的には、意外と貴重な資料です。

 両親も、母方の祖母がよく訪ねて来ていたことや、珍しい親戚が家に来ていたことには驚いていました。妹が骨折したのがこの年だった、とか、ハツカネズミを飼った、とか、親戚の家が新築した年で新築祝いをした、音楽教室に行っていた、学校で劇を見に行った等々。忘れていたようなことがこれでもかと書いてあります。

 大人になってからは、こんなに面白い日記は書けません。思春期の日記なんて究極のおのれファーストで、とても他人様に見せられるものではないし。

 45年前の私は、まさか大人になった自分に日記を読まれて笑われてるとは思いもしませんでした。

 タイムマシンで遡って当時のみらいに会ったら、怒るでしょうねぇ。

 勝手に読んで、笑うなんてひどい、と日記に書くでしょう。

 今回、いろんなものを捨てましたが、ひとまずこの日記だけは「捨てる箱」からそっと取り出してしまいました。

♬BGM「タイムマシンにお願い」サディスティック・ミカ・バンド

※2023年5月メディアパルさんの企画に参加します。

#実家にある私のもの  

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