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服がない

 noteを始めたばかりの頃、こんな記事を書いた。

 この記事は、Rakuten Fashion Week TOKYOさんの主催コンテストに応募し、有難いことに受賞作の中に入れてもらった記事だった。

 先日、友人からこんなラインが届いた。

「今、服が似合わないの!びっくりよ!」

こちらの記事にも登場した、長い付き合いのサトちゃんだ。

 まさに、タイムリー。
 私もちょうど、同じことを感じていた。

 その昔、30代半ばのころ、英会話を習っていた。

 その時に時々クラスが一緒になる方がいた。
 その方は、ちょうど今の私と同じくらいの50代と思しき、品のいい女性だった。

 帰途でも一緒になり、少しお話したことがある。

 経緯は忘れたが、ファッションの話になった。
 最近、変化があったというので、どんな変化か尋ねたら、こうおっしゃった。

この頃、ロングスカートを履くようになったわ。

 へえ、ロングスカートですかぁ。
 間抜けにも私はそんな受け答えをした。

 その言葉の意味することを、実はよくわかっていなかった。

 好みの変化で、ロングスカートが好きになったのかな、と。

 今、私はその理由をありありと知り、噛み締めている。

 中年になると足のラインは足首、ふくらはぎ、膝、腿、お尻にいたるまで、全く変わってしまうし、パンツを履くとそれが目立つ。ワイドパンツだろうと、お尻から腿のラインが完全に隠せるわけではない。

 ロングスカートは、それを隠してくれる優秀アイテムだったのだ。

 なーるーほーどー。

 彼女の言葉を、なぜか忘れられずにいたが、こんなに深い意味があったとは、当時はついぞ、知らなかった。

 このところ、いよいよ外出の機会が増えた。

 学校の行事や子供の習い事、その他さまざまな催しが、中止やオンラインではなく、「感染症対策をした現地」で行われることが多くなったからだ。

 良いことだ、と思う。
 これはもちろん、喜ばしいことだ。

 しかし、とにかく服がない。

 特に50代以上にとってのこの感染症流行期は、単に太った痩せたという話ではない変化が訪れるには十分な時間だった。

 肌の色。
 髪の質感。
 顔や身体のライン。
 すべてが少しずつ変わっている。

 …いや。スミマセンちょっと嘘。
 私の場合は、「かなり大幅に」変わっている。

 とにかく、何を着ても全く、似合わないのだ!
 似合っている気がしない!

「うん、まあ、こんなもんかな」という、合格最低ラインにすら達しない。

 40代の頃、スタイリスト地曳いく子じびきいくこさんの本を読んだ。
服を買うなら捨てなさい』や『50歳、おしゃれ元年』などだ。

 来たるべき時に備えて、心構えとして読んだが、あの時はまだそこまで現実味がなかった。

 今こそ、現実となったわが身を鏡で見る。
 そして地曳さんの言葉が身に沁みる。

 でも、気がつくと着るものがない!こんなに服を持っているのに、似合う服がない!クロゼットいっぱい、パンパンに吊るしてある服のどれもが似合わないのです!
(中略)
 なぜ、私たちは50歳になって、似合うものがないと途方に暮れているのだろうか?もしかしたら10代、20代、30代と信じてきたファッションルールが通用しなくなっているのではないでしょうか?
 年を重ねて、確かに体型や顔つきは変りました。
 でも、それだけではない。時代も変わったのです。
 にも関わらず、あの頃の感覚のまま洋服を着続けているから、今の時代の「素敵な50歳の女性」として自分に似合う服が、クロゼットの中にほとんどないのです。 

『50歳、おしゃれ元年』より

  地曳さんのおっしゃる50代以降のオシャレのコツは、こうだ。

 ①昭和のオシャレルールを捨てる。沢山の服を着まわすのではなく、鉄板の全体コーディネートを小さく繰り返す方向にシフト。
 ②買い物はひとりで行く。メイクをしていく。気力と体力があるときだけ行く。履きなれた靴で行く。試着は必ずする。
 ③髪>顔>靴>身体(全体・パーツ)の手入れをする。
 ④自分の身体の変化から目を背けない。35歳ごろの自分のイメージを捨てる。
 ⑤毎日、ばったり知り合いと会っても大丈夫な格好をする。できれば好きな人と会うことを想定して服を選ぶ。
 ⑥おしゃれは苦痛なことではなく、人生を楽しむためにある。人がなんと言おうと、自分が気持ちのいい服を着る。

 地曳さんはブレないので、様々な本でだいたい同じことを繰り返しおっしゃっている。だからこそ、肝に銘じるべきことなのだとも思う。

 細かなアドバイスは本の出版年によって違うが、面白いアドバイスも多い。
 たとえば「50過ぎたら大きなバッグはやめる」というもの。
 持つときについ「よっこらしょ」とした動作になって年齢を感じさせるからだという。

 動作どころか言ってますがな、よっこらしょ…

 感染症流行禍で、次第に誰にも会わないからとメイクもしなくなり、上下バラバラの下着をつけ、家ではもはやそれしか履けなくなったワイドパンツとビッグTシャツ、近所では誰にも会いませんようにと祈りながら買い物に出かけるようになりはてた私には耳の痛い話ばかりだ。

 「ココロオドルコト」では、生き方が如実に出る50代以降の装いの難しさについて書いた。

 生き方。
 もうその時点で挫折。
 とりあえず今は「ライフスタイル」は棚に上げる。

 …買いに、いくか。

 以前は嬉々として買い物に出かけたものだ。「お洋服を買いに行く」と思うだけで、心が躍った。楽しかった。

 しかし今は、それを阻む強敵が立ちはだかる。

 今の自分には地曳さんの言う通り試着が必須だが、この試着が厄介なのだ。特に夏は。

 汗をかくんである。

 周囲の暑さ寒さには関係がない。もちろん、周囲が暑ければもっとだろうが、冬でさえ汗をかくのに、夏なら何をかいわんやである。

 それなりの対策を講じるのだが、試着室というのは狭く、常に暑い。
 できるだけ、自分と服が密着する時間を短くするのに腐心する。

 基本、試着した服は買う、という気持ちで着る。
 試着前の絞り込みが大事になる。

 それでもどうしても、似合わない、気に入らない、サイズが合わない、といった服はあるので、心の中で深く謝罪しながら店員さんにお断りをしなければいけない。

 実際、お店側がそんなに気にしていないのだとしても、自己責任と良心に訴えかけてくる「試着」という行為に、自意識過剰なくらい、申し訳なく思う。

 やっぱりあれか。
 年配世代に通販が主流なのにも理由があるのかもしれない。
 この試着の申し訳なさ、苦しみから救ってくれるのが「家で試着できます」の通販なのかも。

 先日ついに、喫緊に外出する予定が入り、久々に実店舗で買い物をした。

 心底試着したくないが、しないでは買えないだろう。

 実はこの間、以前からよく買い物をしている通販サイトで買い物をし、失敗していた。

 カーディガンを買ったのだが、色のイメージが違い過ぎた。
 写真のモデルさんにはよく似あって素敵だったが、鏡の中の自分は、その色が空恐ろしいほど、似合わなかった。

 仕方がない。通販の宿命だ。

 しかしやはり、試着は必須だと、それで思い知った。

 意を決して重い腰をあげたものの、買い物する店舗の目星をつけなければならない。

 何をどこで買ったらいいか、もはや見当がつかない。

 何年か前に買い物した記憶をたどり、私は「駅から近い」&「一度買い物をしていて店内の想像がつく店」という点に絞って、とある店に入った。

 店に入って、中をぐるりと見て、気になった服に手をのばすと、店員さんがすかさず来てくれた。

 この素早さを知っていて、この店にした、というのもある。
 ウィンドゥショッピングだけのときは、入らないお店だ。

 本当は、もうこの時点で「これください」と言いたいが、堪える。

 瞬く間に、色違いや系統の同じ服の上下を目の前に並べられ、機能やデザインの説明をするついでに、彼女の接客テクニックでどんな用途かを自然に白状させられ、まずは二種類を比べる試着を勧められる。

 その日の店員さんは、幸か不幸かとても親切で接客上手な人だった。

 うむ。かたじけない。
 しかし申し訳ないが、貴殿のテクに屈してあれもこれも試着をするわけにはまいらぬのだよ。

 まず私が確かめたのは
「素材は何か、洗えるか否か」。
 これはとても重要だ。
 それから「サイズ・色展開」。


 ボトムスが黒か紺と決めてあるので、色味のものは長考の必要が出て来るので避けた。目の前に所望した白系シャツブラウスが数種類並ぶ。

 が、白だって簡単ではない。
 アンミカさんも言っている。

 白って200色あんねん。

 店員さんも、着てみて決めろと迫ってくる。

 中から二種類を選び、意を決して試着室に入った。

あっっつい。

 やばい。が、幸いにもこの時は、エアコンがよく効いていてそれほど汗が噴き出る状態にはならなかった。急いで拭いたが、制汗タオルは拭いた直後はサラッとしない。ハンカチでさらに抑え、ようやくフェイスカバーを駆使して新しい服に袖を通した。

きっっつい。

 一瞬にしてんだ。

 すぐに諦め、もうひとつに腕を通す。
 それは、なんとか、いけそうだった。

 いけそう、と判断するや否や、すぐさま自分の服に着替え、店員さんが「どうですか?」と様子を伺いに来る前にシャッ!と試着室を出た。

「こっちにします」

 その間、いったい何分だったのだろう。
 これまで私が試着室で過ごしてきた時間は何だったんだと思うくらい、爆速のスピードだった。生鮮品売り場で値段を見るがごとく素早く金額に視線を走らせ、秒で決めた。

 これまでは鏡の前で「色はあっちのほうがいいかな、丈はちょうどいいみたいね、袖はもう少し長い方がいいかな。あっちかな、こっちかな」などとグズグズ悩んだり、「これ買っちゃうとランチは少し我慢かな」とか、お金の心配をしていたあの日々。

 30代、40代まではそれができた。

 あの頃の私に言いたい。

 そんなん、たいして変わらない!
 今の私に比べたら、30代のアナタは何を着たって大丈夫だから!
 あの時の時間を、少しでいいから今の私にくれ~

 結局この日は、薄いベージュのシャツブラウスと、羽織にもなる黒いシャツブラウス、色違いのスカート(もちろん、ロングスカート)を2枚、買った。

 シャツブラウスというアイテムに絞ったのは、被り物プルオーバーを試着したくなかったから。
 汗の件もそうだが、50肩になってからプルオーバーはできるだけ避けている。家で着るTシャツは、通販で適当に大き目サイズを選ぶ。

 試着したのは上下含めて2度。
「ごめんなさい」をしたのは1枚だけ。
 購入前の吟味はおおむね成功だったということだ。
 地曳さん、アンミカさん、どうかそれで許してほしい。

 これで秋まで乗り切るつもりだ。
 もうとうぶん、洋服は買いたくない。

 でも知っている。
 ヘビロテする服になるかどうかは、日常的に着ないとわからないということを…

 50代、服がない。
 その理由は、「似合わない」だけではない。

 








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