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風が吹いてしまった

 卒業入学進級進学といった変化のある春は、「おおごと」から「こまごま」まで雑事が山積する。時間の融通がきく私のような主婦でもそうなのだから、ワーキングマザーはてんてこまいであろうと思う。

 「おおごと」は、例えば入学金とか学費の納入は待ったなしで期日までになんとかしなければならないし、場合によっては給食費なんかが口座開設になるパターンもある。銀行に行ったり、ATMをはしごしたり、ネットバンキングでは済まないことも出てくる。

 今年は卒業式や入学式が通常通りの学校も多くなったから、当日は子供だけではなく自分の衣装の世話もしなくてはいけない。
 去年入ったスカートが入らなくて慌てて通販で大きいサイズのスカートを注文したのは誰あろう私だ(これが「おおごと」なのかどうかは人に寄るだろうけれど)。

 「こまごま」は、例えば制服・運動着・お弁当箱・上履き・学用品等の準備や、各所に提出する書類の記入など、枚挙にいとまがない。学齢が低いほど、サイズアウトするスピードも速いし、お名前つけも母の仕事。そのために苦手な裁縫もしたりする。小学生の春の荷物なんて「これ全部持って学校まで歩くのか」と気の毒になるほど多い。

 先日などは息子の上履きがすでにスリッパ(※)になっていたことに気づかず(自己申告は「別に大丈夫だよたいして汚れてないしちょっと穴あいてるくらいだし」だったからそこまでとは思っていなかった)、注文が遅れ新学期にギリギリ間に合った。中高生男子は、なぜか新品の上履きを嫌がる。

 ※穴どころか、つま先も脇も裂けていましたよ。ツッカケです。イソ吉草酸が香ばしく匂い立っておりました。

 「おおごと」でも「こまごま」でも、ひとつひとつは、それほど大したことではない。転勤や子供の巣立ちがある場合は別として、人生で初めてにして命を賭けた一世一代の大勝負とか、そんなもんではない。

 でも対処しているうちに、日が暮れていく。

 さらにこの春は「お出かけ」が増えた。

 感染症流行の落ち着きや規制緩和などもあり、昨年までとは全く違う雰囲気の春。

 これまで我慢して会えなかった友達や新しく知り合った方と、実際に会って親睦を深める機会が激増している。コロナがこの世から消えてしまったわけでもないのだから注意しなければいけないと思いながらも、嬉しい気持ちで日々、出かけている。

 そんなこんなで、時間がない。

 もともと、スケジューリングや時間配分が苦手なタイプだ。常に追われるように日々を暮らしている。リアルな邂逅を楽しみながらも、諸事にすべからくうまく対応できないことに対し、自己嫌悪に苛まれることが多々ある。

 私のプロフィールには、「読むこと、書くことが好き」と書いてある。読む時間がない、書く時間がないのは、結構苦しい。満を持して時間を作り、いざ座るとあら不思議。集中が続かない。それならお休みにしてしまえばいいのだが、読み書きは本能的な欲求に近いのでやめたらそれはそれで辛い。
 実にアンビバレントな懊悩にさいなまれている。

 コロナ禍、色々な不便があったけれど、自分の時間は多かった。
 凪の時間だった、と思う。
 そんな中で読み書きに邁進し、ついに出版という暴挙に及ぶに至った。すべては「時間」のおかげだった。

 今は外から風が吹いてきて風向きも変わり、止まっていた時間がまた動き出しているようだ。
 
 風は吹いてしまった。
 いっぽうで、自分のしたいことにも気づいてしまったし、そのための時間を確保したいという思いも強くなった。

 何を言いたいのかと言うと、つまりは謝罪である。

 思うように記事が読めない――
 日々の投稿もそうなのだが、実はひそかに追っている長編記事がほぼ読めていない。新しく長編が始まっていても読み始められない。ジレンマここに極まれりという感じだ。

 自分が読みたい本が読めない――
 これは、今に限ったことではない。どちらかと言うと一気読み派なので、どうしてもまとまった時間が欲しい。子供が生まれてからは慢性的に悩まされていることではある。確かにでも、最近はその欲求不満を特に感じている。

 自分の書きたい記事や作品に着手できない――
 一日のうちに「書く」ことに充てられる時間が減っているので、制限せざるを得ない。

 スキをしてくださった方の記事に行けない――
 自分の本にかかりきりだったころからこの傾向はひそかに進行していたのだが、さらに訪問できなくなっている。

 フォローしてくださった方の記事にも行けない――
 noteを始めてからずっと、フォローしてくださったからには必ずや相手の方のnoteに訪問しようと決めていたのだが、こちらも行けない。

 そもそもフォロワーさんが700を超えるなどとは、正直最初のころは想像もしていなくて、500を超え始めたころから、徐々にいろいろなことが追いつかなくなっていった。
 1000も2000ものフォロワーさんのいる方は、果たしてどのようになさっているのだろうか。
 
 人には限界があるのだと痛感する。
 脳の大きさから割り出した、人間が安定的な関係を維持できるとされる人数は150人、という「ダンバー数」というのがある。
 私はまともにSNSに取り組んだのはnoteが初めてだったので、そんなことがあることも完全に失念していた。最初から気を付けてフォローとフォロワーのバランスをとっているnoterさんもいらっしゃる。きっといろいろな場面で葛藤もあるのだと思うが、それが「正しいやり方」なのだろう。
 

 せっかく、せっかく、読んでくださったのに。
 そのうえ、フォローまでしてくださったのに。

 追いつかないのが、本当に申し訳ない。 
 少しずつ、時間を見つけて追いかけていこうと思っている。
 不甲斐ないみらっちを、気長に待っていただけたら有難い。
 
 ふと「ああこうしてnoteを去っていく方がいるんだな」、と思う今日この頃だ。時間は有限だから、どうにかしてバランスをとる必要がでてくる。
 相互に読み書きをしあう関係にあるnoteの中では、だんだん、読めないことや書けないこと、コメントが上手くキャッチできないことやしっかりお返事を書けないことなどが、辛くなっていくのかもしれない――

 
 
 

 

 

 





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