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鎌倉ほのぼの散歩 二十四番「寿福寺」

 2019年、11月。
 いよいよ年末感が感じられる晩秋の晴天。
 空ちゃんとみらいの鎌倉三十三観音様参り「6日目」です。

 この日の行程は、鎌倉から北鎌倉へ向かうコース。
 寺と寺の間隔が離れている、源氏山方面の、最も歩きの多い道のりです。

 ふたりで「山道ハイキングコース」と名付け、暑い時期を避け、若干「後回し」にしたコースでもあります。
 とはいえ、あまりに季節が冬に向かって寒さが厳しくなってからでも困ります。
 いよいよ決行。
 足元はしっかりスニーカーで出発です。

 最初のコース設定では、この日は「寿福寺」「浄光明寺」「海蔵寺」を回って北鎌倉方面に抜けようか、と考えていました。

 ところが、お寺が夏休みだったため回り切れていなかった「光触寺」の存在が重くのしかかります。

 空ちゃんも私も、年内に回りきるにはそろそろスケジュールが限界です。

 幸いこの日は、時間的には余裕がありました。

 天気も上々。

 少々、無理があるかもしれないけれど、「寿福寺」「海蔵寺」から「浄光明寺」と鶴岡八幡宮方面に戻り、時間があったらバスで「光触寺」まで回ってしまおう、ということになりました。

 最初のお寺は「寿福寺」です。

 この日は歩きが中心なので、最初から「ナビ子」を召喚していました。

 ところがまたしても!

 ナビ子は裏道、裏道に誘導してくる。

 「なんかさ、道、おかしくない?」
 「ほんとうに、これであってるのかな?」

 そう言い合いながら進む、空ちゃんとみらい。

 もともと山道はあるはずという気持ちでいたので、どんどん奥まって行ってもさほど気にしていなかったのですが、どう考えても竹林みたいな場所、そしてどうやら岩のトンネルのようなものが見えた瞬間、

ナビ子にやられた…

 と、思いました。しかし、いまさら引き返すこともできず、我々はうっそうとした森と民家の合間を歩いていくほかありませんでした。

 後で確認するとこの岩のトンネルは「寿福寺トンネル」というものだそうで、完全なる裏道。

 裏手の山(源氏山)の反対側には、ちょっと怖い「化粧坂けわいざか」切通しがあります。

 裏山は完全に普通の墓地。

 その手前に、洞窟のようなところがあり(「やぐら」という鎌倉独特の墳墓だそうです)、北条政子・源実朝の墓と表示があります。

 ともかくそそくさとトンネルを通り、「な、何かいきなり政子さんのお墓ってマズいんじゃ…」と思いながら、政子さんのお墓ならお参りをしないという選択肢はなく、なにはともあれ二人のお墓のお参りをし、なぜか裏門から寿福寺へ。

 寿福寺は、鎌倉五山の第三位。

 ガイドブックでは、かなり大きめの立派なお寺なのですが、裏門から入ると、ガイドブックなどの写真にはない風景が広がっているので「本当にここが寿福寺で間違いないのか…?」と不安になります。

 とにかく進む。笑

 すると、ようやく開けたところに出ました。

 どうやら寿福寺で間違いなさそうです。

 普段はあまり公開している場所がないため、とても静かなお寺です。閉じた扉の向こうの観音様をお参りし、御朱印をいただきに向かいました。

 お願いすると、おじいちゃん住職さん。

 よっこらしょと墨を摺り始めながら(墨からか…!)、

「そこの木がね、大きい木があったでしょう。あれがね、天然記念物。ビャクシンですよ。このお寺のね、名物なんですよ」

 と、ゆるゆると教えていただきました。

 先に書いた通り、若干「巻き」で行こうとしていた私たち。

 おじいちゃん住職さんのゆるっとした雰囲気に、「ううむ、しょっぱなから大丈夫だろうか」と感じていたのですが、しかしそれが後に、実は「いいこと」だったことを知ります。

 せっかく話してくださるのだからと、はあ、なるほど、そうなんですか、と色々お話をお伺いして、御朱印をいただきました。

 御朱印の人以外一般拝観の方は立ち入り禁止の札を通りぬけ、改めて開けた場所に出たとたん、山門に続く美しい石畳が目に入りました。

多少動揺してブレてしまった写真

 これは…
 明らかにこっちが表門では…

 顔を見あわせる空ちゃんと私。

 大きな山門の方では、明るい家族連れの声などが響いています。

 このお寺は鎌倉五山。

 ちなみに五山というのは、北条氏が中国宋時代の五山制に習い、臨済宗寺院の寺格を定め、住持を任命して寺院の保護と統制をおこなったのが始まりとされています。その後足利氏は、京都にも五山を定めました。

 いわゆる当時のランキング三位、格式高い由緒正しい禅寺です。

 源頼朝が亡くなった翌年の1200年に、妻の北条政子が栄西(えいさい、ようさいとも)を開山に招いて創建されたとのこと。

 もともとこの地は、奥州に向かう源頼義が勝利を祈願したといわれる源氏山を背にした、亀ヶ谷と呼ばれる源氏家父祖伝来の地でした。
 頼朝の父・源義朝の旧邸もこの地にありました。

 栄西は、宋に渡って禅を学んだ、教科書に載っているあの栄西です。ちなみに建長寺は、北条第五代執権の時頼が開基したお寺なので、第一位の建長寺より開闢は古い、ということになります。

 ナビ子のせいで、古いお寺の、より古い方からやって来た私たち。

 ちょっと呆然としながら大きなを門をくぐり、大通りへ。

 大通り、だと…?

 そう、この道は、鎌倉駅西口を出て、スクランブル交差点まで歩き、そこから右折して、

 ただひたすら道なりにまっすぐ行けば

 到着する場所にありました。

 ナビ子め…やってくれたな。

 全くナビ子には参ったねと言いながら、思いがけない裏門体験にドキドキしたことを打ち明け合って、次の「海蔵寺」を目指します。

 さて、さきほど「のちに良かったと思う」と書いた住職さんのこと。

 その後ネットを検索すると、出るわ出るわ「寿福寺 怖い」のワード。

 怖いのはそもそも心霊系の怖さもあるようでしたが、それ以上に「住職さんに叱られる、対応が良くない」といったものだったのです。

 私たちは幸い、とても良くしていただきました。

 でも確かにお年を召しているご様子だったので、御朱印は大変だろうねと空ちゃんと話していたのです。

 今回、この記事を書くために上記添付のHPをみたところ、「山門不幸のため、御朱印は当面の間休止」という表記がありました。

 山門不幸とは、住職のお身内にご不幸があったことを指すとのこと。

 ということは…

 御事情の詳細は分からないのではっきりしたことは言えませんが、どうやら私たちの頂いた御朱印は、温厚なご住職のお話しとともに、貴重なものとなったのかもしれません。

 このお寺には、高浜虚子のお墓などもあるそうで、紅葉の季節がベストだとか。

 またいつか、三十三観音様のお参りを始めた暁には、今度こそ、表通りの大きな山門と美しい参道からお参りに詣でたいと思います。

 次はこちら。


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