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涙がキラリ☆『駐妻記』感想 vol.1(大人の友情編)

 2023年1月末に『駐妻記』を出版してから約二か月。
 買ってくださった皆様、読んでくださった皆様に、心から感謝申し上げます。
 ありがとうございます!

 これまでに、リアルの友達や、友達の知り合いの方からも、少しずつ感想が届いているので、今日はそのご紹介第一弾です。

 今回は、以前鎌倉めぐりで、空ちゃんが行けなかった日に一緒に建長寺や明月院を回ってくれた七海ちゃん

 あぁ、これこそがみらっちの魅力だなぁ~と感じさせられるエピソードが、いっぱいでした。

 時に奥ゆかしくて、ちょっとドギマギしちゃうところもあるかと思えば、イザ自分が守るべきもののためなら、果敢に大胆に進んでいけるところ。
 実にたくさんの色のきらめきを持っているのが(それこそ万華鏡のように)、みらっちの魅力だと思うのです。それが、見事にそこここに、詰まっていました。

 続・駐妻記、続々・駐妻記も、いえいえ、それに限らずみらっちの本を読みたいです。

 あちこちでクスクス笑わせてもらったけれど。アサヒくんのエピソードでは涙が止まらなくなってしまいました…😭

 慣れない海外の地で、幼い息子さんの子育ても大変なのに、愛する存在をある日突然失うということが、どういうことか…😭
 みらっち、本当に壮絶な体験だったと思います。

 その当時、私はまだみらっちに出逢っていないわけだけれども。なんだかみらっちが、茫然自失で佇んでいるような気がして…時空を超えて、その当時のみらっちのところに飛んで行って、ハグしてあげたい気持ちでいっぱいになりました😭

 思い出すことさえ、苦しくて苦しくて避けていたことを文章にしたためる行為は、どんなにか大変だったかと思います。でもきっと、こうして書ける状態になってくれたみらっちのことを、何よりもアサヒくんがいちばん喜んでくれているような気がします。
 
(この後は七海ちゃんの個人的エピソードが含まれるので後略します)
※「アサヒ」は私の飼っていた犬の名前(仮名)

 七海ちゃん、本当にありがとう😭😭😭
 私がこの本で伝えたかったことをあますところなく受け止めてくれて、とてもとても、嬉しかったです。

 七海ちゃんには、コロナ禍の間に悲しい出来事がありました。
 そのぽかりとあいてしまったところに立ちすくみ、私たちはなんとなくお互いに距離を測るようになっていきました。
 心で思い合いながら会うことはなく、言葉もあまり交わさずに、3年を過ごしました。
 
 たぶん互いに感受性の強いもの同士なので「そっとしあいながら」の3年間。大人にはこんな友情もあるんだ、と思う月日でした。

 会えなかった3年間。会わなかった3年間。
 共通の友達には「あんなに親しかったみたいなのにね」という感じを与えていたかもしれません。寂しい日もあったけど、またいつか笑顔で会える日を信じていました。

 以前はしょっちゅう会い、おしゃべりをしあって親睦を深めたふたりでしたが、心に深い悲しみや傷を宿したとき、実際に会ったり話をしなくてもお互いに思い合う時間を過ごすことを、私は彼女から学びました。

 彼女からはいつも何かしら学びがあるのです。

 若いころなら、ちょっと険悪になったかもしれませんし、互いに傷つけあってしまったかもしれません。離れたらそれまでとこじれてしまった可能性も。これまで散々経験を積み重ねてきたから、ふたりともある時期ふと、気づいたように思います。

 たぶん、互いのために。
 たぶん、遠慮しあって。

 今回、とても久しぶりに連絡をとって、出版をお知らせしたらとても喜んでくれて、すぐに取り寄せて読んでくれ、上の感想を送ってくれました。

 七海ちゃんと離れている間、私は時折、この歌を思い出していました。

遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ
僕らの住む世界では太陽がいつものぼり
喜びと悲しみが時に訪ねる

遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる

そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く
美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間
せつなくてせつなくて胸が痛むほど

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ!
ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる

小沢健二『ぼくらが旅に出る理由』

 以前、映画『輪廻の少年』の感想を書いた時にもこの歌の歌詞を書きましたが、あの時、旅をめぐっていろいろなことを考えながら、七海ちゃんや大事な友達のことを考えていました。

 この歌で「僕」は「ぼくら」です。常に複数形。
 旅をするのは、「恋人」その人だけではないのですね。

 私たちは、実際に距離が離れる場合だけではなく、たとえ近くに住んでいても、互いにひとりで心の旅に出ることがあります。親子でも、きょうだいでも、恋人同士でも。どうしてもひとり心の旅をしなくてはいけない「時」があって、お互いに愛あればこそ離れるという選択をすることがあるのだと思います。

 時間薬で癒される苦しみもあるけれど、ひょっとしたらきっかけを失って心の距離がもう縮まらないかもしれない。
 それでも、喪失感のただなかにいるときは、言葉を尽くせば尽くすほど傷つけてしまうことがあることや、そばにいてもその傷を癒せないことがわかっているから、いまはただ、その人自身が回復するのを信じて待とう。

 そんなふうに、少しの間離れて見つめることがある、と思うのです。

 少しばかり、勇気が必要。
 孤独に耐えることや待つこと、我慢したり、信じること、赦し合うことの試練もやってきます。
 
 春は、別れと出会いの季節。
 進学のため、親元を離れる子供たちを見送る親心もあると思います。

 最近あちこちで聞く、「寄り添う」。
 実際にそばにいることもとても素晴らしいことだけれど、「遠くから思いを馳せ、祈る」愛もあると思います。

 そして今日ついに時が満ち、実に3年ぶりに七海ちゃんと会いました。
 七海ちゃんは七海ちゃんでした。
 ちょっとは無理をしていたかもしれないけれど、前を向いて歩いていました。
 出版を心から祝ってくれて、これまでの互いの「旅」の話を尽きることなく話しました。

 久しぶりの乾杯。
 二人の目には、同じ涙が光っていました。

 
 

 

 

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