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ひとり暮らし

 人生のどの時期にひとり暮らしをするかで、ひとり暮らしの捉え方というのは大きく変わる、と思う。

 私のひとり暮らしは、高校を卒業した18歳の時に始まり、22歳で大学を卒業した時に終わった。4年間だった。

 推薦受験で大学がかなり早い時期に決まったので、ほかの同級生より余裕をもって準備ができたはずだが、準備として何をしたらいいのかなんて実はさっぱりわからなかった。

 わからないのに、母には
「ほっといて。全部自分でするから」
 と言った。
 
 アホだなぁと思うが、まあ若い時代はアホなものだ。

 さすがにそろそろ住む場所を決めなければならないよと両親に急かされ、「そう思ってたところだよ」と、いかにもとってつけたように言いながら、ふくれっ面で、母とこれからひとり暮らしをする町に行った。

  その町は、想像していたより田舎で、想像していたより寒いところだった。

 川のせせらぎが聞こえる部屋を、母が決めた。

 あんなに「自分でするから」なんていきがっていたくせに、部屋を決める段になったら何にもできずに母のお膳立てにただ、「うん、うん」と頷いていた。

 そのくせ「私には決めさせてくれない」「自分でやれるのに」などと文句を言った。私が親なら叱りつけるところだが、母は母なりに、遠方の土地で1日のうちで何でも決めなければならないことへの緊張で、いっぱいいっぱいだったのだろう。こんなワガママで甘ったれな娘でこの先大丈夫だろうかという心配のほうが勝っていたかもしれない。
 何も言わなかった。
 私の態度に腹が立って無視していたのかもしれない。

 家賃も学費も生活費も出してもらっているのに、「ひとりでできるもん」と思っていたあの頃。

 初めてのひとり暮らしには、期待と希望だけがあった。
 怖いことや嫌なこと、寂しいことや悲しいことは何も考えなかった。
 これからは全部自分でしなければいけないんだ、ということより、これからは全部が自由なんだと思った。
 まったく頭がお花畑だった。

 引っ越しをした日に、大学生協で生活必需品をそろえた。みんなそうしていると大家さんに聞いたからだ。まだアマゾンも家電量販店の通販もなかった。お洒落だとかモダンだとかそういう概念のない、実用一辺倒な品物を、機械的に購入した。選ぶほど数もなかった。

 引っ越しの片付けをしていたらだんだん部屋が暗くなってきて、やっと、部屋の電灯を買っていなかったことに気づいて母と笑った。慌てて、まだやっているかしらとお店に走った。
 当時は、私のわがままや、やらかしたヘマを笑い飛ばせるぐらい、母も若かった。今の私よりずっと若かった。

 母がその部屋に決めたのは、住人が女子学生だけだったことと、大家さんが良い人だったからだ。

 大家さんは、早期退職後に初めてアパート経営をするご夫婦だった。敷地内に住んでいて、とても親切で、姪や親戚の娘にするように親身に接してくれた。

 畳の六畳間と、キッチン、バス、トイレ付の新築アパート。
 贅沢にも、ユニットバスではなく、バスとトイレが別だったし、キッチンも広かった。
 地方で、大学から少し離れていたために高額ではなかったが、決して安くない家賃だったと思う。
 両親は、大家さんがなにくれとなく目を行き届かせてくれるところだからと、きっと「安心」というものを付加価値として買っていたのだろう。

 コップを洗っていたら手からすっぽ抜けて勢い余って飛んでいき、六畳間とキッチンの間にあったガラス戸を割ってしまったときも、朝起きたら瞼に大きな霰粒腫さんりゅうしゅができていた時も、大家さんを頼った。
 あらあらまあまあ、と言いながら、大家さんはガラスの片づけを手伝ってくれたり、工務店の人を呼んでくれたり、病院に連絡してくれたりした。

 最初のころは、隣の先輩や、同じアパートに住む同級生とはお互いに部屋を行き来した。当時の私は本当に何もできなくて、恥ずかしいほど子供だったから、先輩はもちろんのこと、同級生たちもみんな大人に見えた。

 交友関係が広がるにつれ、色々な友達が遊びに来たし、私も友達の家に遊びに行った。こたつに足を突っ込んで、お酒を飲んだり鍋を食べたりして、寝ながらダラダラととりとめのない話をした。

 あの部屋にはたくさんの思い出がある。
 当時親しくしていた友達の大部分とは、すっかり関係が離れてしまったが、それなりにあったアオハルな恋も、友達との長電話も、トレンディドラマも、あの部屋とともにあった。
 
 そういえば、ひとり暮らしになって、ものすごくくだらないこともした。
 当時『キッチン』というよしもとばななさんの本に憧れを抱き、冷蔵庫のそばで寝ると落ち着く、という主人公の気持ちを味わってみたくて、冷蔵庫の隣で寝たことがある。

 キッチンの床は硬くて冷蔵庫はうるさくて全然眠れなかった。
 
 アホだ。

 大学に入って間もなく、ひとつの事件があった。

 ひとりで家にいた夕方、ピンポンとチャイムがなった。

 教育関係の書籍の訪問販売だった。

 本当に世間知らずだったから、私はどの学生の家にも来ることになっている客だと思った。だから家に入れ、お茶まで出して話を聞いた。

 今思うとあまりに無防備で冷や汗が出るが、幸いなことに、その人は犯罪者的な意味での悪人ではなかった。よく言えば仕事熱心な訪問販売員だったのだろう。おじさんで、人が良く真面目そうだった。

 気が付くと私は何冊組かの参考書セットを買うことになっていた。記憶があいまいだが、8万円くらいだった気がする。もちろん、月賦で何千円、のジャパネット方式だ。毎月の仕送りからも払えますから大丈夫ですよと彼は言った。
 
 おじさんが帰ってから、ようやくはっと冷静になり、マズいことになった、と思った。別段欲しくもなかったのに、なんで買うと言ってしまったのだろう。

 慌てて実家に電話して、相談した。
 話しているうちに情けなくて泣けてきた。

 詐欺とまでは言えないが、世間知らずの未成年に契約させる商売なんてけしからん、と父は言った。私のことは責めなかったが、これからはむやみに見知らぬ客を家に入れるなと言った。

 まったく、今考えてもあの時の自分には呆れてしまう。

 成人年齢が18歳に引き下げられ、クレジットカードも作れると聞いたときには、すぐにこのときのことを思い出した。
 
 あれから四半世紀以上が過ぎて訪問販売などはないし、知らない人を家にあげる大学生はもはやいないだろう。でも、何か高額のものを売りつける商売は、きっとあの頃より増えているし、巧妙だ。私が今の時代に18歳だったらとんでもないことに巻き込まれてしまいそうだ。

 もちろん、当時だって賢く慎重な学生は私のようなことはしなかった。
 私は愚かで、いいカモだった。
 
 生まれて初めてのクーリングオフをした。
 当時はクーリングオフというのがあることさえ知らなかったから、取り消せると聞いたときは心底ほっとした。

 クーリングオフの時も、おじさんは部屋に来た。
 実家が許してくれなかったと言ったら、そんな言い訳は慣れているのだろう、そうですか、残念ですが仕方ないですね、勉強頑張ってくださいねとあっさり解約に応じてくれた。

 自分が、ピュアでウブであまちゃんでハコ入りで世間知らずで無防備だということを、その事件ではっきりと思い知った。

 なんでもできると根拠のない自信を持っていた自分が、恥ずかしくて情けなくて、この失敗は生涯忘れないと誓った。

 私のひとり暮らしには、「失敗の体験」が詰まっている。
 悲しいことも、嫌なことも、もちろん沢山あった。ありとあらゆる失敗を経験したが、失敗ですらポジティブに考えることができるのが、若き日のひとり暮らしだと思う。

 可愛い子には、ひとり暮らし。

 今、親となった私は、当時の両親の気持ちに思いを馳せている。
 

 

 ※メディアパルさんの企画に、久々に参加します。

 

 

 

 
 

 


 

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