見出し画像

人生のテーマがまたひとつ増えたかも

増えたかもしれません。うん、増えました。

私には「人生のテーマ」がいくつかあって、そのひとつは「福島と向き合うこと」。これは、「私のこと」という記事で書いていますのでぜひ。

これ以外にもテーマがあるんですが、そのひとつひとつ、いつかnoteで書いていきたいなあ。なんて思ってます。

さて、人生のテーマがひとつ増えた話です
増えたのは2021年11月11日(木)17:00ごろ、大学の図書館にて
はて、そんなときになぜ増えるのかってね。

方言を使ったまちづくり

今私は大学の3年生の11月。あと半年で4年生になります。学校や学部によって差があると思うのですが、卒業論文を書き始めている時期です。この日は、図書館で卒論の準備を進めていました。

私の卒論の題目は、「地域資源としての方言の活用に関する研究」です。
方言ってみんながよく知ってる、関西弁とか、博多弁とか、そういうやつですね。
私の大学での専攻は「日本語学」で、ひたらすらに「日本語」と向き合っています。その中でも、自分の中で「方言」は大学に入る前から関心の深いもの。まあ、入りは単純に「方言ってなんか面白いなぁ。」なんですけど。

方言について色々学ぶうちに、「方言コンプレックス」ということばを知って。これは、そのまんまですが、「方言」に「コンプレックス」を抱くことです。方言に対して「恥ずかしい」「かっこ悪い」「隠したい」と思うことです。これには色々な社会的背景があって、標準語政策とか、方言撲滅運動とか、、、。

でも、今、方言の価値が変わってきています。
「方言」が地域のグッズやイベントに使われたり、ドラマや映画、広告に使われたり、、、「方言」が「かわいい」と話題になったり、、
ただの「地域で話されることば」以上の価値を持つようになったんですよね。

最近私が「まちづくり」とか「地域おこし」っていうところに興味を持ち始めたこともあり、自分の研究テーマである「方言」をどうにか絡めたいな〜と、別に意識したわけではないけれど、たぶん無意識的につなげようとしてた。簡単に言うと、方言をまちづくりに活かそうっていう卒論です。今のところ。
でもよくよく考えたら「方言」って「地域に根付いたことば」なのだから、別につなげようとしなくなってつながっていくものだよなあ、と、今ふと思いました。

おっとおっと、どんどん話が深くなってきたぞ。
11月11日17:00ころの話に戻りますね。

「方言」と向き合い、「地域」と向き合う

この日、1週間後に迫ったゼミ内の発表に向けて、色々調べていました。
方言のあゆみ
方言の在り方、そして、
方言のこれからと向き合う時間でした。
その時間は、必然的に、
地域のあゆみ
地域の在り方
地域のこれからと向き合うものでした。

とある本で、NHKが1996年に行った方言への意識調査にについて述べられていたんです。


なまりがあるのは恥ずかしいことですか
地元のことばが好きですか
といった質問がされていました。

私が福島生まれ、福島育ちということもあり、どうしても東北に目が向いてしまうのですが、
東北人は

「なまりがあるのは恥ずかしい」が、
「地元のことばが好き」な人

が多いそうです。
東北に限らず、九州などもこの傾向が見られます。この調査は私が生まれる前に行われたものであり、きっと現状は変わっているのだけど。

方言への意識には色々な要因があって、
その「ことば」自体の響きももちろん関係しているのですが、「土地」への意識も関係しています。
そして、「土地」への意識には「人口」「経済力」「文化力」など様々な要因があり、、本にこんな一説がありました。

経済条件は方言イメージをかなり左右する。これは人々が高所得の地域に惹かれて移動する傾向をもとに説明できる。東北や九州に住む人は、その願望を持たない(別の人生観を持たざるを得なかった)人たちである。その代償として郷土愛を持つ

この文章を読んだとき、思わず図書館の天井を仰ぎました。
これはあくまで著者の意見。これに対していろんな意見があると思います。
でも、私にはずどんっとくることばだった。
そりゃ都市部に比べれば便利ではないかもしれない。でも、便利さがまちの豊かさとは限らない。福島と向き合うなかで私が最近思っていることです。
このこと自体が、地方に暮らす人の人生観なのかもしれません。
私自身、「別の人生観を持たざるを得なかった」という悲壮感はないのですが。
でも、その地域と向き合って、自分なりの地域の魅力を見つける、便利や経済力以外のところに価値を見出すってことなんだと思う。

すごく偉そうに聞こえるかもしれないけど、そんな地域で生きる方々が、切なくて切なくて愛おしくてしょうがない

「地域」で生きるとは

私は、福島と向き合うことはもちろん、
「地域」という存在と向き合いたいのだなあと自覚しました。
今はみんなが東京を目指す時代ではない。
それぞれの地域にそれぞれの個性があって、その地域と向き合って、本気で生きる人々がいる。
ああ、愛おしい。

やっと結論です。
私の新たな人生のテーマは
「「地域」と向き合うこと」。

人生のテーマが見えているってすごく幸せなことだと思うんです。パッと前が見えるというか、進むべき方向が分かるというか。
だから、このテーマを見つけたとき、すごくうれしかった。進むべき道の街灯がまた増えた感覚。
でもその一方で、「ああ、生きるの複雑になったなあ」とも思いました。だって、これに気づいたその瞬間から、見える景色が変わってしまったんだもん。極端な話、次の日の朝、近所の集会所で落ち葉集めをするおじいちゃんおばあちゃんを見て、「この方々はどんな気持ちでこの地域で暮らしているのだろう。この地域が好きかな。」とふと考えてしまった。

画像1

テーマを見つけたうれしさと、大変なテーマに出会ってしまったぞ、という気持ちでよくわからない感情に襲われ、勝手にひとりで泣きそうになった。大学の図書館で。もう一度、天井を仰いだ。

私にできることを探し続けよう

方言研究者になろうかな。いや、地域研究者でもいいな。
でも、研究者って難しい論文書くんでしょ?
私がやりたいことはそこじゃないな。研究者や論文が悪いとかではなくて。
私なりのことばで、私なりの表現で発信していきたいな、と。
普通に生活していて、難しい論文を読む機会ってないでしょう、たぶん。

私は、みんなが住む「地域」を好きでいてほしい。
「好き」は強要するものではないけど、「地域」が嫌いな状態で、そこに身を置くってすごくツライんじゃないかな。「地域」が好きだったら、もっと日々が楽しく、幸せになるんじゃないかな。
少なくとも私は福島を好きになって、日々が、楽しくなった。
だから、なんとなく暮らす方々に「地域」に目を向けるきっかけを与えたいかな。そのために何ができるかは、模索中なのだけれど。。。
やっぱり、研究者になるのは違うかな。いや、研究者並に研究しなければいけないから、ある意味合っているんだけど。より、身近に発信していける、気づきを与えていける存在になりたいかな。

このテーマを自分のものにするには、たくさんの研究を理解して、かみ砕いて、自分自身も研究し、経験を積んでいかなければいけない。
そして、みんなに分かりやすく柔らかく届けたいとか思っているぞ、私。

あれ、研究者より大変なんじゃ?


やっぱり壮大なテーマに出会ってしまったなあ!生きるの複雑になった!

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?