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「怪物」の後、「万引き家族」を見ました。

「怪物」がとても良かったので、
是枝監督つながりで「万引き家族」を見ました。

主題は、
血のつながりはないけれど、「万引き」に象徴されるような"リアルな絆"でつながっている家族と、
血はつながっているけれど、心がつながっていない家族
どっちが大事なんだろう、「家族」って何だろう、という話でした。

"万引き家族"は、一緒にいなければならない必然性はないのに、あえて一緒にいることを選んで共に生きている。
血がつながっているから愛している、
つながっていないから、結局は赤の他人だから、本当に愛せない、
一般的にそう思われていることは、果たして本当だろうか。

我が家族、子供たちとの関係をかえりみて、
「血がつながっているから」ということに依存しすぎて、「子供だから当たり前」、「親だから当たり前」という考えに基づいて、本来的な思いやりや、互いの尊重に欠けてやしないか。血のつながった家族だって、ひとりひとりは個々に異なる人格を持ち、自主独立している、ということを忘れてはいないか。「親として/子としての義務や権利」という考えに縛られていないか。そういう「義務や権利」がなかったとしても、私たちは選んで一緒にいるのか、自分の意志で子供の世話をするのか。
そんなことを考えました。

選んで共にいるならば、選んで子供を世話をして育てているならば、見返りを求めてはいけない。相手が思い通りになるとを期待してはいけない。
そして、血がつながっていたって、結局はひとりひとり。意志を持って築いていかなければ、"家族"は壊れてしまうものなのだと、気づきました。

最後の方で、安藤サクラさんが、刑事に、「あなたは、あの子たちからなんと呼ばれているのか、"お母さん"と呼ばれているのか?」ということを問われ、はたと考え、涙するシーンが忘れられません。
「あなたと子供たちの関係は何なのか?」と問われ、それに対して思いを巡らし、名前の付けられない関係に、もしかしたら脆さを感じて泣いたのか。
でもそれは、「血のつながった親子」とか「母と子」という"名前"がついていたとしたって、本当は脆いものなんだ。意志を持って守り、築かなければ、いつ壊れるともわからないものなんだ、私は子供たちとリアルな絆を作れているのだろうか、、、そんなことを思い、私も泣きました。

強烈な問題提起、素晴らしい作品でした。
こういう映画がカンヌのパルムドールを取るなら、私はカンヌが大好きだ。

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