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Middle Age Crisis

最近これに悩まされている。底なし井戸に吸い込まれていくのを止められない。

最近じゃなくて本当はずっとで、いつからか覚えていないけれど、ただ臭いものに蓋をして、かりそめの、取ってつけたようなポジティブネスで覆い隠していただけで、その蓋を外的要因に強引にこじ開けられてしまってから、もうその場限りのガッツも前向きマインドも効力を失い、私は今、絶望という名の深い井戸に吸い込まれていっている。

外的要因とはこないだのロマンス詐欺だ。一週間騙されかけただけだが、あれがトリガーになって、ふと現実に気づいてしまった感じだ。自分の立ち位置、現住所。それは、「詰んだ」としか言えない、終わった場所だ。

まわりは着実に階段をのぼっていった。私は周囲にとっくに追い抜かされ、置いて行かれ、どうしようもない荒れた土地に一人立ちすくしていた。

みんなについていく気もなかったくせに。人と違う生き方でいいなんて思っていたくせに。

自分がのぼる階段も定めず、そして階段をのぼろうともしなかったのだから、当たり前だ。のぼりかけた階段から転落しても、次の階段を見つけずに道草ばかりくっていたのだから。誰かが手を差し伸べてくれるとでも思っていたのだろう。

用意された階段をのぼらなかったのは、「これを絶対に成し遂げる」とかいう何か立派な目的があったわけでもなく、ただ何の計画性もなく、金はとりあえず日々を生きるだけのために稼ぎ、ぼんやりと、なんの信念もなく働いてるくせに、いい服やいい靴を買いたいなどと希望し、身に着けるものに分不相応な金を投資したりした。着ていく場所もないのに。

それでも性格的に仕事は極めて真面目にやったほうけれども、そんな無計画な生き方なのだから、地位やキャリアなどは築けなかった。地位を得られる正規のルートを歩いてこなかったのだから当然だ。どんなに頑張ったとしても非正規には用意されていない階段なのだから。その場所から「頑張っているのだから引き上げてくれ」などと、地団太を踏んでいたようなものだ。階段をのぼっている気になっていたけれど、地団太を踏んでいたのだ(笑)社会のせいにしたりもしたけれど、頭を使って生きてこなかった自分も悪い。

酷い荒れ地に一人で立っている。この絶望から脱出する気力も体力もない。歳だけくって頭を使って生きてこなかったので、戦略も立てられない。

自分のダメさ、情けなさが容赦なく攻撃してくる。根拠のない「いつか何とかなる」だけに助けられてきたのだが、今回はこの根拠のない信念(根拠がないのに信念なんだから笑ってしまう)は全く出てきてくれない。助けてくれない。手を差し伸べてくれない。ついにポジティブサイドの私自身すら、私という人間に呆れて背を向けてしまったのだ。

基本的に、誰かがなんとかしてくれる、頑張っていれば誰かが引き上げてくれる、という無意識の考えが私にはあるのだ。頑張る場所も選ばずに、無駄な汗を流していただけだし、無計画だし、自分で自分の人生を切り開いてこなかった。薄々気づいていたのに、切り開き方を知らない。しかし、知らないけれど切り開いて成功している人はたくさんいる。失敗したり傷を負ったり、もしくはそんな失敗もなく成功している人もいる。無計画なくせに、未知のことに挑戦する気概もなく、挑戦できるほどのアレもなく、無能は、そこから上には決してあがれない場所で搾取されるだけだ。

気が付いたら43歳だった。来年の5月は44歳で、2025年は45歳になる。ただ絶望的な現実が年齢を重ねていくだけだ。今43歳の時点で人生詰んだ私が、来年の5月になれば、人生に失敗した44歳になって、その次の年には人生に挫折した45歳が爆誕するだけだ。

43歳にしてわずかな貯金が手元にあるだけだ。わずかすぎて、貯金と呼んでいいのかもわからない。

目の前に「夢」とか「希望」っぽいもの、今の現実から目をそらしてくれそうなものを常に置いておいて、現実に向かい合うことを避けてきた。もちろんこれは無意識のことだった。自分では目の前の仕事に夢中にとりかかっていたけれど、「現実」には全く向かいあってこなかったのだ。かなり現実可能そうに思えた「夢」も「希望」も、あっけなく去っていった。本物ではなかったからだ。「夢」や「希望」が実現可能そうなのかをしっかりと見定めないまま、それらを現実逃避の材料として生きながらえてきた。それらが去ったあとは、現実に向かい合ってこなかったがために現実に裏切られた、夢も希望もない惨めな43歳がいるだけだ。それに気づいたのは今。あまりに辛すぎてこれを書こうと決めた今だ。

恥を忍んでもっと具体的に書くと、「夢」とか「希望」だったものは、「海外で暮らす可能性」だった。この10年で何人か外国籍の方と縁があり(いや、縁はなかったんだが)、結婚の話もあったので仕事などそこそこに、いつか海を渡ると思ってきたのだけれど、海を渡れなかった話は何度も何度も書いてきた。

私はそれが実現可能なのかどうかもしっかりとたしかめもせず、夢とか希望っぽいものを現実逃避の材料にして、しっかり現実に向かい合ってこなかった。そんな、相手次第でいつか消えてしまうようなものを夢とか希望にしていたのだから、当たり前だ。自分の手で築き上げたものが何もない。他者を夢や希望にするのはとても危険だ。私はそんなことにやっと薄々気づき始めた馬鹿だ。

今朝目覚めると、ミドルエイジクライシスのことを書いたnote記事がたまたま目に入って読んでみると、同じミドルエイジクライシスでも私は完全に負けの方のミドルエイジクライシスだと気付いて泣いてしまった。

同世代の男性が書いているのだが、彼は自分のここまでの人生を振り返り、氷河期世代の彼は金融業界で仕事にのめりこみ、週末の家族との時間よりも仕事を優先して、自分じゃなくても代替可能な仕事というものだけに没頭してきたけれど「これでよかったのか」とふと気づいてしまった現在地を書いていた。残ったのは地位と貯金。地位も貯金もあの世には持っていけない、と書いている。彼は書籍も出版している。

ミドルエイジクライシスに悩んでいることぐらいしか私との共通点はなかった。私は人生を思いっきり無駄にした上に、地位も貯金も、家族もない。マジのマジで終わってるタイプのミドルエイジクライシスなのだ。

なお、私の場合のミドルエイジクライシスに氷河期は全く関係ない。年齢的に氷河期世代ではあるのだが、芸術系の大学を卒業した私に就職をするという概念はなく、就職活動をせずに大学で学んだことの延長の好きなことをしてしばらく生きていた。しかしそれもうまくいかなくなって、はっきりした目的もなくカナダに行ったのだが友達もできず、好きになった男には相手にされずボロボロになって帰国して、サラリーマンになるという概念がなかったので、まともな就職活動のやり方もわからず、職を転々としてきた。どこまで馬鹿なんだろうか。全部自業自得だ。

人生失敗ストーリーはよく見るが、自虐やこれまでの失敗は現在の成功ストーリーの伏線でしかない。結局マウントに思えてしまう。

徹底的に自分をこき下ろして(全部まごうことなき事実だけど)、ちょっとすっきりした。

私はいつまでこうやって、私はダメだ、アホだ、馬鹿だ、どうしようもない、と嘆き続けるつもりだろう。嘆いていればまた誰かが助けてくれるとでも思っているのだろうか。幼稚すぎる。いや、ここまできてやっと、誰も助けてくれないと私は気づいたみたいだ。何度失敗してもいいから、とにかく心身が動くうちにやってみよう。今が一番若いのだから。心身が動くうちに手を動かして、とにかくこの絶望一丁目一番地から抜け出す方向に動いてみよう。かりそめの夢や希望や根拠のないポジティブさを栄養にして怠けるなよ。もう後戻りできないぞ。お前に救いの手はないが、とにかくまだなんとか動く心身がある(心のほうは相当やばいが)。頭を使え。戦略的になれ。お前はたった一人だ。心細いときに甘えられる恋人も、みんなで生きていく家族もいない。もう、そこに絶望しててもしょうがない。受け止めるしかないじゃないか!そして、支えてくれそうなパートナーを求めるな。まずは自分を支えられる自分になれ!

生きていく。

夜電気を消して布団に入り、死のうと何度思っただろう。死ね、死ね、死ね、死ぬしかないというつぶやきと戦ってきただろう。

けれど、自死はいけない、はっきりとした理由はわからないけれど、そう思うので、逃げないで、孤独を友達にして、ひとりぼっちを受け入れて、とにかく、生きていく。粋に生きる。それがお前の唯一の信条だっただろう?


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