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休んで気づいたこと

お役立ち記事的な書きぶりになりそうですが、そうではありません。「仕事をしない一か月」という人生のブレイクタイムの間に気づいたことを、自分用のメモに書いておきます。

適応障害でぶっ倒れて、私は一か月の休みをもらいました。

仕事をしない、つまり一切の責任から一時的に逃れたことで、私はまた息をすることができるようになりました。これは比喩ではなく、私は過度のストレスで過呼吸を起こしていたので、まずは物理的に普通の息ができるようになってきました。

一日に12時間はデスクに張り付きで、食事は囚人のように部屋に差し入れてもらったものをかきこみながらパソコンに向かっていました。メールを返す、アイデアを提出する、クライアントからの修正指示に対応する、電話に出る、またメールを返す。朝だったはずなのに気づくと窓の外は暗くなっている。

そんな日々は突然終わりました。パソコンの電源を落としてその一切の責任から逃れて、いっきに膨大な時間が手に入りました。昼ごはんに呼ばれ、また夕飯に呼ばれ、家族で食卓を囲んで食事をする生活が続くと、身体が栄養を取り戻し、顔色が良くなり、鏡にうつる自分の顔にだんだんと笑顔が戻りました。そして一日がこんなに長いなんて!

後回しにした読み物は全ておもしろくない

時間がとにかくあるので、半年以上前からためこんでいた「読みたいもの」と「読まなければいけないもの」をひとつひとつ片づけていきました。結局わかったことは、読みたいと思っていたもの、読まなければならないもの、このどちらも、すぐに読まなかった時点で、自分には何も入ってこない代物ばかりでした(必要か不必要かはおいといて)。面白いものはその場ですぐさま読むでしょう。きっとどんなに忙しい日々の中でも、読んだと思います。読まずに「あとで」と後回しにしたものは、全て面白くなく、脳が吸収しない内容でした。

Outlookにたまった死んだ備忘録たち

それから、Outlookのメールが溜まりすぎてストレージが足りず新着メールを受信できなくなったのをきっかけに、必死でメールボックスを掃除しました。こんなこと、時間が有り余る今しかできません。メールアカウントを使い始めた2000年代初め頃の受信、送信ボックスから振り返り、まるまる3日間を使って不要なメールは根こそぎ削除しました。

驚いたことにそのほとんどが自分が自分宛に送ったメールで、そこには「あとで読む用」の記事が貼りつけられていました。興味を持った海外のサイトやニュース記事、生きるヒント系の記事、お役立ち記事のリンク。そのほとんどがリンク切れになっていました。件名に「生きるヒント」とか「おもしろ海外ニュース」とか自分で書いて送ってるので内容はどんなものなのか見当がつくのですが、クリックするとほとんどが404でした。

私は、あとで読もう、あとで役立つだろうと自分宛に大量のメールを送って放置していたのです。結局一度も開くことすらないままアクセスできなくなったリンクが貼られた幾千通もの自分宛のメールが、ストレージを圧迫していたのです。学んだこと。今読まないものは一生読まない。

元カレへの忖度

過去のメールを振り返っていると、2010年~2012年頃に、キャラが全くちがう私が発見されました。当時はまだLINEも普及しておらず、彼氏とのやりとりはメールだったのですね。動く絵文字を使いながら彼氏とメッセージのやり取りをしているのですが、自分が自分じゃないみたいで気持ち悪かったです。

当時2歳年上の人と付き合っていたのですが、なぜかたったの2歳がとても大きな年齢差のように感じていました。元カレは自分を大人と見て欲しい、尊敬されたいという気持ちが強い人だったので、それに騙されていたとも言えます。なにかと説教臭い男で、上から目線で諭すような語りかけをする人でした(うざいね)。私はこじらせの重症ファザコンなのでこういう地雷男に引っかかったのだということは容易に想像がつきます。3年も付き合いました。偉そうに説教するくせに公共料金の支払いとかを溜め込みまくって水道止められそうになったりしているところが尊敬できなくて別れました。それだけじゃないけど。

そして私は当時も薄々気づいてはいたのですが、何かと「キャラ付け」をされていました。彼の望む私像というものがあって、それを演じていれば関係は円滑だったのです。そのキャラは、「馬鹿でポンコツだけどピュアで思いやりのある優しい女の子」でした。君らしさが大事だよ、そのままの君が一番だよ、などとよく言ったものです。

劣等感の強い男だったので、強い女が大嫌いだったのだと思います。自分の管理下に置けるような、てなづけのできるような、無邪気で無知で素直な、怖くない女。私は上手に演じていました。

彼は私をとてもよく褒めてくれました。しかしそれは「ダメな私」前提なのです。ダメダメのポンコツだけど、感性豊かでホントは賢い仕事のできる子なんだよ。こういった褒め方をしました。「みんなにダメと思われてるかもしれないけど」「どんくさいと思われてるかもしれないけど」が前置きで付くのです。でも、本当はすごく賢い子なの、君は。自分で気づいてないだけなの。

今思うと一種の洗脳で、人はかけられ続けた言葉を自認して演じます。「お前は性悪だ、ずる賢くて卑怯者だ」と日々言われ続けた人はそうなっていくでしょう。

こんな感じで何かと上から目線でいたい男と、男性からひたすら褒められたい、ストレートな愛情表現を欲しがっていた女がそこにいました。結局ストレートな愛情表現ではなかったわけですが。彼とのやり取りメールの私はこんな感じでした。

「ゆかりご飯美味しいって言ってもらえて嬉しーーー!次も褒めてもらえるように頑張るねっ」

「ひとつお願いが。。雨が降りそうなので私より早く帰宅してたら洗濯物の取り込みだけお願いします。天気予報見て家を出なかったの。お仕事増やしちゃってごめん~!」

この料理の嫌いな私が、毎朝彼より1時間早く起きて自分のぶんと彼のぶんの弁当を作っていたのです。働いているのは私も彼も同じなのに。朝早くコーンの缶で手をざっくり切ったこともあるし、もう弁当のネタが思いつかなくて野菜炒めとご飯だけみたいな茶色っぽい弁当になってしまった日もあった。弁当作りを楽しくやっていたならいい。でも、私はそれを本当に納得してやっていたのだろうか?苦手なことは金で解決するタイプの私。わざわざ朝早く起きて苦手な火と包丁を駆使して二人分の弁当作ってた10年前の自分に聞きたい。

そして日々弁当の感想をもらっていました。彼は100%の確率で弁当を褒めてくれましたが、「僕は君の自己肯定感を上げたいの。毎日欠かさず弁当作りをするっていう達成感を感じて欲しいの」というセリフがついてきました。そこは「ありがとう」一択やろ。毎朝弁当を作ったのは今思えばいい経験ですが、今の私なら絶対やらんな。そして相手の分の洗濯もしてやってるのに、雨降りそうなだけでなんでこんなへりくだっとんねん。

Resilienceにも時間が必要

時間ができて、自然治癒力が上がり、なんだか自分がつやつやしてきました。シャンプーを自分の悩みに合ったものを選んで質の良いものに変えてみたり、老いてきた髪の毛にどのヘアオイルを使うかを考えたり、お風呂のあとは乾燥した身体にボディクリームをすりこんだり。激務の時はそういった、自分に充てる時間が1mmもありませんでした。そもそも忙しすぎて身体の乾燥にも気づいていなかったし、ゆっくり自分に合うシャンプーを検討する時間など全くなく、髪はただ生えてるだけ。手入れもしないので野犬のようにぼさぼさでした。そこに休職により膨大な無の時間が流れ込み、自分のことを見る、自分に気づく、ということができ始めました。そこで私は髪が荒れ放題になっていることに気づき、シャンプーをじっくり検討することができ、よく見たら脚に粉がふいていることにも気づき、ちょっといいボディクリームを買いました。手を加えてやると人間は育成されます。物理的にシャンプーやボディクリームで艶が出てきただけではなく、髪を綺麗に保とう、身体にクリームをほどこそう、そうした「意識」が細胞を覚醒させるのだと思いました。私は激務で10歳老け、休職で5歳年齢を取り戻しました(結果、ちょっとだけ老けただけで済みました、たぶん)。

自分ファーストで生きろ

10年前のあの彼氏との気持ち悪いメールを発見したり、どんどんつやつやしていく自分から気づいたことがあります。私は仕事も好きだし人の期待に応えることもとても得意です。ただ自分を過剰に犠牲にしてまでやってはいけないのです。というか、仕事に没頭するのもいいですが、まずは自分ありきです。いいシャンプーをして風呂上りもヘアケアに時間をかける。身体にいいクリームを塗りこむ。毎朝のストレッチ。趣味のダンス。友達と話す時間。家族と話す時間。読みたいものを読む時間。自分のことを考える充分な時間。夢を叶えるための充分な時間。まずそれが優先されて、他人のための時間はその次に。

出世したいから私生活すべてをかなぐりすてて仕事に没頭しました。それはそれで良し。ただ、私は無理な働き方をしたために病気で仕事も健康も失いました。というか、しょせん私は使い捨ての派遣社員だったのに、頑張り屋のサガで後先考えずにやりすぎてしまったのです。私が頑張った分報われるわけでもない場所で、自分で自分を壊すような働き方をしてしまったのです。働いて結果を出して認められ、出世できた自分を良しと思えていたら、この記事はうまれていなかったと思います。

ここでひとつの問題が。自分ファーストで生きたいけれど、仕事がめちゃめちゃ忙しい環境で働いている人は?朝からヨガしたり、お風呂上がりの自分ケアに時間をかけたり、読みたい読み物全部読んだり、やってる暇ありませんよね(以前の私です)。働き方はたしかに職場環境や立場にもよります。でも今私が思うのは、自分が出来る範囲で自分ファーストを意識していくだけで、生きるスタンスというものがちょっとずつでも変わってくるのでは、と思って挑戦しようとしているところです。

たとえばどんなに忙しくても朝のストレッチは譲らない。どんなに忙しくても、自分のことを考える静かな時間を他人に譲らないという意識。

ちょっと話がずれるかもしれませんが、今日ひとつ達成できたことがあって。失恋したばかりで落ち込んでいる友人がまぁまぁ高い舞台に行こうと誘ってきました。好きな俳優が出ているから見に行きたいけれど、舞台を一緒に観るような友人が私ぐらいしかいないと。私はその舞台にあまり興味が持てず、しかも高い。失意の中にいる友人が少しでも元気になるのならとも思いましたが、「あまり興味はないし、何より高いな」とネガティブ方面で迷いが出た時点で断りました(3000円なら行ったかもしれません)。断るのは早めがいい。私は断ること、NOを言うこと(同じか)、異を唱えることが大の苦手で、NOを言う心の負担のほうが大きいために、意に反することでも引き受けてしまうほうが楽で「いいよ」と言ってしまうことが多いです。

しかし、その積み重ねが「自分のことよりも自分のこと以外に割く時間のほうが多くなってしまった」結果だと思います。自分で采配する力。自分で自分のペースを守る力。

仕事ファースト、もしくは他人ファーストで全振りしていると、頼めばやってもらえると思われて余計な仕事が増えますし、余計な仕事じゃなく自分の仕事だったとしても全振りはせず、自分の生活も保ったうえで結果を出せる人になれれば、ワンランク上の労働者になれたと言えるのでは(めっちゃ机上の空論言ってる気がしてきたけど)。

もうどう知恵ふりしぼってもまとまらないので終わります。



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