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義弟の葬儀にイタリアに行ってきた (5)

ジェロニモは小さな木箱になってしまった。木箱の蓋には深く大きく十字架が彫ってあった。義妹は到着予定時間より10分ほど遅れて、親友と一緒に、木箱になってしまったジェロニモを抱えて到着した。私たちは一人ひとり順番に、うつむく彼女を抱きしめて悲しみを分かち合った。

ジェロニモの家に着くと深夜にも関わらず近所に住む親戚や友達がぽつぽつと集まっていた。このために手配していたのか、デリバリーのフォカッチャがテーブルに用意されていた。義妹が思い出の、自分たちの結婚記念日のワインを持ってきたから、いま開けようということになって、献杯をした。みんなでジェロニモの思い出話を少しだけして、解散となった。

リビングには祭壇が用紙してあったので、花で囲まれたその真ん中にジェロニモを置いた。日本の我が家から贈った献花はとても立派で(ケチらなくてよかった)、ジェロニモを迎えるためにあつらえた、イエスキリストが描かれた大きな垂れ幕の真ん前に置かれていた。そして部屋中に、遠くに住んでいて葬儀に来られない親族や友人たちから贈られてきた献花が並べて飾ってあった。この近所で花屋はここしかないのか、ほとんどが私が手配したのと同じ花屋のようで、みな同じデザインのネームプレートだった。お母さんはそのジェロニモのそばに椅子を二つ並べて、ここで眠ると言った。ジェロニモのそばをひとときも離れたくないのだった。

翌日はカンカン照りだった。よく眠れたわけがないお母さんに私は、おはようの挨拶の次の決まり文句の「よく眠れましたか」をつい言ってしまって、その瞬間に愚問と気づいて申し訳ない思いをした。

セレモニーがあるから椅子を並べてと言われて、みんなで庭にイベント用の小さなテントを張り、均等間隔でプラスチックの椅子を並べた。

ダニーロの実家に行くといつも思うのだが、「何時から何が始まるから何時までにはセットアップ完了して」みたいなアナウンスが何もないのだ。つまり段取りというものがない。私がイタリア語を理解しないから状況を把握できないということと、ダニーロがきめ細かいタイプではないので私に詳しいことをいちいち教えてくれないからということも大いにあるが、人がただ集まってダラダラといつまでもくっちゃべっていて「これ今なに待ち?」と心の中で思うことが多い。忙しそうなダニーロをつかまえて聞いても「セレモニーやるから」みたいな曖昧な答えで、また携帯片手に早足でどこかに消えてしまう。私はだいたい気を遣われることもなく一人取り残されることばかりなので、ダニーロの親戚や友人と会話するしかない。数少ない英語を喋れる人を介して(運が悪ければイタリア語だけの集まりの中で一人)人々とコミュニケーションをとるしかないのだった。しかも今回は葬式ということもあっておしゃべりなイタリア人もみんな口数少なく表情も落ち込んでいるので、会話は盛り上がらなかった。

喪なので当たり前だが、私は今回の旅で写真をまったくと言っていいほど撮っていない。しかし驚いたのは、司教が家に来て説教をする(日本でいうお坊さんが読経を上げるような儀式)様子を、動画に撮っておいてくれとダニーロに頼まれたのだ。私はみんなが司教の長い説教を神妙に聞いている中、スマホを司教に向けていた。これは日本人の感覚からしてとても無礼なことをしているような背徳感があった。そして私だけがアジア人なので、「あいつは非常識なアジア人」と思われないか、多少気にした。

同じく納骨の時も、義妹や家族が号泣する中「ビデオ回して」とダニーロに言われ(そういうダニーロも号泣しているのだが)、私は葬儀や納骨式に写真や動画を撮るという発想が全くなくそもそもスマホを持参して来なかったので「なにやってんだ」と呆れられた。人が悲しみに暮れているときにカメラを回すという発想が、日本人として(?)どうもしっくりこない。違和感しかなかった。

葬式は街の大きな公園でおこなわれて、その様子は地元のニュースに流れた。献花をたずさえて公園の祭壇を歩く私の姿が映った。ダニーロの弔辞は悲痛だった。聞き慣れたダニーロの「ジェロニモ!」の呼びかけに返事はなく、公園の木々に吸い込まれていった。

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義妹は友達が多く、インドネシアで知り合った友人や、義弟との共通の友人などが続々と集まった。国籍豊かな彼らはみな明るく楽しい人が多く、庭の長テーブルで食事をしていて話が弾むと、「どうしてここにジェロニモがいないんだ」という思いが胸に去来したのは私だけではなかったはずだ。日が落ちて空に金星がひときわ輝くと、みんなで「あれジェロニモだね」と言った。食事のときは必ず、大きく引き伸ばしたジェロニモの写真を入れた額縁を飾り、その前にワイングラスを置いた。

ところでケータリングのランチを食べたとき、メインのパスタと一緒にクスクスやグリークサラダ、それから丸っこいニョッキが出て、当然のようにそれらをスプーンで食べていたらみんなに笑われて驚いた。スプーンをスープ以外に使うのはアジア人だけよ、と義妹に言われて顔から火が出るほど恥ずかしかった。義妹は「長年付き合っててどうして彼女にそのことを教えてあげなかったの」とダニーロまで責め始めた。

正直、滞在期間中のことは鮮明に覚えていない。ただ、義妹のせいでとても居心地が悪かった。まず彼女は私と一切目を合わせない(何かを強い口調で指摘するとき以外は)。大勢の友達と集まって会話していても、私とは不自然なほど目を合わせない。これは無視といってもいいだろう。そして、私をなじるチャンスを狙っているかのように、取るに足らないことでめざとく噛みつこうとするので、私は常に萎縮していた。


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ところで、彼女はもう少しイタリア語が話せるかと思っていたのだが、実際には「学校で習ったので文法と単語を知っている」だけで実践に乏しいことがわかった。それでも頑張って自力でつっかえつっかえ話そうとする上に、文法を間違えるといちいち几帳面に直しつつ、どもりながらゆっくり話すので聞いている方がしびれを切らしてしまう。彼女の長話を聞かされている聴衆がどんどん苦しそうな表情になっていくのを何度も見た。

できる限り自分で頑張って話すのだが、ボキャブラリーの限界がくるとダニーロに通訳をお願いすることがある。ダニーロが彼女の主張を訳すと「NO(ノッ)!!!!私はそんなことを言いたいんじゃない!!!」とびっくりするような剣幕で訂正したりした。どうしてわからないの?といった風に、イタリア人がよくやるこの仕草でダニーロにブチ切れている。人には忍耐力を強いるくせに自分はなんと短気なのだろう。

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義理の兄に向かって、しかも義理の両親の目の前で、よくそんな態度が取れるものだ。それでもダニーロは穏やかだから(というか不感症?)波風も立たないし、そんなときも両親があまり動揺しないのも私には不思議だった。イタリア人は感情表現が豊かだから、日本人の私よりも感情をむき出しにすることに対して抵抗がないのかもしれないが、私は彼女がヒスを起こすたびに冷や冷やしていた。興奮するとf*ckin'などとF wordまるだしでブチ切れる。体格もよく眼力があり、こんがりとよく日に焼けた彼女がブチ切れると本当に迫力がある。

義妹はいわく体内時計を持っていて、朝飯はだいたい何時、昼飯はだいたい何時と食べる時間が決まっているそうだ。ダニーロ一家は9時頃の朝食(といってもイタリア式の、ビスコッティにカフェだけみたいな、朝からご飯しっかり食べる派の私からしたらおやつみたいなやつ)を食べて以来、14時くらいになってもなかなかランチタイムにならず、だれもお腹が空いたと言い出さないことがたまにある。ダニーロ一家は飲み食いするときは無限なくせに、空腹への耐性が高いみたいだ。

だいたいお腹が空いてくるタイミングなんてみんな同じだろうとのんきに待っていたら、正午が過ぎ、13時半を過ぎてもランチの声がかからない。催促をすることも憚られるので一人耐久戦をしていたのだが、あまりの空腹に庭の樹からザクロをもいでしのいでいたら、やっとランチタイムになった。義妹はムッとして機嫌が悪そうだ。もともとが怖い顔をしている人なのだが、あきらかに腹を立てている感じ。私などは空腹も限度を超えてガツガツとむさぼっていたが、彼女は一切箸をつけない(箸じゃないけど)。頭が痛いとか肩が重いとか暑すぎるとか言って何も食べようとしない。

彼女の親友が「このグリッシーニだけでも食べたら?」とか「お水いる?」とか、気にかけている。彼女は「いっぺんにすすめないで!食べたくなったら勝手に食べる!」と言い返していた。そんな風に彼女が機嫌を損ねても、「たったの二年で旦那を失った可哀想な彼女」ということで、みんな総出で義妹をケアしている。

そういえばインドネシアでみんなでディナーに行った時、同じことが起こったことを思い出した。予約をしていたにも関わらずだいぶ待たされて、レストランのウェイティングで彼女はどんどん不機嫌になっていった。血糖値の低下がどうの、と言ってブチ切れていた。

「肩に象がのしかかってるみたいに」重いといって、彼女は結局一口も食べないまま部屋に戻ってしまった。体内時計の話は、それから数日後に聞いた話だ。

彼女の友達はみんなフレンドリーで優しく、私もすぐに打ち解けることができたのだけれど、一体こんな気難しい彼女にどうして友達が、しかも心優しくて魅力的な友達が多いのか、いまだに謎だ。きっと友達には、私には見せない表情をたくさん見せているからにちがいないのだけれど…。

ダニーロの実家に着いてからの鮮明な記憶がないのは、義妹の機嫌を損ねないように、細心の注意ばかり払っていたからだ。それでも事件は起きた。けっこうなトラウマになっているので書くのがしんどいのだが。

葬式も終わり、納骨式も終わった翌日、みんなで街のマーケットで買い物をした。ご両親に少し休んでもらうために、我々で食材を買ってディナーは自分たちで振舞おうということになったのだ。マーケットは果物や野菜、日用雑貨から吊るしの洋服までなんでもそろっていて、私は花柄のジャケットを試着して買った。義妹もワンピースをいくつか買っていた。

家に戻って、マーケットで買ってきた食材を広げて冷蔵庫にしまっていたら、ダニーロのパパがその様子をながめていたので、さっきマーケットで買ったジャケットを取り出して「これ買って来た」とお披露目した。パパはファッションなどわからんという顔でなんの反応もなかった。

ダニーロのパパと私はきつい冗談を言い合う仲で、パパはダニーロと性格も見た目もそっくりなこともあって、3年前に初めて会った時も私はその日からすぐに仲良くなれた。

しばらくして食事の支度にとりかかっていると、義妹に「ちょっと」と呼ばれてひとけのないところに連れていかれた。怖い顔をしている。「Don't show the stuff you bought to the family !!!-家族に買ってきたものを見せるな」と言う。は???瞬時に意味が取れなかった。買って来た食材はもしかしてサプライズだったからパパに見せたのが良くなかったとか???でもパパはすでに買って来たものを見てしまったし…と、理解し切れないままとりあえず「…OK」というと「もう見せてたじゃない!!!あんなの今家族が最もして欲しくないことだよ!!!」と、電子タバコ片手にすごい剣幕である。

とりあえず(またとりあえずだ)「SORRY」と謝った。あんな剣幕で至近距離で咎められたらとっさにSORRYしか出ない。自分の顔からサッと血の気が引くのを感じた。とんでもない失言もしくは非常識な行為でもしてしまったかのような罪悪感を、彼女は瞬時に私に植え付けたのだった。

???…わけもわからぬまま彼女から離れた瞬間、パパに服を見せていたことを言っているのだとわかった。でもそれの何が悪かったのか。

もし時を巻き戻せるのであれば「あのことが家族の神経に障ったとは私は思わないけど、もしあなたの気分を悪くさせたのなら謝るよ」ぐらい言い返すが、とっさにそんな言葉が出れば私はこれまで何年も彼女とのことで悔しい思いを募らせる必要もなかったはずだ。

私はこの喪中に争いごとをすることこそ、一番避けなければならないと思っていた。

たとえば彼女が、「あんな風にはしゃいでる姿を見たくなかった。もうやめて欲しい」とか、「あなたにそのつもりがなかったのはわかるけど、さっきのは場違いだったと思うから気を付けて欲しい」とか、自分の感情としてのクレームとして言ってきたのだったらまだ私も素直にごめんなさい、と思えただろう。自分の感情を「家族」に乗っけて利用したのがずるくて許せなかった。私を頭の悪い女と思っているのは明白。まるでバカ扱いだ。私に対して何のリスペクトもないから、そんな無神経なことが言えるのだと思うと深く傷ついた。

はるばる日本からイタリアに弔いに来た私に対する尊重もないし、ただ私のことが気に入らないから八つ当たりしているとしか思えなかった。あんなことを平気で言うなんて、私の弔いの気持ちを完全に踏みにじったのと同じだと私は思っている。

彼女の傲慢な態度については、旦那を亡くして傷心でいつにも増して神経質になっているんだろうとか、私の考えすぎだろうとか、差し引いて見ていたけれど、このことで彼女の私に対する敵意は明白になった。その後帰国までの残り2日間、私はさらに彼女と距離を取った。徹底的に避けたいぐらいだった。

そのあとランチの時間になっても、彼女に言われたことがひどくショックで私はしばらく食事がうまく喉を通らなかった。隣に座っているダニーロが何度も「姿勢が悪いよ」と私の丸まった背中を正した。あとでダニーロにそっと、今日あったことを話すと「彼女は●●●人だからちょっと考え方が僕らと違うよね」と偏見丸出しの答えが返ってきた(笑)「パパは、君が人懐こく話しかけてくれるのがすごく好きなんだよ。だから全然ノンチェプロブレマ(問題ない)ダイジョブ」そして「まぁ、でも迷ったら余計な事しないほうがベターだよ」とも言った。悪いことをしているつもりなど全くなかったので、迷いもしなかったのだが。最後の最後まで腑に落ちない。

そしてその夜、もう帰国まで実質残り1日だというのに、スペインから義妹の友人だというマルガリータという小太りの女の人が到着した。葬式も終わりもう帰るだけなのに…「あと滞在時間残りわずかだけれど、あなたも彼女をなぐさめに来てくれたの?」とマルガリータに聞くと、横で聞いていた別の友人がこう答えた。「あなたにはこれからもGiorgiファミリーがいるでしょう?でも彼女は旦那を亡くして一人で国に帰るのよ。彼女が一人ぼっちな思いをしないために、ローマまで付き添うためにマルガリータは来てくれたのよ」

答えになっているようないないような返答だった。ローマまでのエスコートのためだけにスペインから来たマルガリータ。まるでお姫様扱いだな、と思った。

私が思うに、帰国便が私と同じと知って、ローマの空港までの道のりを私と二人きりで過ごすのが嫌すぎて、急遽お金を払って来てもらったのではないかと読んでいる。お金も人脈もある彼女ならばできないこともないだろう。それにしてもそんな場面にすぐ人を手配できるのは才能だな、と思うが。

しかしもしそうだとしたら、私にとってもとても有難かった。あんなに敵意むき出しの人と二人きりなんて絶対無理だ。彼女は地元の空港へ向かう車中でも、ローマ行きの飛行機の中でも、マルガリータとばかり親密そうにコソコソと何かを話していて、私は取り付く島もなかった。私がいることに気付かず、マルガリータに私の悪口を言いかけてマルガリータがすぐに止めていたのも見てしまった。マルガリータも例に漏れず人が良くて、とてもいい人だった。

ついに最後の別れ。ローマを発つ便が私のフライトの方が早かったので、チェックインを済ませてお別れをしようと思うと彼女がいない。フードコートにサンドイッチを買いに行っているというので、最後の挨拶をしにフードコートに彼女を探しに行った。

これで終わりだ。最後の最後まで打ち解けることができなかったばかりか溝は深まるばかりだったけれど、これで最後かと思うと私も彼女にかける言葉を多少は考えていた。こんなに溝ができてしまったので、ご両親に別れの言葉をかけたときのような、自然に溢れてくる温かい言葉などなかった。どんな言葉があたりさわりなく、自然な自分の言葉だろうと空港までの車中で考えたそのセリフを頭の中でもう一度復唱しながら会計の列に並ぶ彼女を見つけ「私、先に行くね」と声をかけた。すると彼女は私に近寄り軽くハグをすると「OK!チャオッ!」とだけ言うと急いで手を振った。追い払うようにも感じたのは私の考えすぎだろうか。「Time heals(時が癒してくれるよ)」とせめて振り絞るように言ったが「Yeah !! I know!」と言うと再び列に戻ってしまって二度と振り向かなかった。最後の最後まで温かい心の交流など望めなかったのだ。

完敗だ。最後くらいはうわべだけでも気持ちの交わしあいをして別れようと思った私の気持ちは見事に振られた。この人には入り込む隙が一切ないことがわかった。鈍くさくぶつぶつと頭の中で復唱していたセリフは行き先を見失い、ゆっくりと蒸発していった。

I still can't find right words to heal you but, time will heal you. Your husband will always besides you. 

あなたにどんな言葉をかけたらいいか私はいまだにわからないけれど、時間が癒してくれる。ジェロニモはいつもあなたのそばにいるよ。

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