ドラマで勉強「虎に翼(第24周・第116話まで)
わ〜、とうとう私が生まれている世界線になってしまった。
なので「あったあった、わかる〜」って部分も出てきました。
銀行員ののどかが正月明けの初出勤日に「独身の女性社員だけ」振袖を着ていくこと。
あったあった。
そして「若い子と並ぶのは酷だろうから…」と言われて帰ってきて、ひとしきりの愚痴。
あったあった。
この頃、私はオムツ時代でしたが、「あったあった」と思えるのは、社会人になった頃にも続いていた習慣だから。
それにしても。
時間が過ぎるのが早く、子供はどんどん大きくなり、逆に退場する人が1話毎に出てきている。
時間とはそういうものだけど寂しいですね。
先週の話になりますが。
「原爆裁判」の判決文は「これしかないよね」と唸るものでした。
寅子も悩みに悩み、桂場から「司法に出来ることだけを考えろ」と言われる。
確かに。
問題が発生した時「私に何が出来るだろう」と考えることは大切だけど、同じくらい「私に何が出来ないんだろう」を考えることも必要。
判決文は三権分立を明確にしましたね。
司法の出来ること、司法が出来ないこと。
では、どこで出来るのか。どこでやらなければならないのか。
そこまで突っ込んだ、かなり踏み込んだ内容でした。
国際法からみて違法な戦闘行為
政治の貧困
凄いパワーワードを使ったけれど、この裁判に関わった実際の3人の裁判官は傷を負わなかったのだろうか?
と思って少しググってみたら、裁判官と左陪席は異動で途中で代わり、第一回口頭弁論から結審まで関わったのは三淵さんだけだったのですね。
史実では判決を言い渡す時、ギリ異動していたそうで、裁判の席にはいなかったそうです。
主文を後回しにしたことも、本当に当時では異例のことだったようです。
記者たちの様子を見て「そうか」と今更ながら気がつきました。
判決ではなく、判決に至った経緯・理由こそが伝えたいことである。
この裁判は最初から原告は勝つ見込みはなかった。
負けるということはお金にならないということ。
それでも雲野先生の「やらねばならん。決して風化をさせない為にも」で進んできた。だから山田轟事務所を選んだんですね。お金にならない仕事をやっている、志が同じ事務所。
国側の弁護士・反町。当初は嫌な感じだと思っていたけれど、日本人として、心ある人間として、思う所を「これは仕事なのだ。法の話なのだ」と言い聞かせて働いていたことが分かった演技でした。
よねさんの涙も「爪痕が残せた」というか、「ここまで裁判官もやってくれたんだ。悔しいけれど、今の環境においては上出来だ」な表情だと思いました。
「出来ることはやった。でもこれで原告の被爆者の方々が救われた訳じゃない」
落ち込む寅子に航一さんが言いました。
あげた声は、判例は決して消えない。
昭和25年の「尊属殺は合憲か?」の議論を思い出します。
最高裁判事15人中「違憲である」と主張したのは穂高先生ともう一人、2名だけ。
そのことを寅子は家族に説明しました。
法律を知らない子供たちが普通に考えて「おかしい話だよね」となりました。
直治が「二人なんて、それっぽっちじゃなんも変わらないよ」と言うと寅子は
「ううん、そうとも言い切れない。判例は残る。例え2人でも判決が覆らなくても。おかしいと声をあげた人の声は決して消えない。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来る。私の声だってみんなの声だって、決して消えることはないわ」
この先、尊属殺の話が出てくるようです。
あの時の穂高先生の声が20年以上経って生きてくるかもしれない。
原爆裁判の判決も、穂高先生の声も。
大きな岩を砕く一撃にはならなかったけど、確実に石に何かを残せたはず。
若い頃、寅子は「私はただの雨垂れか!」と穂高先生に噛みついていたけど、雨垂れは1滴たりとも不要なものはない。
時間をかけて、世代を超えて、1滴が浸けた染みの重みが分かってくる。
企業でも「斬新な案を」と言われて出した企画が「前例がない」で却下されることがありますね。
声を上げること、記録を残すこと。大切だな。
原爆裁判の記録は廃棄されているらしいです。
他の記録も含めてちょっと問題になりましたが、どうにか残せないものでしょうか。
というか廃棄する、という案が出てくることが理解出来ない。当たり前のように永久保存だと思っていたので。
ヒャンちゃんの娘さん・薫も気になりますね。
そこまで喰ってかからなくてもよくないか?両親の当時の状況を想像できないのか?とも思ったけど。
既にヒャンちゃんと薫は生きてきた時代が違う。想像する土台が無いんですよね。
さらに学生運動真っ最中の時代なら致し方ないのか。
子育てって本当に難しいな、と思って見ていました。
タロットは「ワンドの7」勇気にしました。
ワンドは情熱を表します。
タロットの絵は真ん中のワンドがゴツゴツとして太いけれど、残りの6本は薄い感じ。中央は「気骨」ですね。
一つ前のワンドの6は「勝利」。
どの戦いも「勝利のピーク」があり、勝敗が入れ替わっていきます。
形勢が不利になり「もう退散しようよ」という声の中「まだ出来る」と気骨ある一人の勇者だけが立ち上がる。
そんな骨太の人、骨太の様子を書いています。
反骨精神ですね。
穂高先生も、原爆裁判の判例を書いた裁判官も。
負け戦だと分かっていても声を挙げた。
これはとても勇気が必要なことです。
映画などでは「もう無理だ」という時に現れる人はヒーローとして描かれます。
だから「ヒーローカード」「人気者カード」でもある。
記者の竹中も人生で初めての本を出した。
満身創痍で書き上げた、まさに渾身の作だと思われます。
寅子と今世で会うのは最後でしょう。
彼もずっと骨太でした。視聴者もファンが多かった。残した記録(本)もまたヒーローです。
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