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NHK高校講座国語表現 文章のリフォーム〜推敲〜

NHK高校講座国語表現
第4回 文章表現の基礎「文章のリフォーム〜推敲〜」

偶然見た番組で、リリー・フランキーさんのことばがあまりに印象的だったのでメモ。

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「今は絵文字の文化があるから、また新しい文学というか国語の形にはなっているかなと。」

「今、SNSの中の文章って批評性が高くなっているじゃないですか。例えば、ひとつのテレビを見ても何か、誰かの発言にしても。
ぼくも何かひとつ、評価しなくてはいけない文章、それが例えば、音楽でも、映画でも、そういう文章を書いているときに何かを『くさす』文章ってそんなに難しくない。というか、若いときは、批評性を持つという意味が、批判的にとか、あらを探すとか。そういう文章を書いていると、自分が辛口になったような気がしたり、批評性が高いような気持ちになって、批判的なものを書いていたんですけど。
でも、多く書いているうちに、批判的な文章を書く文章力ってそんなにいらないというか、何かをほめる文章力の方がものすごく難しい、ほめることには芸がいる。あの批判はすごくよかったんです、っていうのは、どこかでオレを人身御供にして言いたいことを言ってもらってすかっとしました、みたいな。その人の片棒をかついだみたいで、ちょっと気分が悪かったりするので。」

「漢字選びでも、変換すると自分の身の丈以上の漢字を選ぶかもしれないけれども、これはひらがなにしておいた方がいいぞってことも多々あるわけなんですよね。でも、モノを書くっていうのは最初、“ちょっと自分が頭よく思われたい”っていう変なとらわれがあるから、そこから飛び出していくには、自分が一生懸命書きたいものを見つけるのが一番じゃないですかね。」

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絵文字がある新しい国語の世界。絵文字も現代での立派な文字のひとつ。たしかに。

批判的な文章力はいらない。若い頃はそういう文章を書きがち。批判的な文章を褒められると言う事はなんだか人身御供にされている感覚がある。褒める文章の方が難しい。褒めるためには下がいる。
批判よりも褒める文章を書くべき。そして、褒めるということは誰かを蹴落とすことだと思い知れ。なるほど、考えれば考えるほど重い…。

文章を書くと言うのは最初人にえらくとらわれたいと言う思いがある。
つまり、1番最初に書いた文章と言うのは、どうしても着飾った自分になってしまうから。時間をおいて、後から見返す(推敲する)ことがいかに大切かと言う事。なるほど。偉そうになってないか、ちゃんと等身大か、確認する。
これは確かに大事なことだなぁ。と思った。

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