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コーチングで時々使う「あと一年しか命がないとしたら?」を体験した話

私の職業はコーチ。キャリアコンサルタントでもある。
産業カウンセラーも資格は取った。
目に見えない世界の勉強や修行もずいぶんとした。
正直なところ、クライアントが幸せになるならコーチだろうがカウンセラーだろうが手段はなんでもよいし、一つに限定することもない。

そのコーチングで時々ある質問に「あと一年しか残された時間がないとしたら?」というような質問がある。
期限を区切ったり、先がないと思うことで本当にやりたいことが出てくるであろうという意図からこういう質問をする。

頭で考えて答えを出すしかない問で、実際に体験した人はそうそういないと思うので、7年前に医師に「このままだと一年後に死ぬ」と言われて私が思ったこと感じたこと考えたことを書いておこうと思う。
当然のことながら個人の感想でそれ以上でもそれ以下ない。

当時の状況を書いておくと、私は7年前に悪性度の高いと言われる癌になった。医師の説明も自分で調べても治療法は臓器摘出、リンパ郭清。それをしないと転移が分からないのと念のため取っておけば安心ということだろう。有難いことにそれをしたら私の場合はたぶん大丈夫。だけど取ったらその後普通の生活が難しくなるかもしれないとのことだった。私は大手術を拒否。
目に見える患部だけを手術したいと申し出た時の医師の言葉が「一年後に」だった。
医師の立場からそういう言葉が出るのも当然だし、話し合って最終的に私の申し出を受け入れてくれたことにもとても感謝している。

前置きが長くなったけれど、「一年後に死ぬとしたら」を体験してみると、「結果的」には「それも運命」と受け入れる気持ちが出た。
実際には生きるためにあれこれはしたのだけれど、もし、ここで現世は終わりですよ、と神様に言われればそれを受け入れようと思ったのだ。
そして、一年しかなかったら、何かをしたいのか?と思いきや…。
何かをしたいという気持ちはあまり出なかった。それよりものんびり日常を送りたいと思ったのだった。

今までの人生を後悔するのかしないのかでいったら「しない」
したところで何も変わらないし、思い出したくないようなこともあるにはあるけれど、それはそれ。
そして、案外自分はやりたいことをやって好きに生きてきたんだな…とも思った。
そういえば、告知された直後に外に出た時、道を行く若い女性たちを見ながら「病気になったのがこの人たちでなくある程度生きた私でよかった」と感じたのを覚えている。

今世では子どもを妊娠して産む(育てるではなく!)という体験をしてみたかったけれど、それもできたし、ヴァイオリンでいろんな曲を弾いてみたいという願望もかなり叶ったし、行きたいところには結構行った。
子どもはまだ7歳だったけど、割とちゃんと関わってきたし、この子は大丈夫だなあと思った。
思春期用に何かノートを書いて残そうとは思っていた。

何かをするという意味では、お仕事でその時関わってくれていたクライアントさんたちにできる限りのことをしようと思ったのを覚えている。
3日後に迫っていた室内楽の人前での演奏をまっとうしなきゃ、というのも。
あとは娘と残りの時間を過ごしたかった。
死んだ後に地球に生まれ変わってこないように、今までしている瞑想も続けてしたいというのもあった。でも、そのくらい。
「一年後に」といっても、案外やりたいことってないんだな、とも思った。
のんびりするのが好きな性分なので、一年しかないとなっても、このままのんびりするのが自分なんだなあというのが正直なところだった。

そして私は気づいた。
「案外やりたいことがない」のはこれまでの人生で好きにやることができたからというのもあるけれども、何をしたから満足、という以上に自分で自分の過ごしてきた日々や自分をだいぶ受け入れられるようになったことが大きかったことに。
「ダメなところはたくさんあるけれど、現世はこの私でよかった気がする。ふふふ」と思えることが何よりもの後悔しない気持ちにつながっていたのではないかと。「気がする」くらいの軽いものだけど、そのくらいが自分にはちょうどいい。

「一年しか命がないとしたら?」という問いは、「何かをする」ことに焦点があたるけど、そうじゃないことだってある。
自分自身にそれなりにオッケー(なぜそれなりかというとまだまだ出せるはずだから)を出せたら、何かをするかしないかはどちらでもよくなるのかもしれない。
毎日、のんびりしたりやりたいことしたり、最期のときまで誰かが困っていたら助けたり助けられたり。
気合い入れて何かをするより、シンプルに穏やかに「日常を暮らす」のが自分にとっては一番だと気づいたのが私の「一年しか命がないとしたら」の問いへの答えだった。

【おまけ】
とはいえ、一年でなくもっと期間があれば答えは変わるだろう。実際に「生きられますよ」となってからは、かなづちも克服したし、今まで以上に楽器も弾いているし、パーソナルトレーニングも受けてるし、書道も始めたし、お仕事も前より進化している。自分のことでもひとさまのことでも、肉体があるからできることをこれからもやっていきたいなーと思う。



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