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朝のお弁当作りが楽しくなった理由

今年も朝早く起きて娘のお弁当を作る生活をした。
娘の学校は登校が早い。
しかも部活で早く行きたーい!と言われることも幾度となく。

ああ、カフェテリアのある学校に行ってくれていたら。
と何度か思った。
小学校時代の給食が懐かしい。

そんなある日、「せっかく作るなら楽しく作ったほうがいいよね」と思い立つ。
メンドクサイと思いながら作るお弁当と楽しく作るお弁当では味も違うんじゃないかしら…と思ったのだ。

もともと「無理はしない」をモットーにしていた。
学校からも「最初の内は買ったものでもいいので、お弁当箱に詰めてあげてください」なんて話もあったので、割と気楽さはあったし、ラクに作る工夫はしていた。

下ごしらえは前日の夜にしておくとか、
夜に豚汁作ったら翌日はスープジャー&おにぎりとか、
だいたいのルーティーンを決めて献立では悩まないとか、
疲れているときはカップラーメンでもいいと割り切るとか、
時に購買を使ってもらうとか。
やる気アップのために最初の頃はSNSに写真投稿もしていた。

それらも功を奏したかもしれないけれど、楽しくなった一番の理由は最初に書いたように自分の意識の変化だった。
どうして変化が起こったかの理由はひとつじゃないと思うけれど、
大きかったのは次のこと。
「やらねばならぬこと」は本当にやらねばならぬことなのか?と思ったのだ。

やるとかやらなくていい、とかそういう物理的な話ではなくて(とはいえ、作らない日を作ったり、疲れた時はコンビニ食でもいいという柔軟さは大切)、

やらねばならぬことは本当に「やらねばならぬ」と自分の中で位置づけられるものなのか?と。

必要以上にやらねばならぬと頭で思うことによって、義務感とめんどくさいという気持ちを増やしているんじゃないかと。
こういうときは思考でなくて身体というか、自分の中に問いかけてみると案外答えが返ってくる。
自分の中の感覚に問いかけてみると、あ、実はそんなに嫌じゃないんだ、楽しくやりたいんだという感覚になった。

それに…お弁当を持って元気に学校に行ってくれるってとても有難いこと。
そう思うと前以上に美味しく作るぞ!という気持ちになった。

意識がどの方向を向くかで毎日は変わる。
楽しむ方向に向けば楽しく作れる。
なぜか「お弁当箱は自分で洗って!」と言わなくても娘が自発的に洗い出すおまけつきで。
世界はうまくできている。




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