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【読書】二面性

親の差し金で中学は
中高一貫校である
2つのお嬢様校を受験し、
両方合格した。

そのうち次姉の通う
T学院に私が受かるとは
母は思っておらず、

「みおいちはT学院に合わないから
 (すべり止めの)C学園に行きなさい」

と言ってきた。


私は何故、学力レベルの低い方に
行かなければならないのか、
制服も可愛くないし、と
断固として反対し、
姉の通うT学院に入学した。


この学校は確かに
私には合わなかった。

親が言うには「裕福な商人の子女」が
通う学校で、つまり
気の強いお嬢の集まりだった。


自分よりもレベルが低い
とみなされた子は
蔑まれ、
レベルの高い子は
徹底的に攻撃された。


廊下に張られた
試験結果の1位の生徒は
ズタズタに名前が切りさかれ、
遠足などの写真の顔は
めちゃくちゃになった。


私は運動神経が悪いから
六年間馬鹿にされ続け、
その割に良い点を取ると


「みおいちちゃんは
 馬鹿に決まってるのに
 相当勉強したんだね」

とクスクス笑われた。


音楽部長として
舞台で指揮をしたり
ピアノを弾くたびに、

嫌な笑みで
「目立っちゃってカッコ悪い」
と言われた。


大人になった今なら分かる。

相当気が強く
教師にさえおかしいと思ったら
ズバズバときつい物言いで
指摘が出来る次姉は、
この学校と相性が良かった。


彼女は
スクールカースト上位にいた人で
中学高校時代に
嫌な思い出はないらしい。

明るく、
自分の意見を誰にでも
はっきり言う姉は
いつでも日の光のもとにいて、
陰で行われている
女性的で陰湿な出来事に
気づかない鈍感性を
持ち合わせていた。


確かに私には
このT学院よりC学園の方が
合っていただろうな、と
大人になった今なら分かる。


C学園はのんびりおっとり
悪く言えばぼんやりした校風で
平和主義の学校だった。


ここにいたら
羊が草を喰むように
学べたかもしれない。


だけどそれでも
幼い頃の私の選択を
後悔したことはない。


T学院で出逢った
同じ考えの友人とは
今でも良い関係を保っている。


大学を決める時、
親はこのT学院併設の大学を
勧めてきた。


ここは偏差値はあまり
良いとは言えなかったものの、
日本銀行の総裁が理事をしており、
つまり就職率と
裕福なご子息への永久就職率が
高かったらしい。


だけど私はこの大学には
学びたい学部がなかったので
外受験をすることにした。


親は英文科を勧めて来たけど
私は

「英文学なら
 たくさん本も出ているし
 自分で学ぶことができるから、
 わざわざ大学で学ぶ必要はない」

と、生意気なことを言って聞かなかった。


私は親に反対された
社会福祉が学べる大学を選んで
受験した学校の中で
3校合格し、

またもや一番偏差値の高い
T大に行こうとした。


そうしたら親が
偏差値二番目のS大に行くように
言ってきた。


何でもS大は
レベルはそこそこでも
領家の子息子女が通うらしく
確かに学費が高めだった。


私はまた頑として
聞かなかった。


今度は更に親戚から
抗議の電話がかかってきた。


「T大なんてあんな
 バンカラな学校に行くなんて
 馬鹿げている。
 どうしてS大に行かないんだ」と。


バンカラというのは
ハイカラの反対語で
さえない人間の集まり、だそうだ。


親は今度はこう言った。


「みおいちのことは諦めてるから
 もういいのよ」


私の通ったT大は、
確かに
見た目だけで言えば
イマイチな人の集まりだった。


そして、
S大出身者が上品だというのは
大人になってから
その学校出身者に会うたび納得できた。


だけど、
T大はとても楽しかったし、
中身としては魅力的な人が多かった。


運動神経が悪くても
笑う人もいなかったし、
容姿や服装がイマイチでも
馬鹿にする人もいなかった。


優しくて勉学熱心な
人たちに囲まれて、
熱中した4年間はあっという間だった。


20歳の夏休みには
ニューヨークの音大に
短期留学した。


アルバイトで留学費用を貯めて
全て自分で手続きを終わらせてから
親には事後報告した。


以前に英会話を習おうと思ったら
断固反対されたから、
相談したらまた
夢を取り上げられる、と思った。


就職先も親に相談せずに
自分で
実家からは通えない
埼玉県内の特養に決めた。


イギリスに働きに行くことも
もちろん全て処理が終わってから
親に報告した。


親は何度も
「あなたは進路を間違えた」
と言った。


確かに、
親の言いなりになっていたら
もっと裕福で
もっと楽な人生を
歩んでいたかもしれない。


私は頭の良い方じゃないから、
やりたいという気持ちだけで
仕事も選んだ結果大変で
苦しくなって辞めたこともある。


姉たち2人のように、

姉たちは言いなりになったと言うよりは
たまたま希望が親と一致
していただけだろうけど、


親の希望通り
裕福な人が通う大学を出て、
裕福な人が勤める会社に入って、
裕福な人と結婚していたら、
幸せだったかもしれないし、

私がまっすぐな道を歩めてきた、とは
決して言えない。


親からすれば
見ていてハラハラしたと思う。


だけど、
全然後悔していない。


苦しいことはたくさんあったけど、
不幸なときが私の人生の中に
一度でもあったとは思えない。




この本を読みました。

「傲慢と善良」  辻村深月



びっくりした。




私の親みたいな親が出てきて
30代になっても
それに逐一従う女性が
主人公のひとりだった。


「どうして自分のやりたいように
  しないんだろう」



と思うと同時に、


「やりたいことが見つからないのが
  一番辛いのかもしれない」


とも感じた。 


そしてこの女性は
「いい子」つまり「善良」
として描かれていた。


自分の意思を通さないで
言いなりになる人が
いい子なんだろうか、


と疑問に思った反面、


それが理解できる自分もいた。


このタイプの人は
割とどこにでもいて、
優しくて一緒にいると安心できる
言わば心のオアシスみたいな存在だ。


仕事をすると
「指示待ち人間」に
なってしまうかもしれないけど、
それだって性格が良い人が
職場にいた方がいいのは当然だ。



この、主人公の女性は
別の女性から嫌味を言われる。


なぜ、生き方が違うだけで
こんなに酷いことを
言われなければならないのか、と
憤った。


だってこの女性のように
あまり考えずに
人に従っていた自分は
確かに私の中にもいるから。

現代の日本は(中略)、一人一人が
自分の価値観に重きを置きすぎていて、
皆さん傲慢です。

その一方で、善良に生きている人ほど、
親の言いつけを守り、
誰かに決めてもらうことが多すぎて、
"自分がない"と言うことになってしまう。

傲慢さと善良さが、矛盾なく、
同じ人の中に存在してしまう、
不思議な時代なのだと思います。


本当にこの文章は
私のことを書いているのでは
ないかとヒヤリとした。


重要な局面では
私は私の希望を通してきたけど、
その他の日常ではむしろ
姉たちよりもずっと
何も考えずに言われたことをただ
こなしてきたことがあったから。


それが「善良」と言えるのか
「意思がない」と思われるのかは
分からないけれど。


「傲慢」として書かれている
描写に対してもビクリとした。


こんな、モテなそうな人にも
プライドがあって、その何かを満たすために、
今、自分が使われたのかもしれないと思うと、
愛想笑いが引き攣った。

そういうこと(ボランティア)が
できる人なんだ、と思うと、
そんな行動力も思いつきもなかった私には、
彼がますます遠い、
自分とは違う人種に思えて、
むしろ、引いてしまった。


人の一面を見て
その一部だけであっても
自分のことは棚に上げて、


自分より劣っているとか、
或いはすごくて引いてしまうとか、
自分に合わないとか、


そういったことを瞬時に
判断してしまうことが
私にもある。


そして、それを後で反芻して
こんな風に落ち込む。

私がそんなふうに、見下すように
「相手として見られない」と思った
その誰もが、私なんかと結婚しなくて、
おそらく正解だったということだ。


運動神経が悪くて
その面だけを見られて散々馬鹿にされて
嫌だった気持ちを知っているのに、

例えばテレビでマッチョな
身体がテカテカな上半身裸の男性を見て、
こんなマッチョは嫌だなあと
「マッチョ」だけに焦点を当てて
上から目線で思ってしまう。


登場人物の主人公2人に
ヒヤリとさせられて
どちらも庇いたくなるのは、
自分にもそういった面があるからだ。

「傲慢」も「善良」も。


私だけなのかな。

或いはこの本の中で
登場人物が言っているように
みんなそんな二面性を
持っているのかな。

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