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どうも「シナリオライター」という仕事をしています

私の仕事は、シナリオライターだ。

「シナリオライター」というと、世間一般的には「ゲームシナリオライター」であることのほうが多いようだが、私は違う。
そこの線引きをするなら「動画シナリオライター」とでも言おうか。

YouTubeとか、TikTokとか、そういうところで公開される動画の「台本(シナリオ)」を書く仕事だ。
在宅ライター界において、大多数を占める「Webライター」とは、一線を画す。
同じ「物書き」ではあれ、まったくの別物である。

例えて言うなら、同じ絵描きでも「漫画家」と「美術教師」くらい違う。
芸能人の中でも「お笑い芸人」と「コメンテーター」くらい違う。
大げさに言えば、そういうこと。

私は、1年365日、シナリオのことを考えない時はない。
シナリオのことを考えるということは、誰かの人生に思いを馳せるということだ。

よく、皿洗いをしながら「プロット」と呼ばれる、あらすじを考えたりする。

パソコンの前に座らなくても、
・プロットを考える
・登場人物の名前を考える
・設定を考える

このくらいはできる。
もし、なにか思いついたら、メモにでも書き留めればいい。

なにか別なことをしながら、脳内にあるのはシナリオのこと。
私の頭の中には、すでに登場人物が行ったり来たり、過去を語ったり、重要なシーンをプレイバックしたりする。
なんていうか、頭の中は常に彼らの妄想で忙しい。

そう、これは妄想だ。
登場人物というのも、あらすじというのも、すべては私の脳みそから生まれる空想の産物なのだが、これがまるで生きているかのように動き出す。
だから、面白い。

イメージを膨らませるのは、プロットを考えるときだけ。
プロットが決まるまでは、登場人物の人数も、山場も、オチも、決まっていない。
彼らは、私の脳内で自由奔放に動き回る。

年齢や性別、シチュエーション、現在の職業、家族構成に至るまで、コロコロとあれこれ目まぐるしくチェンジしながら、最適解を探していく。

私の仕事は「クライアントワーク」なので、クライアントさんの思惑通り作品を作らないといけない。
だから、最適解を探す。
やがて、私の中で果てしないエチュードを繰り広げていた登場人物は、勝手に役柄や職業を決めていく。
必要なカット、山場、オチ、などの大枠を「これだ!」というものに仕上げていく。

ここまで来ると、私も手を動かしながら、プロットの形に組み立てる。
プロットが決まると、登場人物の職業、家族構成、ストーリーの大まかな流れなどが決まる。

ここから、いよいよ各登場人物が「セリフ」を発していくわけだ。
さて、ところで奇妙な話ではあるが、セリフを発するのはあくまで「登場人物」であって、私ではない。

便宜上、私が考えたようなことになるわけだが、私の脳内では、確実に「彼ら」が「自分事」として「それぞれの人生」を歩んでいくわけだ。
私は、それをただ見守っているにすぎない。

事実、プロットからシナリオに移った段階で、彼らの運命はほぼ決まっている。
すでに、私の裁量でどうとかできることは、ほぼない。
なんだかおかしな話だが、彼らの運命は彼らしか知らないし、私はそれをなぞるだけ。

プロットに書かれた要素を取りこぼさないよう、彼らの人生のワンシーンを少しずつ切り取っていく。
それは、日常であったり、運命を変えた1日であったり、転機であったりする。
シナリオ上で繰り広げられるのは、彼らの生きた会話。
それらが、テーマに沿って流れていくように、さじ加減を調整しながら先へ先へと進んでいく。

毎回、大枠の尺が決まった中で、描きたい内容を収めていかないといけないので、そこは経験が物を言う。
完全に「感覚」の世界。
私には、200文字で書けるワンシーンが、どの程度のやり取りなのか、肌感でわかる。
500文字あれば、かなり語れる。
ワンシーン追加するなら、最低でも200文字は必要になる。
そのシーンは必要かどうか。

必要ないものは「含めない」というのが、美学でもある。
シナリオの上で語られることが、全てではない。
あくまで、主題に沿って組み立てるものは「その人の人生の一部」にすぎない。
けど、確実にその人は生きている。

あたかも生きているかのように、切り取られる。
不思議なもので、私の脳内で、彼らは確実に生きている。

こうしてほぼ日替わりで、様々な人の人生を生きている。
私が大事にしているものは、圧倒的なリアル。

「その人が語る言葉」は、絵空事であってはならない。
その人は今もどこかで生きていて、その人なりの人生を丁寧になぞっているに違いない。
そう思わせるだけの説得力を、宿すために。

十人十色と言われるように、世の中には1人として同じ人はいないし、例え兄弟や親子でも、たどる人生は別物になる。
人生の妙。
それを描く面白さが、シナリオライターにはある。

私は、この仕事を通して、様々な人生を覗き見てきた。

先天性無痛無汗症という、生まれながらの病に苦しむ人。
第二次大戦の最中、原爆で人生が変わってしまった人。
殺人に手を染めた人。
平凡な人生、平凡な日常、その中にも様々な出来事がある。

日々、考えさせられる。
シナリオライターの醍醐味は、ストーリーを通して「人生」を知ることだと思っている。

その人の生き様、かける想い、熱量。
それらは、まがい物だけど嘘ではない。
作り上げられた虚構。
しかし、意味のあるものだと思う。

シナリオライターの世界は、奥深い。
これまでに、お仕事を通して様々な人生を垣間見てきたが、誰一人、同じ人はいない。
いつまでも、興味が尽きないし、筆が止まることもない。
難しい、けど楽しい。
それが、シナリオライターという仕事なのだ。





もし、あなたの心に少しでも安らぎや幸福感が戻ってきたのなら、幸いです。 私はいつでもにここいます。