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Café Carpe diem•••eigaとongaku 2,

人生に於ける、美学を考える
ライフ•エステティックス•カフェ




海辺の小さな町にある、カフェ•カルペディエムへようこそ•••。




ビル•エバンス
“WHAT’S NEW”



 前回は、映画でしたか、今回は、音楽です。
まだ、レコードの時代でしたから、小学生の高学年から中学生にかけては、音楽好きのお友達が、当時は高価だった、レコードを貸してくれたりしていました。




 ただ、私は、は好き嫌いの好みが激しくて、ドビッシー、ラベルやブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、サティ、バッハやショパンやモーツァルトの、この曲だけ、と、かなり限定的でした。




 その頃は、主にクラッシックか、映画音楽、偶に、アメリカン•ポップスを聴いていましたが、私は、何故か、幼児の頃から、ジャズやボサノバが好きでした。



 きっと、映画好きの母や、当時、大学生だった叔父達や親戚のお姉さんの影響だったかもしれません。



 “死刑台のエレベーター”の主題曲のマイルス•デビスのクールなトランペットや、映画”男と女”などの映画音楽やカルロス•ジョビンの曲を大人や年上の親戚の人たちから、たまに聴かせてもらえたのです。



 そして、高校生の時、文化祭も終わり、ある晴れた日の日曜日、突然、飛び切り上質な、”JAZZ”が、聴きたくなり、ピンクのパフスリーブのモヘアのセーターに、木綿のダークブラウンにピンクの花柄のギャザーとフリルのスカートに、同じくダークブラウンのベルベット•ティーストの靴で街へ出掛けました。



 夏の間に、海辺にある、祖父母の処で、家業を手伝って、お小遣いを貰っていたので、軍資金は、十分だし、洋楽マニアのお友達に一緒にきてもらいたかったのですが、当時は、アメリカンポップス最全盛で、え、JAZZ?の時代だったのです。




 街には、JAZZ喫茶なるものが、数店ありましたが、先輩達が、屯している所へは、敷居が高くて、いけませんでした。



 少しだけ、不安でしたが、レコード屋さんに着いた途端、その不安は、的中しました。
一体、何を基準にどう選んだらいいのか?
視聴も、必ず買うと言う条件でなければ、今みたいに、出来ない時代てしたから・・・。



 そしたら、背後から、声がして•••
「ねえ、君、JAZZが好きなの?」
「あ、ええ、まあ・・・。」と、答えるのがやっとでしたか、その人は、何枚かのレコードをレコメンドしてくれて、「初心者だったら、ま、これかな・・・。」と、ビル•エバンスの”WHAT’S NEW”を、つまみ出してくれました。
 




 私は、お礼も其処其処に、お代金を支払うと、店を出ました。
クラブの先輩以外の男子と、話すのが初めてで、しかも、当時、寡黙だった私は、会話する事自体に困惑していたのです。




 そしたら、先ほどの、二、三歳くらい年上と思しき人が、追いかけてきて、「もし、此処で会えたら、また、聞いてね!」と、言われましたが、「はい!」と、いうと、急いでいるふりをして、私は脱兎の如くバス停へと駆け出しました。



 そのレコードに、恐る恐る、針を落とす瞬間は、CDやスマホには無い、何とも、形状し難い緊張感でしたが、最初の一音で、至福の時か、否かが決まります。



 果たして、今回は・・・



あ、ニューヨークだ!



私には、まだ、行ったこともない、NYの街並みが、そして、街の匂いが、一瞬で感じられれました。



 それから、何十年か後に訪れたNYで、夜ホテルで退屈していたら、同行してきた人が、夜のドライブにワゴン車をチャーターしてくれて、七、八人で、出かけた時のこと、ビル•エバンスが、ライブで演奏していた、ビレッジ•バンガードの前に、差し掛かりました。
 



 その日は、ライブがお休みのようで、何時か次の機会にと思うと、立ち去り難く、名残り惜しく、其の赤い看板と、中は恐らく、客同士の膝が当たるくらいの、小さな会場だと察しがつく、狭いドアの入り口を見つめながら、その場を後にしました。



その、レコードに針を置いた時に戻りましょう。
 



 その時の、瑞々しさと、ロマンティシズムやクールな流れるような心地よさ等は、音を言葉で表現する事の難しさがあり、一度、聴いてみて、と、言うしか手がないでしょう。




そして、見え隠れする、悲しみや孤独の影•••



 そして、その数年後、私は、そのレコードを、どうしても欲しい、と言われてお友達にあげてしまい、その時のことも、すっかり忘れていました。



 卒業旅行に、行った時に立ち寄った、当時、大学院生だった友人宅で、本棚を何気なく見ていると、友人が、「君と同郷の人が、賞を取ったみたいだよ。」と、本棚の文芸雑誌を取り出して見せてくれたのですが、その作家の写真が、あの時のレコード店で会った人に、似ていたので、友人にその事を話すと、友人からは、「似ている人は、沢山いるからね•••。」と、言われ、今だに謎ですが・・・。
 謎は、謎のままで、そんな出来事は、生きていれば、何回も遭遇する、ハプニングですから、あまり・・・。



 このアルバムの中にある曲を、改めて聴いてみると、フルートのジェレミー•スタィグが、掠れるような、音を出していて、彼が、事故か何かに遭った後らしくて、また、ビル•エバンスの初期のころのトリオのメンバーも事故で亡くなっていて、彼自身も、数々の不幸な出来事を体験する中で、如何に苦しみのなかで、美しい音楽を、生み出してきたかと思うと、時々このアルバムと、この掠れたフルートの音を思い出しては、自分が少女の頃の、リリカルな気持ちに戻れます。



 そして、ジェレミー•スタィグは、晩年は、日本の横浜で、最後の時を、穏やかに過ごしていたそうで、亡くなる前に、その事を知っていたら、最後のライブに行きたかったのにと、大変残念に思いました。



奇跡の様な、セレンディピティな出来事は、何時も、側にあり、それに気付く事が、大事なのかもしれません。

 

 
 音楽は、私たちの気持ちに、何時も寄り添ってくれ、心が傷付いた時も、悲しみで沈んでいる時も、何時も側にいて、乗り越える勇気を与えてくれます。



 勿論、幸せで、楽しい時も、気持ちを、盛り上げてくれます。




 晩年は、健康に陰りがあった、ビル•エバンスでしたか、晩年といっても51歳で、亡くなっていますから、恐らく40代くらいの映像を見ると、手の指が浮腫んでいて、私も30代から、ハードな生活でしたから、同じ様に浮腫んでいたので、分かりますが、とても、辛かった事と思います。



そして最後に、ビル•エバンスの言葉を・・・。



「美と真実だけを追求し、あとは、忘れろ!」



人生に於ける、美学を考える、当カフェ最初の音楽についての、お話を飾るに、実に相応しい、珠玉のお言葉でした。



またの、ご来店、お待ちいたしております。



それでは、また・・・”a bientot!”
                 Mio

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