0962.真実の扉を、自分の手で開けることで生まれるもの
ライティング・ライフ・プロジェクト第12期、無事にゴールまで駆け抜けたのが、先週の木曜日(メンバーのみなさま、おつかれさまでした〜)。
だいたい、このWLPを主宰していると、”週末課題”という自己認識に関する課題を金曜日に出して、そのレポートが週末から月曜にかけてかえってくるので、毎週月・火はわりとせっせとそのフィードバックに励むことになる。
なので、ゴールを迎えたあとの月曜日はなんだかちょっと、こころにぽかっと穴が空いたような気分になるのだった。
あれ、今日はRさんからのレポートきてないな。あ、そうかそうか、終わったんだった……みたいな。
毎回、期ごとに個性ゆたかなメンバーたちが揃うのだけれども、今回の12期は「えっ」と思うくらいに熱量のある方々ばかりで、さすがに3年近くもこのプロジェクトを回し慣れているわたしでもタジタジとなることがいっぱいあった。
12期っつうのもまた、すごいしな……。
今年は13期はもうやらない予定で、その代わりにビハインドコース第8期が走るわけなんだけど、たぶん年明けにWLP13期も募集すると思うので、また熱いヒトたちと出会えたらうれしいな。
あの熱量って、なんなのかな。
「わたしにはパワフルで、とても美しくって、そして自由な存在なんだ。今までもそうだったし、これからはもっともっとそうなんだ」
という真実の扉を、自分の手で開けることで生まれるものなのかもしれない。
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今日はかんくん(小6男子)がちょっと風邪気味だったので、学校を休ませることにして、ふたりでのんびりしていた。さいわい熱はなく食欲もあったので、リビングのソファーで休ませながら、わたしはテーブルで仕事。
最近わたしが観ている海外ドラマが、イギリスの『コール・ザ・ミッド・ワイフ 〜ロンドン助産婦物語』という、これまた英国調の重厚で良質なドラマなんだけど、毎回かなりリアルな助産・出産シーンがある。
さすがにリアルに分娩の時間は撮ってられないから、「おいおい、そんな短時間で産まれないぜよ」とは思うものの、白熱&流血ものの出産シーンと、女性の股の間からぬるっと出てくる赤黒い乳児がものすごーくリアルで、観るたびに感動のあまり泣いてしまうのだった。
時代は1960年代、自宅出産から病院での出産にじょじょに移行しつつある過渡期が描かれている。助産に立ち会うのは、資格を持ったナースと修道女たち。
舞台となるポプラーという街は、貧しい港町で、男も女も生きるだけで精一杯という場所で、かなしいワケアリの出産もやはり多い。
けれども、どんな境遇でもどんな職業でもお金があってもお金がなくても、夫がいてもいなくても、子どもを産むために命をかけて渾身の力を振り絞っている女たちはみんな同じ痛みと苦しみと、最高の瞬間があって、汗と涙と血とわけのわからない体液にまみれながらも、そのとき、その場はとても神聖で、輝いている。
そしていつでも、赤ちゃんを取り上げた助産婦たちは、その小さないのちを抱き上げては「とても美しい子よ」「かんぺきな赤ちゃんだわ」「ほら、あなたの子よ。なんてきれいなの」といいながら、母親の胸の上にその小さないのちをそっとのせるので、やっぱりわたしは泣いてしまうのだった。
で、それをかんくんも毎日一緒に観ているんだが……「ん?いいのかな?.....まあいいか。ちゃんと立ち会う男になってほしいし」と思って、ふつうに観ることにしている。
なんか、保健体育の授業で図とかで説明するよりも、このドラマを一緒に観たほうがよっぽどいいような気がする。
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