わたしにもなにかができたらいいのに
新月、とにかく眠い。
この地球においてはグレゴリオ暦や太陰暦や、新暦旧暦、二十四節気やマヤ暦などなどさまざまな暦がありますが、わたしにとって身体の波のリズムと切っても切れないと感じるのは、月相だなあと思う。
今日はちょっと遠出での取材の予定だったのが、豪雨ってことでリスケになって午後がぽかっと空いたので、よし!掃除と読書だ!と意気込んでいたら、こんこんと眠ってしまった(でも掃除は1時間半くらいみっちりやった)。
そしておそらく明晰夢というものを見た。
夢の中で、これは夢だとわかっていて、夢の内容を変えていくという体験。
初めての体験だったのでどこからどこまでが真実かはわからないんだけれども、夢の中で何度も同じシーンが再現されたので、「あ、これはさっきと同じ状況じゃん。これは夢なんだから、行動を変えちゃおう」とたしかに思考して、行動を変えたのだ。
最初は動く列車のようなところから外を見ていて、道をビュンビュンと走る無人の電動キックスクーターのようなやつをただ眺めているんだけど、もう一度同じ夢を見て、同じように眺めていたときに「さっきの夢の中ではこれを見ているだけだったけど、今回は飛び乗ってみよう」と決めて、アクション映画さながらに、えいっと電動キックスクーターに飛び乗ったのだった。
とても爽快な夢だった。
思い切って勇気を出して、とんでもないスピードの乗り物に乗ってわくわく進んでいっていいのかもしれないな。
”新月に眠気にまかせるがままに眠って、そして明晰夢を見る”
ということにおもしろみを感じたので、次の満月と新月のタイミングでもやってみよう。とてもわかりやすい象徴的な夢だったな。
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『プリズン・ブック・クラブ―コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』という本をいまは読んでいる。読書会がしたい、したい……と心から思いつつも、なかなか動けていなくて、自分の中を探るような気持ちで手に取ってみた。
カナダにある刑務所の読書会に、ボランティアとして参加したカナダ人女性(ジャーナリスト)の一年間の体験がつづられている。
わたしに大きな衝撃を与えた『あふれでたのは やさしさだった ―奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』という、こちらも少年受刑者たちが詩作の教室に参加してゆき、その心にあった生き苦しさや重荷や苦しみを、言葉に触れながら解放し浄化し再生してゆくさまが描かれた本の記憶もあって、読んでみようと思ったのだった。
受刑者たちは、この世界の中でもっとも愛とケアが必要で、再生されたいと願う魂だとわたしは感じる。彼らはただ知らない。ひととひとが信頼しあうとか、安心して暮らすとか、心がつながりあうことや、攻撃のない世界が(たとえ半径1メートル以内だとしても)たしかにあるということを。
誰からも教わらなかったから。
カナダの大人の受刑者たちも、奈良の少年受刑者たちも、本をとおして変わっていく。物語の中で描かれている登場人物の人生を読むことで追体験し、少しずつ「人間とはなにか」「感情とはなにか」「人生とは」「愛とは」「人間らしく生きるとはどういうことか」という魂が知りたかったことを知ってゆき、再生されていく。
なにかができたらいいのに。
という気持ちを思い出した。
わたしが13歳だった頃、そんなことばかりを考えていた。「なにかができたらいいのに。この世界が少しでも美しくなって、悲しみが少なくなるような、なにかができたらいいのに」と。
あの頃の、棒切れみたいに細っこくてメガネをかけて、友達の輪になじめずに本ばかり読んでいた自分のことを、ありありと思い出すことができる。
読書会したいなあ。
なにがわたしをとどめているのだろうか。ふふふ。不思議だ。やればいいのにね。なにかをむつかしく感じている。なにかを恐れている。それはなに?
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